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関心領域 The Zone of Interest

映画「関心領域」を観てきました。
最初に申し上げます。関西では1館(西宮OS)のみで上映され、しかも昼間1回のみということで、もっと上映する館数も回数も増やすべき映画なのになあと思っておりました。しかし、この映画の日本の配給元のサイト(https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/)を確認したら、数多くの映画館で日に数回上映されていました。TOHOシネマズのサイトからしか検索をしなかったので、そのように思ってしまったようです。自分の関心領域が狭いことを知らされる話です。
ということを掴みにしたいわけではないのですが、人間は見たいものしか見ないし、見たもの以外の世界があることに想像を及ぼすことは難しいし、見たところでおかしいなと思っても何かの間違いだという正常性バイアスからは逃れられません。人間が経験してきた中でもかなり究極と呼んでよいこのケースにおいても、そういった人間の認知と行動は実施されてしまうのだということを示す映画でした。

ここからは具体的な映画の内容の話になりますので、ネタバレを含みます。

舞台はポーランド南部のアウシュヴィッツで、時期は第2次世界大戦中です。配給会社のサイト(https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/)では「時は1945年」とありますが、前年の1944年に独ソ戦でドイツ軍は敗走し、1945年1月27日にアウシュヴィッツ強制収容所はソ連軍によって解放されますので、何も知らない(強制収容所の中で何が行われているかが関心領域ではない)人間であっても、1945年のアウシュヴィッツで平穏に暮らすことはできないはずです。アウシュヴィッツ強制収容所が作られた時期や「東方生存圏」の思想に基づいてアウシュヴィッツにやってきたという設定からも、1941年から1943年頃なのではと思えます。
さて、舞台はアウシュヴィッツと申し上げましたが、世界遺産に登録されているアウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所ではなく、塀を挟んだすぐ隣に邸宅のある家族の日常が淡々と描かれています。塀の外では緑豊かな広い庭のある邸宅で司令官の家族はゆうゆうと暮らし、隣にそんな施設があることに関心はありません。興味を持っている鳥のさえずりには聞き耳を立てられるのに、収容所からの煙や騒音、叫び声や怒鳴り声(働け!ってドイツ語で叫んでましたね)、はたまた銃声と思しき乾いた音、それらに興味を示すことなく司令官を除いた司令官一家の生活は平穏そのものです。すぐ隣で斯様な残虐行為が行われていたことを知っていたのであれば、心穏やかにその隣で生活することなどできようはずがありません。この地を訪ねてきた司令官の妻の母親は隣の収容所の尋常ならざる何かに気が付き、こんなところには居られないと帰ってしまいますが。要するに隣の収容所は自分たちの「関心領域」ではないのです。たとえそれが運び込まれた囚人から略奪した肌着が配給されてきたところで、その肌着がどのようにしてここにあるのかに思いをはせない限り、興味は持てないのでしょう(たぶんそんなシーンがあったはず)。ところで、遊んでいた川に白いものが流れ込んできたことに気が付くと即座に川から上がり、自宅で完全に洗い流そうとしていたのは何だったのでしょうか?毒ガスとして使ったツィクロンBを含む廃棄物が流されてきたのでしょうか。ということで、そのことについてだけは平穏な生活を送っていた人たちもわかっていたのでしょうか。
アウシュヴィッツ強制収容所で働く司令官とて、強制労働させることができる囚人を確保し、分類し、強制労働が難しいと判断した囚人は効率的処分(つまり虐殺)するためにどのような施設が必要かということを考えており、そこに「人間の命」という概念は挟まれていません。「経済的」「効率的」に物事を処理し、処理能力の高さを認められることで組織内で出世することを願っています。ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」「思考停止」がそこにあります。つまり司令官にとっても「関心領域」は収容所で行われていることではないのです。
この映画の冒頭では、放送事故ではないかと思えるような暗黒の画面のまま音だけが聞こえるシーンが数分続きます。また、途中でもそのような画面は暗黒や真っ赤で音だけが聞こえたり、半端ない重低音が奏でられる演出がなされています。それが何を意味するのかは鑑賞者の考えに委ねられているのでしょう。タイパ重視で倍速で観る人には決して気が付けない演出です。更には現在のアウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所にある博物館のシーンが出てきておりますが、かつてのガス室を日々掃除したり、死体焼却炉を丁寧に拭いたり、展示品のショーウインドウのガラスを磨いたりするシーンもあり、そういった現在の中の人が淡々と「仕事」をしていることも何かとの対比を考えたものなのかもしれません。

最後に、6年前にアウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所を訪問した際に撮影した写真を数点あげておきます。囚人から奪い取ったボロボロのものが残され、うず高く積まれています。こんな価値のないものをどうして残しているのかという素朴な疑問が湧きあがりますが、その答えにたどり着くには「金目のものはさっさと処分したけど、価値のないその他大量のものは処分する優先順位が低かったから残っただけ」という生存バイアスに気が付くことが必要です。

強制収容所のガス室で毒ガスとして用いられたツィクロンBの空き缶


囚人から奪い取ったかばん


囚人から奪い取った靴


囚人が使っていた義足や松葉杖


映画では開館前に丁寧に拭かれていた死体焼却炉


映画では開館前に掃除されていたガス室


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