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中学生になったのび太とドラえもんの関係とは?『ガッコー仮面登場』/近未来ののび太くん③

「近未来ののび太くん」というテーマで、二本の記事を書いてきた。紹介した作品は二本。『大きくなってジャイアンをやっつけろ』と『ぼくを、ぼくの先生に』である。

この二作とも小学生ののび太が、困った状況に追い込まれて、中学生の自分を頼るという展開である。

前者はジャイアンと喧嘩をしなくてはならなくなって、中学生の自分なら勝てるだろうと思ってタイムマシンで連れてこようとする話。後者は家庭教師を付けられそうになって、中学生の自分を先生として呼びにいく話。


前者では、中学校に進学したのび太は、年齢を重ねどその根本的なだらけた性格は変わっていないことが判明する。中学生ののび太は、自分もジャイアンと喧嘩をすることになっていて、大学生の自分を連れてくるというオチであった。

後者では、中学生ののび太は小学生の自分を勉強させれば、今の自分の学力が上がると考えている。しかも丁寧に教えたりもしない。この作品では、高校生ののび太も同じような考えで、中学ののび太を勉強させようとする、というオチである。


今までの二作を見る限り、近未来ののび太もロクなモンじゃなさそうなのである。


上記二作は1973年のお話であったが、その実に11年後に、ほぼ同じような展開のお話が描かれている。今回はこちらを紹介し、シリーズ記事のラストとしたい。

『ガッコー仮面登場』「小学五年生」1984年4月号/大全集13巻

前回の記事で取り上げた『ぼくを、ぼくの先生に』と、ほぼ同様の立ち上がり。

のび太のパパとママが、のび太の惨憺たる成績を憂慮して、家庭教師を付けようかと相談している。のび太はこの話を立ち聞きして、すぐさま割って入る。

家庭教師を頼むとトンデモない出費が掛かるということを、友人のAくんとBくんの例を出して、両親にアピールする。そんな負担を親には掛けられないという論法である。

A君B君はおそらく架空の人物だろうが、のび太の両親はのび太の話を真に受け、その金額感では家庭教師は雇えそうもないと怯む。


うまく家庭教師の話題を消して、安堵するのび太だったが、そこへ「ご心配なく!」と頼もしいセリフと共に、謎の男が現れる。

「僕が無料で引き受けます」と語るこの男は、頭から袋を被っていて、額の部分に「文」という文字が書かれている。詰襟の学生服を着ていることから、中学生か高校生だろうか。いずれにせよ、顔が見えないとても怪しい風貌である。

男は、勉強の味方「ガッコー仮面」と名乗り、のび太の勉強嫌いを直すためにやってきたのだと言う。そして、自分に任せれば徹底的にのび太をしごいて、怠け癖を叩きなおすと高らかに宣言するのであった。


「余計なお世話だ」と反論するのび太の意向を一切無視して、勉強部屋に連れて行くと、大量の問題集を渡して、今日中にやれと命じてくる。のび太は「何の権利があって偉そうに」と食って掛かるが、謎の男・ガッコー仮面は手から「愛のムチ」を取り出して、のび太を殴りつける。

暴力に屈していやいや勉強を始めるのび太。そこへドラえもんが帰ってくる。のび太は泣いて惨状を訴えるが、ガッコー仮面は「のび太に勉強をさせるのだ」と言い、ドラえもんは「結構じゃないか、是非お願いしよう」と男の側についてしまう。


さて、このガッコー仮面。のび太にこの後ガミガミと勉強を押し付けるのだが、細かくやり方を指導するというようなやり方を取らない。むしろ、「やる気がない」とか「死ぬ気になればやれる」と言ったような精神論と愛のムチを振りかざすだけ。さすがにドラえもんも、これはやり過ぎではないかと思い出す。

そこへジャイアンとスネ夫がやってきて、のび太に声を掛ける。するとガッコー仮面は「野球に誘いに来たんだ」と既に事情を知り尽くしている。そしてその通りに野球を誘いに来たジャイアンとスネ夫を、ムチで脅して返してしまう。


その間、のび太は「これじゃ殺されちゃう」とドラえもんに訴え、助けてもらうことに。一階から戻ってきたガッコー仮面。部屋がもぬけの殻だと見ると、「ははあ、ドラえもんだなあ」と何かを察した模様。

