追悼とフォトブック。「写真を記録する」ということ
この世からいなくなった瞬間に永遠になる。
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おじいちゃんとおばあちゃんが落ち込んでいるとのことだったので顔を出した。その時に、しまうまプリントで簡単なフォトブックを作って渡してみた。あまり写真が無かったので、過去に撮影したものをなんとか引っ張り出して構成した。
これを作ろうと思ったのは、入籍の時に撮影した家族の写真を贈ったらとても喜んでもらえたからだ。「暇な時はつい何度も読んでるよ」と言ってもらえて、情緒的な写真を撮るねと何度も褒めてもらえた。こんなに自分の作品を喜んでもらえてそれを実感できる機会というのはなかなか無かったから私もとても嬉しかったし、私のできることで喜んでもらえるなら…実の孫ではないけど、何かしら元気付けられたら…と思ってこの冊子を作ろうと考えた。
正直作りながらも、本当に渡していいのかどうか迷っていた。
これを渡したら、おじいちゃんとおばあちゃんは余計に悲しくなってしまうのではないか…
色々と言葉を選んで少しだけ入れたけど、写真だけの方が良いのではないか…
涙を誘いたい訳ではなかったのだけど、この子がいつもおじいちゃんとおばあちゃんの側にいたこと、そしてこれからも心は側にいるよということを伝えたくて作ったら、なんとなく涙を誘う内容になってしまった。
それでも孫である夫に確認すると、「泣かせてしまうかもしれないけど、せっかく紡いだ言葉を消してしまうのはもったいないよ。このままでいい。喜ぶと思うよ」と言ってくれたので、実の孫の言葉を信じて渡すことに決めた。
結果、喜んでくれたと思う。ありがとうと言ってくれて、写真(遺影)の側に飾ってくれた。おじいちゃんは、ちょっと泣いていたかも…おばあちゃんは繰り返し読んでくれていた。善意の押し付けになってしまったかな。今でも正解だったかどうかは、正直わからない。
わからないけど、写真の本来の役割ってそういうものだと思っている。
現在の瞬間を未来に届ける。過去と現在をつなぐ。写っている人や写した人の心情に、未来から想いを馳せる。自分や写した人がいなくなってしまっても、後世にその記録を残していける…記憶を保存していける。
誰にでも簡単に撮れる時代になって、写真は日常にあふれかえるようになった。
それでも私は、写真って本当に尊いものだと思う。
「記録する」という観点から言えば、データよりもプリントの方が適していると思う。今回のようにご年配の方には紙の方が見やすいだろうし、端末に依存するモニターと違って、紙であれば見る環境によって作成者の意図が伝わりにくいという状況を比較的避けられる。手に紙の温度が残るし、物として実感できる。もっというならネガプリント(プリントしたフィルム写真)。災害で埋もれたり流されたりしても復元できる可能性が高い。
今回みたいに言葉とともに写真集にしたら、それだけで作品にもなる。しまうまプリントのフォトブックは最安200円程度で上記のような写真集が作れてしまうので、あまりお金をかけられない人にもとてもオススメだ。
だけど一番はそういう形式にこだわらず、とにかく写真を撮って残すこと。デジカメでもスマホでも写ルンですでもなんでも良いと思う。記念日はもちろん、日常の大切な瞬間を記録して保存しておくこと。データならgoogle photoとかのストレージサービスを利用すれば、スマホの機種変更を繰り返しても継続的に記録し続けられるかな。(サービスが終了しない限り)
こうしたことは私が写真が特別好きだから思うことなのかもしれないけれど。結婚して家を出る時に自分の小さい頃の写真を見て「自分も愛されていたんだな」と実感することができたり、友人の結婚式で昔の写真を見てこんな風に育ってきたんだなと人生を垣間見ることができたり。母からの願いで、祖母のお葬式では簡単な写真と共に祖母の作った短歌集を作って配ったりもした。こうやって節目の度に写真は役立つ。誰かの過去や亡くなった人とも繋がっていられるような、そんな気分になれるのだ。
だから自分のためにも、自分の身近な人のためにも、写真は残しておいて損はないと思うのです。
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思ったことや考えたこと、感性を忘れてしまうのが怖いです。
写真と文章で今の自分が見たもの、感じたものを残しておきたくて
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読んでいただきありがとうございます!何か心に引っかかるものがあれば嬉しいです。