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ゆっくりじっくり、味わい尽くす

ペースを乱されるのが嫌いだ。
人はそれをマイペースと呼ぶ。

やらなきゃいけないことにまくし立てられると、イライラしてしまう。
だから何事も、主体的に楽しむようにしている。


自分のペースを乱す代表格。
それがネット。

ネットはスピードが速すぎる。
それゆえに、情報量も多すぎる。
その質はともかくとして…

洪水のように押し寄せる情報の波に圧倒される。
その流れの中に身を置いていると、あっという間に知らない所まで流されてしまう。

ハプニング的に人生を楽しみたい人にとっては、それでもいいのかもしれない。
そういえば、ジェットコースターもあまり好きじゃない。(関係ないか…汗)


スローダウンすることで、あらゆることを、ゆっくりじっくり、味わい尽くしたい。
そうやって何かに没頭している時間がたまらなく好きだ。

次から次へと飛び込んでくる、好奇心を刺激するものに、飛び付いて回っていると疲れてしまう。
だから、集中力を途切れさせる類いのものは、なるべくシャットアウトしている。


思えば、幼い頃からそうだった…。
家族みんながそんなタイプだったから、我が家ではそれが普通だった。

基本的に、それぞれのやっていることには干渉しない。
みんなで集まって何かをすることが極端に少なかった。

ちなみに、家族構成は父・母と男三兄弟の5人家族で、自分は末っ子だった。

一度スイッチが入ると、飯を食うのも忘れ、眠ることも忘れ、ただひたすら熱中する。
それに対して誰も咎めない。
お互いに、そういう時間の価値をわきまえていたし、尊重もしていた。

母親に至っては、自分の都合、タイミングで飯を作り、「ごはん、できたよ〜!」とだけ伝えてくる。
その時に食うか、あとで食うか、はたまた食わないかは、それぞれの自由。

そもそも、母が何かに集中している時は、飯も作ってくれない。
そんな時は、自分で食べれそうなものを見繕って食べる。

日常のあらゆることがそんな感じだった。
同じ家に暮らしているけど、それぞれが好きなことを、マイペースにやっている。
何かを強要したり、されたりすることはほとんどなかった。


結婚して子供が生まれてからは、連休になると、新潟の上越にある、妻の実家に行くことが多くなった。
妻の家にとっては初孫だったのもあり、子供達をものすごく可愛がってくれるし、子供達もそれを楽しみにしている。
自分達夫婦も、ヘタな行楽地に行くよりも疲れないし、色々な意味でラクできるので、そうしている。

そうやって、人の家のペースに触れるようになって気付いた。
「家によって、こんなに違うんだ…」
その違いは、地域性による文化、風習、生活様式もさることながら、家族間の関係性の違いの方が、インパクトが大きかった。

「郷に入りては郷に従え。」
始めの頃は、何かと干渉してくることで、居心地が悪かった。
でも、「そういうもんだ。」と受け入れてからは、あまり気にならなくなった。
それはそれで非日常体験として楽しめている。
自分と子供達にとって妻の実家は、十分にアミューズメントパークとしての役割を果たしてくれている。

今年のGWは、コロナの影響もあって、上越には行けなかった。
何年かぶりに、遠出せずに、妻と娘と息子の4人だけで、ゆっくりとした時間を過ごした。
人のまばらな公園に行き、家族だけでのんびり遊んだ。
同じように、ステイホームすることに耐え切れず、遊びに来ていた家族がいたけれど、みんな気を使って、それぞれの距離を保っていた。


ネットの世界は、興味・干渉と無関心が入り乱れて、飛び交っている。
実態と実感もなく、それぞれの距離感やペースも感じ取ることが難しい。
無限であるがゆえに、満たされることもない。
そうやって無間地獄に呑み込まれ、ただ流され、自分の足で立つことを忘れてしまうのかもしれない。

そうやって、流されることが日常化してしまった人を見ると、我にかえる。

これからも、マイペースに自分の道を進んでいこうと思う。
自分にとって心地いい、歩くスピードは人それぞれだ。
早く行きたいなら走ればいいし、疲れたら止まって休めばいい。
そうすることで見れる景色、感じるものを大切にしたい。

ゆっくりじっくり、人生を味わい尽くす。

今の時代、これが1番贅沢なことなのかもしれない。
いや、いつの時代もか…。

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