不幸になる現代人

心の不調を訴える人が急増している。しかもそれはコロナ疲れという言葉で片付けられる増加率ではない。日本全国においてコロナ前の2017年の時点で、外来を受診した患者数はその10年前の約2倍に上り、うつ病や統合失調症などの精神疾患の患者は年々右肩上がりである。また、並行して増加しているのが虐待の件数だ。児童相談所が対応した件数は、2020年に20年前の約12倍近くに上った。ここ5年で見ても2015年が10万件だったのに対し、年を追うごとに増加し、2020年には全国で20万件と倍の水準に達した(*1)。もちろん、相談所が普及したことや、認知が進んだということもあるだろうが、それだけでは説明しきれない数字である。次世代を担う子供にまでに問題が派生しているのだ。

経済活動が進み、快適になったはずの社会なのに、なぜこのようなことが起きているのだろうか。時間と労力を節約するために、様々な電子機器が発明され、多様なサービスを利用できるようになった。母親が家で子の面倒をつきっきりになって見ていたかつてから、保育システムの充実により、乳飲み子がいても女性が仕事を掛け持ちする時間ができた。便利なツールを使って効率よく多くのことをこなす、そんな時代を我々は今生きているのだ。しかし、そこには致命的な落とし穴がある。それは、ここ近年急速に変わったのは我々を取り巻く環境であって、我々自身ではないということである。人間の進化は数万年かけて成されるのであり、狩猟や採集をしていた一万年前から、我々の脳や遺伝子レベルは変わっていないのだ。つまり、本能的には、狩りに出て、稲を育て、家族や地域といったコミュニティで支え合いながら生活するようにプログラムされている人間が、利益を追い求め、一人で複数の役割を抱え込み、孤立して生活しているのである。その副作用として、身体や心の不調が出るのは当然の結果と言える。

経済的に豊かになればなるほど幸せから遠のくというのは、皮肉な話である。アメリカの例を見てみると、1962年にアメリカ小児医学会による「被虐待児症候群」の報告が初めて明らかにされ、衝撃が起きた。戦勝国で快適な生活を謳歌していたはずのアメリカで、子供を愛して守るはずの親が子供に暴力をふるってしまうというギャップが見られたのである。同時に、それまではないに等しかった子供の躁うつ病の報告症例が1960年代から見られ始め、数十年の間に珍しい病気ではなくなった。驚くべきことに、一部の研究によると、1994年から1995年までと、2002年から2003年までの外来受診者を比較すると、19歳以下の子供の躁うつ病が、40倍にも増えていたのである。人口比に換算するとわずか8年以内に0.025%から1%の有病率に増加したのだ(*2)。

その背景として浮かび上がるのが、1950年以降のアメリカでの女性の職場進出である。1960年代には女性が男性と同じ社会的・政治的・経済的権利を得られるべきという思想が強まり、女性解放運動が行われた。以降、子供を保育所に預けて両親ともに働くというライフスタイルが「今らしい」生き方として、急速に広まった。しかし、哺乳類、とりわけ最も複雑な脳構造を持つ人類は生きる上で健全な母子愛着が不可欠であり、母子が離ればなれになる時間があまりに早かったり、長期間だったりすると、その愛着が不安定になるリスクが生じる。特別な存在との絆である愛着は、人間が生きる上で心理的に必要なこと以上に生理的に必要であり、それなしでは生存の維持に困難が生じるほど、生きるうえで欠かせないのだ(*3)。親がいくら子に愛情を感じていても、他の役割との両立で気持ちが上の空になってしまうと、子供はそれを敏感に感じ取り、実質ネグレクト状態になりかねない。そういった要因で、愛されてないと感じ、愛着に障害を抱えてしまった場合は、その子は生涯にわたり生きづらさや自分らしくいることの違和感を感じ続けることになるのだ。働きながら安定した愛着を築くことは可能だが、子供が必要とする時に必ずしも側にいられないことや、養育者が頻繁に交代し、安定した養育者に頼れないことは、愛着を傷つける場合がある。愛着とは、世話をした時間に比例することも事実なのだ。こうした背景が一部の要因となり、女性の就職率の増加とともに、虐待率と子供の躁うつ病の有病率が並行して増加していった。

我が国でも多少の遅れをとりながらも同じことが起きているわけだが、この増加を止めるのはかなりの難題だろう。なぜなら、問題は世代を重ねるごとに深刻化していきやすいからだ。第一世代では、親は愛情を持っているものの、子供に関わる時間を十分に取れなかっただけかもしれない。第二世代では、親がすでに不安定な愛着を抱えていて、虐待のリスクが上がる。第三世代では、虐待を受けた親が、子供を育てるのである。

豊かさを追求し、目標に向かって努力した結果が、幸福になるどころか、我が子に愛情を注げずに、生きることにすら意味を感じさせなくなったとしたら、それはなんと悲しい道だろう。戦後、西洋で築き上げた合理主義的な社会は、我々から本当の幸福を奪ってしまったのかもしれない。競い合って際限なく利益を追求し、「ねばならない」といった強迫観念のために生きるのは、本来の人間の姿ではないのだ。集団でそれぞれが役割を持って生活し、困っている人がいれば手を差し伸べ、協力し合って生きていくのが本来の人間である。その本質は一万年前の先祖から変わっていないことを忘れてはならない。

参考文献
(*1) 厚生労働省データより引用
(*2) “National trends in the outpatient diagnosis and treatment of bipolar disorder in youth” Arch Gen Psychiatry. 2007 Sep;64(9):1032-9.
(*3) 岡田尊司「死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威」

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