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祖母と編む

6月に亡くなった祖母は、棒針がついたままの編地を遺していったので、私はそれを編み継ぐことにした。

祖母、エーコさん

私の祖母、エーコさんはかぎ針も棒針も使いこなす人で、私にもよくマフラーを編んでくれた。彼女から直接教わったわけではないが、私が編み物をはじめたのはエーコさんの影響も強い。

亡くなった日、エーコさんはまったくいつも通りの一日を過ごしていた。祖父と一緒に洗濯物をたたんでいたとき急に倒れ、そのまま意識が戻らなかったそうだ。
報せを受けた私は、まったく実感のわかないまま新幹線に飛び乗って葬儀に向かった。棺に入れるために用意されていた、彼女が好きだったお菓子や洋服の傍らに、毛糸玉と棒針が刺さったままの編地が入ったビニール袋を見つけた時、思わず「これ、続き編むよ」と言っていた。彼女の命が急にぷっつり途切れてしまったことを、自分なりに埋め合わせようとしたのかもしれない。

とはいえ、その時袋に入っていたのは台形に長方形がくっついているような大きなパーツと、三角形に近い小さなパーツが2枚だけ。完成形は何かしらのトップスで、大きいパーツは後ろ身頃だろうな、という見当だけはついたが、小さいパーツが何なのか分からない。
エーコさんは基本的に本を見たりせず自分でデザインして編む人だったので、編地から何を編もうとしていたのか類推するしかなかった。
とりあえず『セーターの編み方ハンドブック』(日本ヴォーグ社, 2018.)を買ってはみたものの、ぱらぱらめくってみてもやっぱり分からず、自宅に帰ってから途方に暮れた。

幸いなことに、Twitterでつぶやくとたくさんの方が「こう編むのでは?」というアイディアを寄せてくださった。これらのご教示がなければ、編地はずっと箪笥の奥底に眠ったままになっていただろう。あの時リプライでメッセージくださった方々、本当にありがとうございました。
その中で「ラグラン袖のカーディガンが完成形で、小さなパーツは左右の前身頃では?」とご指摘いただき、確かに小さなパーツの幅はちょうど後ろ身頃の2分の1だし、『セーターの編み方ハンドブック』に載っているラグランカーディガンの作り方とも近そうだったので、その方針で行くことにした。

次は、既存パーツのない袖部分をどうするかだったが、これもどうしていいのか独力では全く分からなかった。そこで、編み物教室に参加して、講師の方に教えていただきながら見様見真似で図を描いた。(減らし目の段数・目数を求める平均計算の方法というのをこの時教えていただいたのだが全然理解できず、改めてもう一度勉強したい……)
「とりあえずラグランカーディガンを編みたいし編地も途中まではある、でも参考になる編み図や写真は無い」みたいなふわふわした生徒が来て講師の方も困惑しただろうと思うのだが、とても丁寧に教えていただけてありがたかった。

おおらかに編むための技術

なんとか製図もできたので、そこからはひたすら各パーツを編み進めていった。

編み物では、同じ号数の針・毛糸を使っても人によって仕上がりサイズが違うことがあるので、
今回はエーコさんと同じサイズで編めるかテストした。
たまたま一発目でサイズが揃って嬉しい。

当初は何を編むつもりだったかさえ見えていなかったが、実際に編み始めてみると、編地にたくさんの工夫が凝らされていることに気づいた。

例えば、減らし目の処理は単純に2段ごとに1目減らすようになっているので、表編みをするときに必ず減らし目をすることを念頭におけば間違えることはない。
また、後ろ身頃と左右の前身頃が途中まで編まれていたのは、それぞれの減らし目の段数を合わせ、あとはざくざくまっすぐ編み進めればいい、という状態まで「下ごしらえ」しておきたいという意図だろう。
首部分から編み進めるというやり方も、そういえばエーコさんが昔「裾から編み始めるより、首から編んだ方が丈の調整ができていいのよ」と言っていた気がする。

初めて編地を目にした時、よく段数カウンターとか目数リングも使わずに編めるなあと思ったものだが、なるべく細かいことを考えずに編み進められるようにエーコさんの脳内で編み図が設計されていたのだろう。決して華やかな模様編みが使われている編地ではないけれど、長年の経験に裏打ちされた技術が詰まっている。

