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これぞ音楽のちから『ムードもりあげ楽団登場! 』アゲアゲひみつ道具①

「人間は感情の動物である」と、ウィリアム・シェイクスピアは語り、「人間は、自分がうぬぼれるほど理性的ではなく、些細な感情で動く」と、ブレーズ・パスカルは言い、「人は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動する」と、デール・カーネギーは説く。

私たち人間は、唯一理性的な判断ができる生物であるとともに、感情に突き動かされる動物である事実からは逃れられない。ヒトの行動の根本には感情、すなわちココロが存在するのである。


一方で、感情を消してしまうこと、感情に乏しい人間ではありたくないと考えたりもする。感情は思いもよらぬパワーを呼び起こし、普通ではありえない成果を達成することもできる。

要は、その感情を適切にコントロールできるかが、勝負の分かれ目ということなのだ。


さて、「ドラえもん」において、感情の作り方が下手くそなのび太のために、感情表現を豊かにする、気持ちをアゲアゲにするひみつ道具が、数多く存在している。

これから数本の記事でアゲアゲひみつ道具を紹介していくのだが、実のところ、どれも似たような展開になっている。ある種のパターンと断言できる。けれど、このパターン化こそが「ドラえもん」の最大の魅力の一つなので、丁寧にそれらを取り上げていきたい。


『ムードもりあげ楽団登場! 』
「小学四年生」1977年5月号/大全集7巻

まず、アゲアゲひみつ道具と言えば、何はともあれ「ムードもりあげ楽団」の存在を忘れてはならない。音楽の力を借りて、感情をより豊かにしていこうという、湧き上がる感情に拍車をかける道具となっている。


テレビに集中しているのび太に、ママがおやつのケーキを持ってくる。バターとたまごをたっぷり使った自信作とのことで、のび太の良い感想を期待している様子。けれども、テレビに気を取られているのび太は「美味しい?」の質問に対しても「うん」と生返事。

ママは「張り合いのない子!」と怒って行ってしまうのだが、のび太は「ふうん、僕はケーキを食べたの?」と、まるでどこ吹く風。張り合いがないどころか、ケーキを食べたことすら、もう忘れてしまったようなのだ。

そんなのび太に見かねたドラえもんは、「せっかくママが作ってくれたのに悪いよ」と指摘、もっと大袈裟に喜ぶべきだと説く。「大したことでもないだろう」と相変わらずののび太に、「だいたいいつもつまらなそうな顔をしている」と根本的な姿勢を問題視する。


そこでドラえもんが、先述したシェイクスピアの名言を引いて、お説教をする。

「人間はね、感情の動物って言われてるんだ。嬉しい時には飛び上がって喜び、悲しければワアワア泣く。もっと気持ちを生き生きと表せよ」

それに対しても、のび太は「そう言われてもな・・・」と反応が薄い。

まあ、どちらかと言えばのび太は感情を表に出すタイプだとは思うのだが、この手のお話では極端に無感情なキャラクターとなる。感情豊かなキャラと無感情なキャラの相反する性格を合わせ持つのが、のび太という人物の非凡なところなのかもしれない。


さて、そうなるとドラえもんは「音楽の力でも借りるか」と言って、「ムードもりあげ楽団」という3体の小型ロボットを取り出す。それぞれ、トランペット、バイオリン、太鼓の楽器を装備したロボットのミニ楽団である。

「ムードもりあげ楽団」は、のび太に付いて行って、様々な場面にあった音楽を演奏するという。例えばロマンチックな場面では、静かな甘いメロディー、怖い場面では気味の悪い曲、クライマックスには勇ましい音楽でムードを盛り上げるという。

なお、音楽の力の例示する場面において、「パーマン」のキャラクター(1号、2号)を使って説明している。「ロマンティックな場面」で、パーマン一号が向き合っている女性が星野スミレか?と目を凝らしたが、これはどうやら別人であるようだ。

ちなみに、本作の発表された前月には、同じくパーマンの人気キャラだった星野スミレが大人になって初登場する『オールマイティーパス』という作品が描かれている。

このお話前後から、急に「ドラえもん」世界に「パーマン」が浸食してきたようなイメージを受けるのである。


面倒くさがるのび太であるが、どんな具合となるか「ムードもりあげ楽団」を試すことに。手始めに先ほどのママのケーキの味を思い浮かべてみる。「そうね・・いつもよりは美味かったみたいだな」とのび太が呟くと、楽団が「ズンチャカチャッチャ」と何やら演奏を始める。どうやら楽しい曲であるらしい。

