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原田マハの「楽園のカンヴァス」は再び私を美術鑑賞へと誘なう。

本を読んだことをきっかけに、ある世界へ興味を持つことはあるが、原田マハの場合は、その世界への強烈な吸引力を持つ。この作家のストーリー作りのうまさや、読者を引き込む文章の表現力さもさることながら、描く世界へ読者を完全に誘う力がある。

「キネマの神様」は名画座で映画が見たくなる。「本日は、お日柄もよく」は人前で言葉を発したくなる。そして「楽園のカンヴァス」は美術館へ行きたくなる。名画を描いた作者の心情を知りたくなる。カフーを待ちわびて」は沖縄(物語の舞台は沖縄の北東にある島)へ旅したくなるのではないか。それともけがれなき恋をしたくなるか。



この小説はアンリ・ルソーという画家と、その作品、人物に惚れ込んだ人々の物語である。ルソーという名を聞いて私の拙い知識ですぐに思い浮かべるのは受験時代に勉強した思想家のジャン・ジャック・ルソーだ。画家のルソーはその名を聞いたことがあるだけで、どのような作品を描いていたかは全く知らなかった。

アンリ・ルソーの生きた時代背景、当時の芸術家たちの暮らしぶりや苦悩、そしてルソーの生き様を物語とはいえこれほどまでに読者にリアルに語りかけてくれる小説はないのではないか?読者の誰もがアンリ・ルソーに興味を持ち、彼の絵を見たいと思ったはずだ。私もこの物語を読みながら、出てくる作品を携帯やPCで Google検索しながら読み進んだ。「ルソーの「夢」はもちろん、ピカソの「アヴィニョンの娘」など。かつて絵画への興味を掻き立てられ、よく美術館へ足を運んだ時期があった。この物語を読んでまた行きたくなってきた。名画、名作と言われるものを目の前で見たくなってきた。

やはり芸術、特に絵画はそれを描いた作家の境遇、思想、時代背景、そして当時の潮流などを知って鑑賞すると理解が全く違うであろう。作品そのものが美しいとか、綺麗な色使いだとかは感じても、その時の作家の心情や置かれた境遇などを知った上で見ると、よりそこに描かれたパッションを感じることができる。

振り返ってみると私が初めて美術鑑賞に興味を持ち始めたのは、当時の日経新聞日曜版に連載されていた「美の美」というコーナーである。このときの切り抜きを今でも保存している。印象派やゴッホ、マチスなども取り上げられていた。その中で真っ先に興味を持ったのは浮世絵である。特に葛飾北斎は数回に渡って紹介されており、同時期に東京国立博物館で北斎展も開催された。2005年の秋であった。


休日の朝早く上野へ出向き、混み出す前に作品を見てしまおうと勇んで国立博物館の前に並んだ。観賞後は安くはない図録を購入し絵葉書のセットも購入した。しばらくは北斎はじめ、他の浮世絵作品を見たり、高橋克彦などの浮世絵を扱った小説を読みあさった。

マチスを知ったのも日経の連載だった。わずがな単色だけで描かれた「ダンス」を初めて新聞で見ただけで、その躍動感に圧倒された覚えがある。「美の美」の連載には印象派も掲載されていた。かつては意識せず見ていたマネやルノワールの作品を意識して見始めたのも日経の日曜版がきっかけだった。

デシダルの手軽さと便利さの誘惑から日経デジタル版に変えて10年近く経つ。日曜版とか、出版の広告はとんと見なくなった。しかし、この「楽園のカンヴァス」を読み終えて感じるのは、また美術館に行きたい、名作を目の前で見たいということだ。

原田マハは、彼女の専門である美術関係の小説の扉を開けたと言われている。それは取りも直さず読者の心に対するアートへの誘いである。私もしばらく忘れていたアートを観る、という心の扉を開けられてしまったようだ。

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