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マンネリからの脱却法『思いだせ!あの日の感動』アゲアゲひみつ道具④

noteを始めてから32カ月が経過。この間ほぼ毎日更新しており、記事数は980本を数える。ひとまず1000という数字を目指して、続けている状況にある。

膨大な作品数が残されている藤子作品をテーマにしているので、書くネタに困ったことはなく、今でも100近いネタのストックがある。諸事情あって、連続更新はまもなくストップさせる予定ではあるが、まだまだいくらでも続けることのできる環境にある。

しかし、そうなってくると、日々更新の敵はネタ切れではなく、マンネリ化なのではないかと思っている。

思えば、初めて記事を作った日は、校正に校正を重ねて、ドキドキしながらアップさせたものだった。その後数カ月は、どんな風に書こう、どんなネタを持ってこようと、試行錯誤を繰り返していたが、それはともかく楽しい作業だった。

文章を書いて、人様に見せると言う行為は、まるで初めてということではなかったのだが、読んでくれた方の反応をいただき、毎日が刺激的だった。こんなに楽しいことがあったのかと思わせてくれたのである。


ところが今はどうだろう。読んでもらって当たり前とか思っていないだろうか? いつも同じようなパターンでお茶を濁してはいないだろうか? 記事を書くのが面倒くさいなんて感じてないだろうか?

どれも心当たりがあって、自問自答しつつ胸が苦しくなってくる。毎日更新を1000日近く続けているうちに、すっかりマンネリズムの境地に立ってしまっているようなのである。


そんな時に本作(『思いだせ!あの日の感動』)を読み返し、思った以上の感動を覚えてしまった。僕ものび太のように、1000日前のやる気を思いださなくてはならないのだ、と。

これまで3本のアゲアゲ道具をテーマとした作品を見てきたが、今回はその中でも傑出したアゲアゲ話を語ってみたいと思う。


『思いだせ!あの日の感動』(初出:最初の感動を呼びさまそう)
「小学六年生」1982年8月号/大全集10巻

本作のテーマは、マンネリズムと初心忘れるべからずの精神について。マンネリズムと言えば、まさしく「ドラえもん」がその典型となる作品なのだが、本作はそうした作者自身を奮い立たせるような作品なのかも、と思ったりする。


冒頭、のび太は相も変わらず寝坊して学校に遅刻モード。「もうつくづく嫌になった」としょげるのび太は、突然「そ~だ!!学校へ行くのやめよう」などと言い出す。当然「なんだって!?」と仰天するドラえもん。

のび太は「今の教育制度は僕に向いてないんだよ!」と偉そうなことをぬかし、「今回僕は退学します!」と開き直って、退学届けを書き始める。そこへ騒々しいとママが注意にやってきたので、ドラえもんが「学校へ行かないというんだよ」と相談すると、「いいじゃない、日曜だもの」と冷たく返される。

なお、この日はママもパパも朝から機嫌が悪く、夕べの喧嘩を引きずっているようである。この二人の仲違いは、この先の伏線となっている。


のび太はすっかり活力を失い、ドラえもんがオセロやマンガやテレビを勧めてくるが、「全て虚しい」と心無い返事。パパにゴロゴロしていることを叱られたので、仕方なく家を出ることになり、しずちゃんとこへ行こうとドラえもんが提案しても、「行ってもどうってことない」と淡泊な反応を続ける。

これは言葉では解決しないと考えたドラえもん、「HAJI・・」と書かれたビンを取り出す。この時点では名前が明らかになっていないが、何かの薬である。これまでのパターンからすると、気分をアゲてくれる効果があると思われるが・・・。


ドラえもんが飲んでみない?と声を掛けると、のび太はここで究極的に気持ちの入っていない返答をする。曰く、

「やだよ。君の道具にも飽きた。マンネリなんだよハッキリ言って。虚しい。全て虚しい・・・」

ドラえもんの存在自体を揺るがす発言で、すっかり虚無に支配されてしまったのび太である。

そこでドラえもんは、のび太が大欠伸をした隙に口の中に何か錠剤を投げ込む。そして、半ば強引に背中を押してしずちゃんの家へとのび太を連れていく。

「しずちゃんと話して何がどうなるというんだ」と、のび太のくせに横柄な反応をしていると、そこへ「いらっしゃい」としずちゃんが出迎えてくれる。・・・すると、のび太は一目見るなり、ドキンと鼓動を轟かせる。

のび太はしずちゃんの顔をまじまじと見つめこう思う。

「今までも好きだったけど、これほど魅力的だったとは・・・」

のび太はまるで初めて美少女を目の前にしたかのような、感激を味わう。そして「信じられない!こんな素敵なガールフレンドがいたなんて」とベタ褒め。さすがのしずちゃんも、「オーバーね」と言いつつ顔を赤らめいい気持ち。やはり、過剰に褒めることは悪い気がしないものなのだ・・。