エーコさんの編んだ部分にはところどころ白髪が引っかかっていて、彼女の存在を感じた。

エーコさんはこの数年「もう編み物はだめよ、目がよく見えなくなっちゃったから」と言うばかりで、私はそれが少し寂しかった。だが、それは誰かにあげるために気合を入れた「ハレ」の編み物の話で、ちょっとしたものを自分や夫のために編むような、いわば「ケ」の編み物はずっと続けていたんだろうと思う。
「そういえば、ばあちゃんは『棒針の方が手元見なくても編めるのよねえ』って言ってたなあ」と編地を見た父が述懐していた。それめっちゃ分かる、棒針っていったん作り目しちゃえば、ややこしい模様編みでもなければ結構テレビとか映画観ながら編めるよねえ、ともうそこにいないエーコさんに思わず共感してしまう。(ちなみにこのカーディガンはゲーム「ファイアーエムブレム風花雪月」のイベントシーンの間に編んでいる。エーコさんがその様子をみたら多分、「んまあ、ゲームばっかやって」と眉をひそめるだろうけど。)

完成

編みあがったカーディガン

編んでいるうちに2か月がいつの間にか過ぎていたが、なんとか完成した。出来上がってみると隠したい部分がたくさんある。緑色の糸が足りなくなったので急遽買い足した毛糸が思ったよりビビッドで元の色と浮いているとか、身頃の部分に編み足した茶色のリブ部分が(段数を揃えたはずなのに)なぜか長さが違うとか……。行き当たりばったりで編んだのがよく分かる仕上がりだ。
とはいえ、一つ作品が完成したときはいつだって嬉しい。祖父用といいつつ自分で羽織って写真を撮ってみたりして。

完成したカーディガンは、お盆に帰省した折に祖父に渡した。出来栄えに自信もなく、押し付けのようにならないか最後まで不安だったが、祖父は「気に入っちゃったよ」と言ってくれたのでとりあえず胸をなでおろした。同じタイミングで、祖父はエーコさんが編んだベストを私に渡すために持ってきてくれていたので、ちょうどカーディガンとベストを交換する状況になった。

祖母の編んだベスト

受け取ったベストは、棒針で身頃を、縁飾りをかぎ針で編んだ端正な仕上がりだった。ボタンホール一つとっても私が編んだカーディガンの不格好な穴とは違う。なんだか、改めてエーコさんの「お手本」をもらったみたいだった。まだまだ彼女には追い付けないけれど、これから長くやっていけばいつかはきっと……と、一つ編み終えたばかりの舞い上がった頭ではそう思える。

エーコさんと編む

エーコさんの編地を編み進める過程はずっと手探りで、正しい完成形も今となってはわからない。けれど、エーコさんが何を作りたかったのかを考え、彼女の編地からヒントを読み取ろうとした過程は、間違いなく私にとってはエーコさん「と」一緒に編む経験だった。

エーコさんと私は、毎週末電話をしていて、そこそこ交流のある祖母と孫だったと思う。だが、編み物に関して突っ込んだ話をすることはなく、「お仕事は順調?」「うん大丈夫、そっちは体調どう?」というやりとりがほとんどだった。祖母として孫のことを心配してくれていたのだろうが、私はいつもどうしても彼女の前では「元気でいなければ」と身構えてしまい、うまく話すことができなかった。
カーディガンを編みながらずっと、エーコさんと普通に友達になりたかったな、と思っていた。家族にならなければよかったということではないけれど、祖母ー孫という関係をいったん外して、「棒針とかぎ針どっち派?」「次の秋は何編む?」「なっがいマフラー編むの、正直途中で飽きない?」みたいなことを話したかったと今更後悔する。
でも、エーコさんと編みながら、ニッターとしての彼女の思考を少しだけ辿ることはできたかもしれない。エーコさんの編地が教えてくれた技術は私の中に息づいている……と嬉しい。

そろそろ夏が終わる。秋冬に向けて何かを編み始めるのにいい時期だ。次は何を編もう?

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