アンティークコインの世界 〜ローマコインの名品を鑑賞しよう〜
ローマコインは二つの時代にわけられる。共和政期と帝政期のものである。共和政期は皇帝がいなかった時代、帝政期は皇帝が君臨した時代である。共和政期と帝政期では、コインのデザインが異なる。帝政期のローマコインには君臨中の皇帝の肖像が表されるのが原則とされた。一方、共和政期にはまだ皇帝が存在しないため、偉業を成した過去の英雄、神々、動植物、建築物などが主なモティーフだった。共和政ローマは王の登場を執拗に拒む社会だった。それゆえ、コインに存命中の人間の肖像が表されることはなかった。一人の人間に権力が集中することは、王の登場を許す危険性があるからだ。これをやって暗殺されたのが、かの有名なガイウス・ユリウス・カエサルである。彼は存命中でありながら、ローマコインにその肖像が刻まれた初めての人物である。だが、結果周囲に疎まれ、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスとマルクス・ユニウス・ブルートゥス率いる暗殺団に消されてしまう。
今回はそんな共和政期のローマコインから厳選した6枚を紹介していく。コインは多くの人間の手に届くメディアだった。ローマ人はコインが持つこの特徴を最大限に活かした人々だったと言える。これから紹介するコインにも、彼らの思想・思惑がふんだんに詰め込まれている。
共和政期のローマで前115~前114年に発行されたデナリウス銀貨。表面に都市ローマを擬人化したローマ女神、裏面にローマ女神がロムルスとレムス兄弟、養母の狼を見守る姿が描かれている。上空には2匹の鳩が飛翔している。鳩は愛と美の女神アフロディテを象徴するアトリビュートであり、すなわち双子の兄弟がアフロディテの血を引き、彼女の子であるトロイアの英雄アイネイアスの血をも引いていることを暗示している。
本貨はこの年代にしては珍しく、発行者の名が記されていない。通常、発行者たちは自らの名を刻むことで自身の存在感をアピールした。例外かつ発行者が不明という謎に包まれたコインだが、裏面のデザインが特に秀逸で目を惹く。ちなみに、本貨が発行されてから約200年近く経った後、ティトゥス帝がこのデザインを気に入ったのか、同デザインの金貨を発行している。
ティトゥスは善政を敷いた皇帝として評判が良かったが、ウェスウィウス火山の噴火等、国家の危機に直面し、心労からか即位してからわずか2年で他界した。その後、彼の弟ドミティアヌスが皇帝に即位したが、兄の死は弟の策略だったのではないかとも疑われている。真実は定かではないが、ドミティアヌスは暴君として知られており、そうした疑いを抱かれたのも仕方ないことだったのかもしれない。
共和政期のローマで前82年に発行されたデナリウス銀貨。発行者はガイウス・ウァレリウス・フラックス。ガリアのマッシリア(現在のフランス・マルセイユ)で発行された。本貨はローマ本土ではなく、属州総督(プロコンスル)のフラックスが駐留地のマッシリアで発行したものである。
軍の兵士に対する給与支払いや物資調達等に利用された軍用貨で、本貨はローマで初めて個人の名で発行されたミリタリー・コインだった。フラックスは後に独裁官となるルキウス・コルネリウス・スッラと同時代に生きた優秀な軍司令官で、ガリアを制圧するための遠征を担当した。
表面に勝利の女神ウィクトリア、裏面にローマ軍の旗章を表している。さらに裏面には、「C・VAL・FLA・IMPERAT・EX・S・C・H・P(最高司令官ガイウス・ウァレリウス・フラックス。元老院の法令と議員からの正式な承認を得て発行。ハスタティ、プリンキペス)」という銘文が刻印されている。
この銘文の内容はフラックスが後のガイウス・ユリウス・カエサルのように勝手にコインを発行したのではなく、正式な手続きを得て軍のためにしたことを証明している。ちなみに、ハスタティは新兵で構成された第一列兵で、プリンキペスはベテランの20代後半〜30代前半で構成された第ニ列兵の意である。
前63年にローマで発行されたデナリウス銀貨。発行者はルキウス・カッシウス・ロンギヌス。表にウェスタ、裏に投票箱に票を投じようとする男性が描かれている。ウェスタは家庭の女神で、ローマの建国者ロムルスの母レア・シルウィアはこの女神に仕える巫女だった。巫女たちは30年間結婚を禁じられ、ウェスタに奉仕する定めとなっていたなど制約も多かったが、演席の最前列が確保されるなど、いろいろな面で優遇もされた。
本貨ウェスタの首元には儀礼用の酒器キュリックス、発行者の名の一部である「L(LVCIVS)」の銘が刻まれている。ウェスタの図案は、発行者の祖父ルキウス・カッシウス・ロンギヌス・ラウィッラが前113年に三人のウェスタの巫女にかけられた裁判の解決に寄与した功績に由来する。裏の投票者は、ローマ市民の男性の正装であるトガを着用している。彼の手にはラテン語で「投票」を意味する「VOTA」の省略文字「V」を示す投票札が握られている。共和政を採用していたローマらしい図案である。また、投票者の周囲には発行者の省略名称「LONGIN(ロンギヌス)」と、「III V(貨幣発行三人委員)」という役職が確認できる。
