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物事は自分が思った通りには進まないと分かりつつ、貪欲さを手放せないでいる。



2021シーズンまで70日を切った。オープン戦はもうすぐそこに見えている。



物事は自分が思った通りには進まないということを、25年間で何度も経験してきているのに、人は貪欲さを手放すことが出来ない。



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本当は、3月、札幌に行こうと密かに計画を立てていたが、今回は今の現状を踏まえ断念せざるを得ない。



「今回は」というより、2020シーズンもかなり回数を減らした野球観戦だった。結局一年を通して北海道で試合を見られたのは3試合だけだったし、関東へ見に行くことが出来たのも10回未満。それ以外は全て映像という、悲しい趣味の終着点だった。


選手が自主トレの風景をSNSにたくさん投稿していて、新シーズンの近づきを日々感じている。が、状況は下手したら去年よりも悪い。とてもじゃないが、都内から飛行機に乗れる現状じゃない。



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我慢をしなければいけないと理解はしつつ、我慢をこれ以上したくないという本能。私の信じてきた正義はどこへ行ったのだろうか。そもそも私がもともと持っていたそれは、どちらの正義だったのだろうか。



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冒頭に戻るが、


物事は自分が思った通りには進まないということを、25年間で何度も経験してきているのに、人は貪欲さを手放すことが出来ない。去年今年のこの状況に限った話ではなく、十人十色のアイデンティティやフェアじゃない立場。何もかもが混ざり合い、まっすぐ走る事は疎か、歩く事も立ち止まることも難しい。


でももし、その貪欲さを手放してしまったら、それこそ私の手には何も残らない。毎日のルーティン化、心が弾む出来事のない日々を過ごし続けるなんて、そんなの試練でしかない。



だから、いっそのこと

思い通りにならないことが当然で、その度に動じてしまうことも当然で、悲しむことも怒ることが増えてしまうことも当然だと、全てを受け入れてしまうことが、唯一の共存なのかもしれない。



起こってしまうことは仕方ない。誰も悪くないのだから。



誰が悪いのかなんでわかりっこないのだ。



その代わり、ゆっくりで良いから受け入れよう。



様々な感情に支配される自分を。

札幌に本当は行きたくてしょうがない自分を。

野球が見たくて今が退屈な自分を。

一人で寂しくてたまらない自分を。

良い方向に足並みが揃わない世間を。




痛みを全て手放して、それをゆっくり自分のもとに引き戻し受け入れられたなら。そしたら何かが変わればいいのに。



やけに暖かい1月は、幸福なのか不幸なのか。

その答えがわからないように、明確な答えがあることの方が少ないのだ。







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