あんた本当に小学生? ファウンダーパーマン5号の商才とは『パーやん運送でアルバイト』他/藤子Fカンパニー⑤

藤子Fワールドには、異能力や不思議な道具を持つキャラクターが大勢いて、その中には、その特殊な力を利用して、会社(事業)を立ち上げようと考える者がいる。

ただ、たいていの場合、思いつきレベルで事業を立ち上げてしまい、あっさりと最初のトラブルで会社が躓き、経営が軌道に乗らぬまま解散することがほとんどである。

現実社会と同じように、架空の藤子キャラであっても、新会社の経営を維持させていくのは大変難しいことなのだ。


ところが、そんな藤子ワールドにおいて、事業を立ち上げた後も、着実に規模を拡大させて、やがて持続可能な会社を作りあげることに成功した、稀有なるファウンダーが存在する。

それが、パーやんこと、パーマン5号(本名:大山法善)である。会社名は「パーやん運送」で、パーマンの空飛ぶ能力を使って配達を請け負う会社を作ろうと考えたのだ。

ちなみに、空飛ぶ魔法の力を生かして宅急便事業を始めた女の子のお話があるが、これはパーやんを参考にしたとか。(嘘です)


本稿では、パーやん運送の成り立ちや発展を確認しなが、とても小学生とは思えないパーやんの商才について考察していくことにしたい。

なお、これまでの他の藤子キャラたちの会社設立に関する記事は以下。まずはこちらを一読してもらうと、逆説的にパーやんの優秀さがはっきりわかるものと思います。


まずは、そもそもパーやんが何者かご存じない方もいる可能性があるので、パーやんについてまとめた記事をご紹介しておきます。

上の記事で取り上げている『パーやんですねん』というお話では、パーやんはスーパーマンからパーマンセットを貰って、その5日目には既に「パーやん運送株式会社」を立ち上げていて、パーマンの飛行能力を生かした運送業を開業している。

しかもコピーロボットを使って新聞配達のアルバイトもさせており、資金を溜めた暁には「パーやん貿易」という会社を立ち上げたいと夢を語る。

パーやんの事業展開のスピード感は、古今東西の名ファウンダーたちに引けを取らないもので、パーマンになる前から、常日頃、事業を起こすことを考えていたことが伺える。

また、上の記事に出てくる『ゆうれい船』という話では、海底の幽霊船を巡る謎解きをしている間に、サメがうようよしていることに目を付けて、これを一匹捕らえて、蒲鉾屋に売りさばいている。

あらゆるところに金儲けの芽を見出す能力に長けていることがよくわかる。


それでは、パーやん登場話から、時系列に沿ってパーやん運送に関わる部分を見ていこう。まずは、『パーマンのアルバイト』というお話から。

『パーマンのアルバイト』
「小学四年生」1967年6月号

しっかり者のパーやんと対比されるのは、間抜けっぷりがご愛敬のパーマン1号(みつ夫)である。

パーやんが東京方面に荷物を届ける仕事があったということで、みつ夫の家に立ち寄る。運送業は「忙しいばかりでさっぱりや」などと言いながら、突然今月の上がり(売上)の計算を始めて、3万1850円も稼いでいることが判明する。

本作発表当時の貨幣価値を調べると、1965年の物価が現在の2.4倍とある。単純計算で、76,440円ほどをたった一か月で稼いでいることになる。割が良いのかというとそれはわからないが、小学生が副業で稼げる金額ではない。

このお話では、パーやんに嫉妬したパーマン(所持金10円)が、パーマンの能力を使って自分もアルバイトをしようと考える。パーやんが「お金儲けの方法を教える」とパーマンに提案するが、授業料50円出せと言われたものだがら、これを拒否。

しかし、「生兵法は大怪我の基」と言わんばかりに、悉く仕事はうまくいかず、ほとんどは骨折り損のくたびれ儲けに終わってしまう。

そんなパーマンが無駄に汗をかく中、川のほとりでのんびりしていたパーやんは、実は川上のゴルフ練習場から流れてくるロストボールを集めていたことが判明する。

その様子を見たパーマンは「僕には金儲けの才能が無いんだ」と号泣して、パー子とブービーに慰められるのであった。

なお、みつ夫はその後、『パーマンが金もうけ!?』(「小学五年生・六年生」1968年5月号)において、パーマンの力で人を助けて、そのお礼としてお金を貰おうと考えるが、要領が悪くさっぱりうまくいかない。