ガリア戦争時に発行されたデナリウス銀貨。前55年、ローマ市内の造幣所で製造された。表面に戦勝トロフィーを背負うマルス、裏面にローマ軍の騎兵と敗北するガリア兵が表されている。ガリア戦争で戦うカエサルたちの活躍を伝えている。当時、誰の手にも渡る貨幣はメディアだった。本貨はローマ市民にガリア戦争の様子を視覚的に伝えるプロパガンダとして用いられた。
発行者はプブリウス・フォンテイウス・カピト。フォンティウス家はローマの有力氏族のひとつで、度々この氏族に属す者たちが貨幣を発行している。 示されたラテン銘文は以下の通り。表側の銘文は、「P FONTEIVS P F CAPITO III VIR(プブリウス・フォンテイウス・プブリウスの息子カピト、貨幣発行三人委員)」。裏面の銘文は、「MN FONT TR MIL(マニウス・フォンテイウス、軍団指揮官)」。
前48年にローマで発行されたデナリウス銀貨。発行者はルキウス・ホスティリウス・サセルナ。表にガリア人女性、裏に狩猟の女神ディアナと鹿が描かれている。表の図案は、ガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦争の勝利を暗示するもので、捕虜となったガリア人女性を表している。その表情は悲しげで、敗北した嘆きを伝えている。この図案はローマの圧倒的な武力をアピールしたものでもある。
ちなみにガリアとは現在のフランスに位置した地域で、長らくローマと争った。裏には鹿の頭部を掴む暴力的なディアナが描かれている。これもおそらくガリア戦争を象徴する図案で、ディアナがローマ、鹿がガリアを象徴していると思われる。すなわち、ローマがガリアを支配したことを暗示している。女神の周囲には発行者名の「L HOSTILIVS SASERNA 」という銘が刻まれている。ローマ史上最も重要なガリア戦争の功績を伝えた貴重な一枚。
対カエサル戦時緊急発行貨。共和政末期の最高司令官クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ(生没:前100~前46年)の名において発行されたデナリウス銀貨。彼がカエサルとの戦いに備え、布陣していた北アフリカの基地内で前47~前46年に造幣した。本貨は兵士の給与支払い、及び物資調達に利用された軍用貨だった。
表面にはローマの最高神で雷を司るユピテルの肖像、裏面にはカエキリウス・メテッルス家のシンボルである戦象の姿が刻まれている。彼の氏族は先祖がカルタゴの戦象を捕獲した功績から代々、象の姿を貨幣の上に描き続けてきた。
スキピオはカルタゴの名将ハンニバルを撃退したローマの英雄スキピオ・アフリカヌスの血を引く。だが、ローマ内戦時は戦象を率いてカエサルに挑むも敗北。その栄光は終焉を迎えた。本貨は消え行くスキピオ家の最期を語る秘宝のひとつである。
スキピオは、かつてから多くの政界人を輩出してきた名門カエキリウス・メテッルス家の出身だった。彼自身、先祖同様にエリートコースを歩み、優秀な軍司令官として活躍した。それを示すかのようにコインの上には「Q METEL PIVS(クィントゥス・メテッルス・ピウス)」、「SKIPIO IMP(スキピオ 最高司令官)」という銘文が打たれている。
ガイウス・ユリウス・カエサルはガリア遠征を成功させ、巨万の富と軍からの支持を得ると、ローマの侵略計画を実行した。その際、スキピオはカエサルを倒すべく、ポンペイウス側についた。ポンペイウスを筆頭に結成された元老院派(共和派)で、スキピオは中心的人物として活躍する。彼はカエキリウス・メテッルス家の象徴ともいえる戦象を用いた突進作戦でカエサルに挑んだ。象の皮は分厚く硬いため防御力に優れ、且つその突進は一瞬にして多くの兵をなぎ倒す威力を持った。このようにスキピオは類い稀な軍才を活かしてカエサル派の軍勢に対抗した。しかし、カエサルのほうが一枚上手であり、無念にもスキピオは敗北。カエサルは自軍の兵士に斧を持たせ、突進してきた象の足を一斉に切る作戦を命じた。これにより投入された戦象は次々に打ち倒され、主力兵器を失ったスキピオは敗走に追い込まれた。焦ったスキピオはスペインに逃れて味方と合流しようとしたが、敗走中にアルジェリアでカエサル派の軍勢に捕獲され処刑された。
以上、6枚の共和政期のローマコインを紹介した。ローマコインには権力や戦争を匂わせるものが多い。それはローマ人が栄光と誇りを何よりも重視した民族であること、そしてやはり軍事国家だったことに関係している。共和政期からローマは紛れもなく軍事国家であり、実は帝国時代に有していた属州のほとんどは共和政期に獲得したものだった。
帝政期に入るとローマコインは皇帝の肖像が刻まれることがスタンダードとなるから、形式的な要素が強くなってくる。そういった意味では共和政期のものの方がモティーフのヴァリエーションに富んでおり、面白いのかもしれない。もちろん、ローマ人はコインに面白さを求めるより、神々への畏敬や皇帝への崇拝を大切にしていたのだが。
To be continued...
Shelk
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