そしておもむろに本棚から漫画を何冊か取り出して、部屋中片っ端に投げつける。すると、「かくれマント」で透明になっていたのび太に当たり、見つけ出すことに成功。ガッコー仮面は、どうやら未来の道具に精通している人物であるらしい。


その後、今度はしずちゃんが遊びにやってくる。ここでもガッコー仮面はのび太を制止して、しずちゃんに対応して、勉強中ということで返してしまう。

のび太は今度はこの間で、タケコプターを使って外へ脱出。ところが、ガッコー仮面もタケコプターを付けて追いかけてくる。一体、この男は何者なのか・・・?


もうドラえもん読者ならとっくにわかっていると思うが、袋を取ったガッコー仮面の正体は、中学生になったのび太である。そして、中学生ののび太は、『ぼくを、ぼくの先生に』の時と、全く同じことを主張する。

「今日もテストで0点取ったぞ!! 小学生の時にちゃんと勉強しなかったからだ!! これから卒業まで毎日監督に来るからそのつもりで」

中学生ののび太は、テストで悪い点を取ったことを、今の自分の勉強不足ではなく、過去の小学生だった頃の自分のせいにしているのである。自分が勉強せずに、過去の自分に勉強させることでテストの点を上げようと考える、ある種の暴論のように見受けられるが・・・。


するとそこへ救世主が登場。中学生ののび太に「やめろ!!」と言ってゴチンと殴ってきたのは、高校生ののび太。彼もまた、中学生ののび太が勉強しないことで、自分が迷惑を被っていると主張する。

この展開もまた、『ぼくを、ぼくの先生に』と全く一緒。ただし、この後は少しだけ話が変わる。


小・中・高の三人ののび太で言い合いとなり、自分同士で責任をなすり合う。ただ、起点がいつであれ、どこかで勉強を始めないと学力が増えることはないわけで・・・。責任を押し付け合う暇があれば、それぞれの持ち分で勉強をした方が良さそうに思える。

第三者であるドラえもんも、全くそのような考えで、こんなことにならないように(=中学生・高校生になって慌てないように)、今からでも遅くないから勉強をしろとのび太に告げる・・・。


ところがこんなことがあったにも関わらず、のび太はルンルンと鼻唄まじりに部屋で寝転がる。その真意とは・・・

「少なくとも高校までは行けることは確かになった。安心した」

ということだそうである。

ま、確かにその通りだが、進学しても落第生であり続けるのは、しんどいと思うのだが・・。ドラえもんも「明るい人だねえ・・」と絶句するしかないのであった。


ところで、少し本題から外れるが、中学生ののび太も、高校生ののび太も、タイムマシンを使って時間移動をしている点に注目してみたい。他にも、タケコプターや愛のムチといった未来のひみつ道具も使っている。

この事実から、ドラえもんは中・高と進学しても、のび太の傍にいることがわかるが、『大きくなってジャイアンをやっつけろ』と『ぼくを、ぼくの先生に』の二作において、中学時代の世界にはドラえもんの気配はなかった

これは一体どういうことなのか。


ここからは、僕の仮説を述べる。

中高生ののび太が「タイムマシン」などの未来の道具を使いこなしていることから、少なくともドラえもんとの交流は続いているのは確かである。ただし、姿がないのは、おそらく基本的には未来に帰ってしまったからだと考えられる。

その根拠として、「ドラえもん」は小学生ののび太のお話しか描かれていないということが挙げられる。中学生となったのび太とドラえもんが一緒に行動するシーンは一度も描かれていない。

それはドラえもんがいたのに「描かなかった」のではなく、ドラえもんが不在なので「描くことができなかった」と捉えるべきなのだ。

ドラえもんは子守りロボットとして開発され、のび太の元へと送られている。さすがに中学生にもなって、子守りとはいかない。むしろ、唯一無二の友人として、時々お互い未来と現代を行き来して、付かず離れずで末永く付き合いを続けていったのではないかと考えている。


近未来ののび太を観察することで、そんなのび太とドラえもんの将来像が見えてくるのであった。


「ドラえもん」の考察多数してます。


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