そこからはオセロ、マンガ、そしてしずちゃん宅でのご飯に大興奮を続けるのび太。そして夕方となり、「夢のように楽しい一日だったよ」と満足する。

そんな生き生きとしたのび太にしずちゃんは「羨ましい」と告げる。「小さな子供みたいに、何にでも興味を持って夢中になれるなんて」と感心する。この発言から、しずちゃんですら、日々の生活にマンネリの気持ちがあるということがわかる。初心の気持ちは誰もが忘れてしまうものなのだ。


ここでようやく種明かし。のび太が飲んだ錠剤は「ハジメテン」という薬で、何にでも初めてのような感動を受けることができるという。

気分よく帰宅すると、朝からカリカリしていた両親が、面と向かって大口論をしている。互いに不満たらたらのようで、二人は「あなたはそんな人じゃなかった」「君こそ新婚の頃は初々しくて・・」と、人柄が変わってしまったことを非難する。

そこでドラえもんは、二人の口の中に「ハジメテン」を放り込む。すると、急に手を取り合ったパパとママは、まるで新婚ホヤホヤの時のように、「幸せだなあ、こんな素敵な女性が奥さんなんて」「あなたより頼れる人はこの世にいない」などと、褒め合う。

この大人の世界の場面は、子供の頃は良くわからなかったが、結婚生活まもなく20年の自分としては、なかなかに耳が痛いところではある。


寝る時間。ドラえもんは明日の朝「ハジメテン」を飲むようのび太に告げる。が、のび太は心ここにあらずといった様子。のび太がここで考えていたことは、「自分が初めて学校へ行った時はどうだったんだろう」ということである。

感動したのだろうか、するわけないか・・・。それを確かめるため一人「タイムマシン」に乗って、小学校入学式前日の野比家へと向かう。

すると夜も遅いのに、家の中からはしゃいでいる小さな子供の声が聞こえてくる。それは、「嬉しいな、明日から一年生」とランドセルを背負って、部屋中を跳ねまわる小さきのび太である。

まだ夢に溢れているのび太は「お友だちたくさんいるんだよね」「先生が色んな事いっぱい教えてくれるんだよね」と興奮が収まらない様子。ようやく布団に入って寝静まるのび太を見て、この時の両親は「ついこないだまで赤ん坊だと思っていたのに」感傷的になっている。

ちなみに本作は単行本収録時にかなりの加筆修正が施されていて、のび太のパパがのび太の成長に言及しているコマなども新規に挿入された。のび太からの目線だけでなく、両親から見た家族という視点も取り入れたようである。


さて、学校が楽しみで仕方のない様子の過去の自分を見て、のび太は思い出す。あの頃は学校へ行くのが楽しくてしようがなかったと。そして呟く、

「いつからどうして・・・、こうなっちゃたんだろ」


翌朝。ドラえもんは使命感を持って「ハジメテン」をのび太に飲ませようとするが、「飲まない」ときっぱり拒否。

ドラえもんはのび太の強情なへそ曲がりだと判断して、パパとママにハジメテンを飲ませて、初めてのび太を学校へ送り出す気持ちにさせる。両親に説得してもらって、のび太を学校へ送り出そうという作戦である。

ところが、当ののび太は、自らランドセルを背負って部屋から出てくる。「あれ、行くの!?」と驚くドラえもん。

のび太は言う。

「学校を嫌がってばかりいちゃしようがないからね。クスリの力なんか借りないでチェレンジしてみる」

何とのび太は、過去の自分を見て、初心にもう一回戻ってみようと、自ら決意したのである。

これまでドラえもんのアゲアゲ道具の力を借りて、半ば強引に過剰に感情を昂らせていた。ところが本作では、クスリに頼らずに自力で感情を持ち上げている。さすがはたまには覚醒する小学六年生ののび太なのである。


そしてオチ。のび太は薬に頼らなかったが、のび太のパパとママは「ハジメテン」を飲んで、息子の登校初日の朝の気分になってしまっている。学校へ向かうのび太に「一人で大丈夫?」「おしっこしたくなったら先生に言うのよ」と、大声を掛けるのであった。


残念ながら僕らにはタイムマシンがないので、かつての「初めての自分」を実際に見に行くことは叶わない。けれど、心のタイムマシンで、あの時の気持ちを思い出すことは、きっと可能だ。

取り合えず明日からチャレンジしてみよう。仕事のことも、奥さんのことも、noteのことも。初めての日のことを思い出して、マンネリを吹き飛ばしてみよう。そんな風に思います。



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