『パーマンのアルバイト』以降では、『数千万円の絵画』(「小学五年生・六年生」1968年3月号)で、パーやんが東京に大きなコンテナを運んでいる姿を見ることができる。

パーやん運送は、堅実に事業を続けているようである。


ちなみに「旧パーマン」では、低学年向けの雑誌ではパーやんの登場回数は極端に少なく、活躍しているお話は『ケチ社長』(「小学三年生」1968年4月号)くらい。

お話のタイトルからわかる通りに、パーやんの徹底したケチぶりが発揮された一本となっている。


続けて、80年代に復活した「新パーマン」におけるパーやんの事業展開について見ていこう。

「新パーマン」でも、パーやんの主戦場は関西なので、基本的にパーマン1~3号だけで解決できそうな事件では顔を見せたりはしない。

「新パーマン」でのパーやん初登場は、学年誌の連載第二回目となる『ラジコンはなぜきえる?』(「小学三年生・四年生」1983年5月号)というお話。

この時は、ラジコン機が多数行方不明になっているというニュースを聞いて、わざわざ大阪から出張してきて、パーマンたちにアドバイスを送っている。

パーマンにしばらく東京にいてくれとお願いされるが、「あっち(関西)も結構忙しい」と言って断っている。関西の悪者たちを一手に引き受けているので当然忙しいのだろうが、運送のアルバイトも忙しさの一因であるのかもしれない。


そして、パーやんの実家や、普段の大阪での暮らしぶりが始めて明かされたのが、『怪人千面相と黄金像』(「小学三年生・四年生」1983年9月号)である。お話の詳細は、以下の記事でご確認してほしい。

作中では、コピーロボットにパーやん運送の配達をさせていることがさりげなく語られている。


『パーやん運送でアルバイト』
「小学三年生・四年生」1984年2月号

続けて、パーやんの仕事が着実に広がっていることや、パーやんの仕事に対する考え方がわかる作品をご紹介する。

本作ではパーマンがお小遣いに困って、大阪のパーやんまで頼ってくるところから始まる。パーやんは、朝のお勤め(実家のお寺の仕事)をコピーロボットにやらせて、自分は「パーやん運送」の売り上げの帳簿を付けている。

猫の手も借りたいほどに忙しいとのことだが、パーマンが今日一日手伝おうかと手を挙げると、「せっかくだけど君には無理やね」と一顧だにしない。パーマンは「荷物を運ぶくらいできる」と声を上げるが、それに対してパーやんは、

「信用第一の商売や。万が一にも間違いがあってはならん。失礼やが、1号はんはかなりのオッチョコチョイ・・・」

と、ピシャリ申し出を断るのであった。


それでもなんとかとパーマンは食い下がる。パーやんはコピーロボットを学校に行かせて、「終わったらまっすぐ会社へ来てや」と命じて、パーマンを連れてどこかへと飛んでいく。

向かった先は恐らく大阪市内の雑居ビルの一室で、ビルの外観に「パーやん運送」の看板を出している。なんと、既に会社のオフィスを構えているのである。

社員は自分とコピーロボットの二人だけだが、あと二、三人欲しいんやけどな、などと拡大志向を見せている。

留守番電話に残されたお客さんのメッセージを集めて、パソコンを使って能率的な配達ルートを弾き出す。この時はまだ1984年で、パソコンを使いこなす子供などほとんどいなかったはずである。恐るべし早熟の商売人・・。


パーマンが指示されたルートは、①山田さんの家で荷物を受け取り、川口さんの家へ届ける、②加藤さんと鈴木さんの荷物を受け取って、渡辺さんと中村さんの家へ届ける、というもの。

メモと地図も用意して、パーマンに配達の仕事を託すことになるのだが、パーやんは「ほんまに大丈夫かなあ・・」とあまり信用していない様子。

パーマンは早速仕事に取り掛かるが、山田さんと川口さんからはいつものパーマンと違うということで、仕事ぶりを大いに心配される。これは、いつもの丁寧なパーやんの仕事ぶりが評価されていることを意味する。信用第一というモットーをきちんと実践しているのである。


数件の配達だけでだんだんと面倒くさくなってくるパーマン。早く終わりにしたいと、預かった荷物を深く考えずにパッパとお届けしてしまうのだが、冷静になって振り返ってみると、届けた先にたまたま入っていた空き巣に渡してしまったことに気が付く。

