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誕生!『ぼくの生まれた日』/のび太、人生の岐路エピソード1

ついに大型企画発動!

藤子先生の代表作にして、最大のヒット作「ドラえもん」の主人公、野比のび太の、生誕から晩年までの生涯を追っていくという、藤子Fノート開始以来温めていたネタをついに開陳していきます。(・・とそんな大した話ではない)


小学生ののび太は、通常のドラえもんで描かれており、中学生ののび太については、先日全三回の記事を書き終えている。リンクは以下。


よって、「のび太、人生の岐路」と題したシリーズで、ドラえもんが来る前ののび太と、社会人となってから(おそらくドラえもんが帰った後)ののび太のエピソードを全9回に渡ってご紹介していきたい。

「スター・ウォーズ」サーガに倣って、のび太の物語を大きく3つの時代に分け、それぞれ3エピソードずつ書いていく。


それではさっそく「エピソード1」ということで、のび太の誕生にまつわるドラマを見ていく。

『ぼくの生まれた日』「小学四年生」1972年8月号/大全集2巻

「ドラえもん」では連載当初から、野比家の過去や未来へとタイムマシンで巡る話が断続的に描かれてきた。ざっと時系列で見ていくと・・

1970年6月『ご先祖さまがんばれ』
1970年6月『白ゆりのような女の子』
1970年11月『おばあちゃんのおもいで』
1971年1月『のび左エ門の秘宝』
1972年2月『のび太のおよめさん』
1972年8月『ぼくの生まれた日』
1972年12月『この絵600万円』
1973年2月『大きくなってジャイアンをやっつけろ』
1973年7月『ママのダイヤを盗み出せ』
1973年9月『ぼくを、ぼくの先生に』

1974年9月『赤いくつの女の子』
(太字は記事化済み)

少しずつのび太の過去・未来が描かれていることがわかる。まだ太字になっていない作品は、このシリーズで全て取り上げる。



冒頭、のび太がママに対して反発している。「勉強しろ」と同じことを言われるとやる気が無くなるというのだ。どの家庭でもありそうなやりとりである。

ママは「じゃ好きなようになさい」とのび太に一任するのだが、そこでのび太は「遊んでこよう」と出掛けようとするものだから、ママとパパに烈火のごとく叱られてしまう。

のび太は「あんなにひどく・・」と悔し涙を流し、

「僕はこの家のほんとの子じゃないんだ。どこかで拾われたんだ」

と騒ぎ立てる。本当の子供に対して、あんな酷い怒り方はしないというのである。

「ほんとのお母さま、どこにいらっしゃるのかしら」と涙ながらに祈り出したので、ドラえもんは「タイムマシン」で生まれた日に行って確かめてこようと提案する。


そこで向かった先は、10年前の昭和37年8月7日。なぜ10年前かと言うと、本作がだいたい10歳が読者の「小学四年生」掲載作品だったからだ。さらに初出掲載誌は1972年だったので、10年間となる1962年=昭和37年に向かったのである。

なお、本作が収録されているてんとう虫コミックスの第2巻は、1974年に発行されている。よって、単行本では昭和39年に向かったと記載されている点にご留意いただきたい。


10年前ののび太の部屋。ここはまだのび太のパパが使っていたようである。家はまだきれいだが、パパとママの姿がない。「親がいなくてどうして僕が生まれたんだ」と尋ねると、

「やっぱり拾われたのかねえ」

とドラえもん。これはもちろん、出産のため病院にいるのだとわかっての冗談だったが、のび太はこれを真に受ける。

さっきは自分は拾われた子だと言っていたクセにのび太は、ドラえもんの発言を聞いてワア~と号泣する。なんやかんやで、今の両親が実の親であって欲しいとのび太は願っていたということなのだ。


するとそこへ、ドタドタドタと若きパパが走って帰宅してくる。のび太に対して、「君誰?」と聞いてくるが、のび太は「自分の子供を忘れるとは」と反発。まだ生まれてもいないのび太がわかるはずもなく、ドラえもんはのび太を連れてその場を離れる。

パパは「生まれたという赤ん坊はどこにいるんだ」と大騒ぎ。出産の報を聞いて、会社を早退してきたのだという。今は父親の出産立ち合いは珍しくないが、本作執筆時は、いざ生まれるまで父親は普通に会社で仕事をしていた時代なのであった。

ドラえもんは影から「入院しているのでは」と話しかけると、「そうだっけ」と気づき、一目散に病院へと走っていく。さすがはのび太のパパ、かなりの慌てん坊っぷりである。


病院に着くと「おめでとうございます。男のお子さんですよ」と出迎えられる。まだこの時代は、出産するまで子供の性別が分からなかったのだ。

いよいよ赤ん坊との対面ということで、「ああ、どきどきするなあ」とパパ。後から付いてきたのび太も「僕も」とドキドキを共有している。ドラえもんが「どんな子かしら」と呟くと、のび太は「きっと今の僕に似て、玉のようなかわいい子だよね」と期待を胸を膨らませる。

