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【自分は何者なのか】それは人生のターニングポイントにて

どうやら今日で、note一ヶ月目を突破したようです。通知が来ておりました。今日も書くことができる喜びを、噛み締めたいと思います。さて、そんな記念すべき今日は初心に戻り、自分という存在の本質について語りたいと思います。「自分は何者なのか?」について。結論からいいますと、自分だけが知っています。

なぜ自分探しをするのかを考える

実は本日、ありがたいコメントをいただきました。要約させていただきますと、「自分が何者なのかずっと考えている」とのこと。私は31年間生きてきましたが、私も常に考えています。いえ、考えさせられます。でもこれって、ある時から始まったなと気づくのです。私は社会人になってからでした。何が言いたいのかといいますと、「自分とは何者なんだ?」と疑問から、自分探しの旅が始まったということ。

何かのターニングポイントがある

自分探しというのは、人それぞれのタイミングで訪れるものだと思います。早ければ早いほどいいともいえますが、同時にそれは絶望でもあります。例えば、中学生の時に、本気で人生に絶望したとします。だからこそ、深く深く生きる意味を考えたりします。そういう人は強いです。他の中学生とは違います。生き方が変わってきます。これは、私の知人の話なんですけどね。この人は20代後半で経営者になりました。

私のターニングポイントはいじめ

私の場合ですと、いくつかのターニングポイントがあります。高校一年生の頃、いじめられ、不登校になりました。生きる気力が出なくなり、けれど復帰できました。その時にはもう、昔の自分とは変わっていました。自分で言うのも変ですが、精神が周りの子と比べて成熟していました。同時に、馴染めなくもなりました。視点が違うから。物事を深い視点で見られるようになりました。他にも、まだまだあります。詳しくは下記の記事をご覧ください。

人生に躓(つまず)いた時に起こること

何が言いたいのかといいますと、自分探しのスタートは、それに至るまでの何かトリガーがあるからなのです。順風満帆であれば、深く絶望したり、困難に苦しんだり、自分の存在に悩みを抱くことはないでしょう。自分探しなんて、別にどうでもいいですよ。そうではないからこそ、自分を見つめ直すのです。だから、「自分は何者なのか」と疑問を持つ。当然のことです。それでいいと思います。

私は10年以上の回り道をしてきました

そんな私は、大学生頃から30歳前までの約10年、自分のことがわからずに生きてきました。人生に躓き、心を病んだこともありました。そんな私が右葉曲折して、今現在の自立した自分に成っています。何が言いたいのかというと、自分は何者なのかという問題から逃げ、ずっと回り道をしてきたのです。

できるまで、同じことは繰り返されるんだ

私は先ほど、何度かターニングポイントがあったと言いました。一番最初は、高校一年生の時です。あの時は乗り越えたものの、本質は乗り越えてはいませんでした。それはあとからお伝えしますが、私は大学生頃からまた躓きます。社会人になってからは何度も。転職も繰り返しました。当時は必死でしたが、今振り返れば、すべて同じようなものです。本質的には、私は嘘の自分ばかり演じてきて、自分で自分をいじめていました。

気づかないという逃げループに陥らないで

ターニングポイントは、何度だって訪れます。それは決して喜ばしいとは限りません。クリアできないことは、また違う形で人生に現れるからです。多くの人は逃げます。逃げたつもりがなくとも、まともに向き合わずに、嫌な出来事や困難とみなして、真正面から向き合いません。忘れた頃に、またやってきます。その繰り返しなのです。私はそれについて、31歳の今気づきました。

何者なのかは、自分自身がすでに知っている

ここで冒頭の「自分とは何者なのか」について。結論からいいますと、自分がすでに知っています。それを教えてくれるのは、先ほどお伝えしたような、人生のターニングポイントです。言葉だけをきくと、何やら素晴らしいサプライズかのような、お祝いのような、記念のような幻想を抱きがちですが、それはただの喜ばしいことなだけ。本質は、自分と向き合うべき問題です。自分という本来持って生まれた性質とは、かけ離れた状態だからこそ起きたものです。その中に、自分は何者なのかの答えは隠されています。

だから、自分自身に問いかけてみる

人生で大切なことは、自分への問いかけだと思っています。なぜなら、私はそれを繰り返してきたことで、少しずつ自分を知ることができたからです。具体的なやり方としては、紙に書き出しました。究極は、何だっていいです。ふと思ったことや、ピンとした言葉を書き写すなど。それだけ。正直、これが意味あるのかどうかもわかりません。けれど、やるだけやる。その繰り返しの中で、自分を見つけていきます。このように、丁寧に自分と向き合っていくことです。案外、思ってもみなかった自分に気づくのかもしれません。

【さいごに】自分を深掘りしていく中で

自分のことは案外知らない、この言葉は本当だなぁと気付かされます。私は今現在、ライターとして働いています。趣味もライティングで、書くことがすべてです。そんな私は、3年前まではライティングのラの字もありませんでした。でも、今にして思えば、私は小学2年生頃から、たくさんの書き物をしていました。

小説は小・中の時にずっと書いていました。学校では、小・中・高すべてでコンクールに入賞してきました。それほど好きだったのに、社会人の頃には忘れていました。それくらい、自分のことを見失っているのです。小さなこと、昔のことに気づくのも、また自分探しなのかもしれません。

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