慌てて家に戻るが、空き巣も届けた荷物ももぬけの殻。パーやんにバッジで緊急連絡して二人は合流。運の悪いことに、預かった荷物は1千万のミンクのコートであったという。

さすがのパーやんも冷や汗を流し、パーマンに至っては1千万聞いて空中で気絶してしまう。

ともかく現場へと急行すると、なんと空き巣がもう一度家へと帰ってくる。そこを御用とお縄にして、事なきを得るパーマン。戻ってきた理由を聞くと、タバコの消し忘れを思い出し、火事になったら大変ということで引き返してきたのだという。


パーやんがさらに話を突っ込んで聞くと、今回の空き巣は初犯で、仕事が無く腹が減って忍び込んでみたものの、決心付かず煙草を吸ってしまったのだという。

確かにパーマンが最初に訪れた時も、この空き巣はオロオロと様子がおかしかった。

ここで関西人の人情味を発揮するパーやん。空き巣をしたものの、本当は真面目な人間だと見受けられるので、自分の会社に雇い入れるというのである。

おっさんは、「おおきに!!」と涙を流して喜び、「一生懸命働かしてもらいます」と忠誠を誓う。

パーマンは「パーやんていい奴だな」と感心したのも束の間、もう人手が増えたのでパーマンはいらないとあっさりリストラされ、「パーやんはつめたい奴だなあ」と嘆くのであった。


なお、本作の一年後に発表された『電話魔の犯人をさがせ』(「小学三年生・四年生」1985年3月号)でも、パーやんは電話魔に対して、パーマンの宅配便をやっていると語っている。

ここでも、運送業は「儲かるけどしんどい仕事」で、「信用第一で頼まれた仕事は雨が降ろうが嵐が吹こうが・・」と、プロ根性を口にしている。


『お金の始まり』
「小学三年生・四年生」1985年3月号

この作品では、お金を手にしたままコピーロボットの鼻を押すと、お金までコピーされることに気が付いたパーマンが、偶然東京に配達に来ていたパーやんに「お金製造会社」を作ろうと持ち掛ける。

ここでパーやんは、「僕はそんなドロボーみたいなことやらんです」と完全拒否。そして、そもそもお金とは何かという説教を始める。

ここでは、読者となる子供向けにお金や労働の意義について分かり易く説明しているので、パーやんのセリフをもとにまとめてみる。

・大昔はお金は無かった。自給自足を行っていたから。
・物々交換が始まるが取りかえっこに時間がかかる。
・きれいな貝殻などでモノを買えるように申し合わせる。これがお金の始まり。
・この場合の貝殻は、「働き」を形に表したもの
・貝殻の値打ちはあくまで「働き」あってのもので、もし誰かが貝殻集めに夢中で働くのを止めたら、世の中めちゃくちゃになる。
・強盗が悪いのは、人のお金を横取りするから。
・なんの「働き」もないのにお金を欲しがるのは、人の「働き」を横取りすることと同じこと

非常に丁寧に、パーマンでも、読者の小学生にも、働くことの対価としてお金があるということを説明している。

ここではパーやんの口を借りて、正しく働くことの重要さを藤子先生がメッセージとして発しているわけだが、同時にパーやんの非常に真面目な商売との向き合いが見て取れるのである。


さて、その後パーやん運送はどのような発展を遂げていったのだろうか。

まずその一端がわかるのが、『こまった時にはハワイに行こう』(「小学四年生」1985年6月号)というお話。

パーマンたちにはバードマンから有給休暇ならぬ「パーマン休暇」が順番に与えられているのだが、パーやんは貴重な休暇を使って、事業拡大の視察を行っている。

最初は「東京進出を考えている」とパーマンに告げていたが、パーマン休暇を使ってパー子はハワイでのんびりしていたと教えると、「パーやん運送ハワイ支店」というアイディアを閃き、早速ハワイへ行ってみようと言い出す。


このハワイ支店のアイディアは偶然思いついたものだが、実はその後ずっと練られていたことがわかっている。

パーやんはこの時点でまだ小学生だが、大人になってもパーマンとしての活動を続け、併せて「パーやん運送」事業も拡大・発展させているのである。

そのことが判明したのが「中年スーパーマン佐江内氏」という作品の最終回『日は暮れて道遠し』(「漫画アクション」1978年10月号)である。

こちらのエピソードは「旧パーマン」と「新パーマン」の連載の間で描かれており、パーマン史における重要なエピソードでもある。こちらの作品の詳しい紹介は、稿を改めたいと思う。


いずれにせよ、パーやんは、類稀なる商才とパーマンパワーを活かして、藤子世界における唯一無二のファウンダーとなったのである。



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