パパはママの病室に入ると、ママに対して「大きいなあ!お母さんそっくり」とボケをかます。そして本物の息子を見ると、ウッヒョーとだらしないくらいにデレデレする。大げさではあるが、このパパの気持ちは大変によくわかる。


のび太とドラえもんも、ズカズカと病室に「見せて見せて」と入ってくる。ところが、赤ちゃんの自分を見たのび太は、「これが僕!?」と驚く。そして、

「しわくちゃじゃんか、まるでサルみたい」

と忌憚ない意見を述べてしまう。当然、息子をサル呼ばわりされて、激怒するパパ。追い出した後に、「あんなしつけをした親の顔が見たい」と怒りを露わにする。(親はあんただよ!と読者は総ツッコミ)


ドラえもんは「生まれたてはあんなもんだよ」とのび太を諭すのだが、けれど、のび太の反応も、一応分からないわけではない。

というのも、我が子ができる前は、生まれてすぐの赤ちゃんを見て、いきなりかわいいとは思えなかったからである。今でも出産直後の他人の子に対して、心からかわいいと反応できない自分がいる。(人の赤ちゃんを見せてもらった時は、大げさにかわいい~と反応するようにしているが)


ママはこの子の名前はどうするかパパに聞く。産前に性別が分かってしまう現代では名前はあらかじめ決めている家庭も多いだろうが、この時は男の子か女の子かは、生まれるまでわからない。よって、子供の名前も、産後に決めるものであった。

パパは「ちゃんと考えてある」と言って、「のび太」の名前を出す。病室の外でのび太は「もっとカッコいい名にしてほしいや」と愚痴っている。「本人の希望も聞くべきだ」と病室に入ろうとして、ドラえもんに止められる。

このエピソードを繰り返し読んでいる僕は、息子の名前を命名する時に、後になって子供に「もっといい名前だったら」と思われないようにと願ったものである。


パパはのび太の名前の意味を語り出す。

「健やかに大きくどこまでも、伸びて欲しいという願いを込めた名前だよ」

野比という苗字なので、のび太と合わせると伸び伸びということになる。パパはそういう意味合いを込めていたのである。

ただここで、そんな意味があったのかと驚く人もいるかも知れない。のび太の名前の由来は、単なる野比一族の通例に従ってのび〇という名前を付けたという説があるからだ。例えば、のび太のパパの名は「のび助」であって、自分たちの名前の一部を取ったに過ぎないというわけだ。

しかしながら、本作執筆当時は、のび助の名前は明らかとなっておらず、本作後に判明する。よって、のび太の名前は、本作執筆当時としては、伸び伸び育って欲しいという意味合いだったのは間違いなかろう。


これから育っていくのび太。当然親の寄せる期待は大きい。パパとママは口々に将来ののび太への希望を語る。

「いい子に育って欲しいわ」
「いい子に決まっているさ」
「君に似たら成績優秀疑いなし!」
「あなたに似たら、運動なら何でもこいのスポーツマン」
「学者になるかな、政治家になるかな」
「芸術家も良いわね、絵でも彫刻でも音楽でも」
「何でもいい。社会のために役立つ人間になってくれれば」
「思いやりがあって勇敢で、明るく男らしく逞しく。清く正しく美しく・・・」

言いたい放題だが、子供が生まれたばかりの時くらい、これほどの夢を抱いてもバチは当たるまい。


ただ、10年後の期待とは大きくかけ離れた息子であるのび太からすれば、耳の痛い言葉が並んでいるように聞こえる。よって、再び病室に入って、

「あまり期待されちゃ困るんだけど・・・。そんな大した子じゃないんだから、いえほんと!」

と、パパをたしなめようとする。もちろんこれは逆効果。生まれたばかりで希望に胸を膨らませている時に、大した子じゃないなどと決めつけられては、怒りも沸く。

「一体うちの子に何の恨みが!!」

と涙ながらに大激怒して、のび太たちを追い払うのであった。


本当の子であることは、これでわかり、当初の目的は果たした。しかしのび太は、自分の将来をあんなに楽しみにしていたのかと知り、心が曇る。

そしてその晩、のび太は急に狂ったように深夜まで勉強を続ける。「もう寝なさい」とママとパパが説得に入る。極端な反応だが、あれほどの極端な親の期待を聞かされては、まあ無理もない気もする・・。



次回予告! 今回は登場しなかったおばあちゃんと、幼少期ののび太のエピソードを取り上げます。


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