すると音楽に乗せられるように、すごく美味かった気がしてきたとのび太が盛り上がり始める。さらにジャカジャカという音に煽られて、「思い出してもワクワクする」と気分が高まっていき、「あんなケーキを食べられるなんて、僕は幸せだなあ」と居ても立ってもいられなくなる。

そして楽団を引き連れてママの元へと向かい、「チャカラッチャチャン」「チャンチキチャン」とママに感動を伝えると、「今度もっと美味しいの、作るわね」と大喜びするのであった。

このやりとりを見ていると、大袈裟に人を誉めるのって大事なんだなあと深く考えてしまう。褒め殺しとか、提灯持ち、太鼓持ちなどと、大袈裟に人を誉めたりする人は、周囲から嫌われがちだが、誉められた方は、気分が良くなってしまうものなのである。


「大いに笑ったり泣いたりしてこそ人間らしい生き方と言えるんだ」とドラえもんが背中を押し、のび太は「人間らしく生きるぞ」と意気揚々と楽団を連れて外へと繰り出していく。

意気揚々していたこともあり、楽団は勇ましい曲を流し始め、のび太の手足は勝手に弾んでいく。道すがら、スネ夫と安雄にはオッス!!と挨拶し、足取り軽く歩いていくのだが、スネ夫たちには「ついに頭にきたか、あのバカ」と陰で酷いことを言われてしまう。


そんな気分良く闊歩していたのび太は、魚釣りから帰ってきたパパと出くわす。本日は大漁であったらしく、「どうだ大きいだろう」と生きのイイ魚を見せて自慢する。

ところが、パパが「塩焼きにするか、フライにするか」などと言い出したところで、ヒュラ~と悲しげな音楽が奏でられる。つられるように、のび太は「パパに釣られなければ、自由に楽しく泳いでいられたのに・・・」とどんどん悲しそうな表情になる。そして、

「まもなく切られて刺されて・・・、火にあぶられて・・・かわいそう」

と、魚の行く末を案じて号泣してしまう。パパはたまらず、「川へ返してくる」と釣り場へとUターンするのであった。


のび太は悲しい曲ではなく、楽しいことから愉快な音楽でパーっと盛り上がりたいと考える。

するとそこへ、ジャイアンがバットを持ったかあちゃんに追われてくる。「もうしません、いい子になります」と謝っている様子があまりにだらしなく、のび太は思わずクスクスと笑ってしまう。

するとムードもりあげ楽団がここで本領発揮。「ピッポコポッポ」とおかしな音楽を演奏し、のび太はつられて大笑い。するとバットでボコボコにされていたジャイアンが、「俺が殴られてそんなにおかしいか」と当たり散らしてくる。

全くいい子になっていないジャイアンに追われて、のび太が逃げることになるのだが、音楽がここでテンポアップ。ジャンジャンジャカジャカとスリルと盛り上げてくれる。


さらに何とかジャイアンを巻いて身を隠すのだが、「恐ろしいことになったなあ」と呟いたばっかりに、今度は楽団はデロデロデロと恐怖心を高める曲を流す。

そんなタイミングで背中をポンとされたので、「ワ~」と飛び上がるのび太。それはしずちゃんであった。のび太はジャイアンに追われて、「怖くて死にそうだよう」と嘆くと、しずちゃんは「情けない人ねえ」と一言。

「いつもいじめられて悔しくないの?」と、珍しくのび太を奮起させるような発言をするしずちゃん。「そりゃ悔しいけど・・」と少しばかりの悔しさを口にしたのび太に、ムードもりあげ楽団は音楽の力で鼓舞をする。

「だんだん腹が立ってきたぞ」と鼻息の荒くなるのび太に、しずちゃんも「そうよ!怒るのが当り前よ」とけしかける。このシーンでは、しずちゃんがムードもりあげ楽団の働きをしているようだ。


「許さない」と激昂したのび太が、その勢いのままジャイアンに迫り、いつの間にか先ほどのかあちゃんのバットを手にして、ジャイアンを何度も殴りながら追いかけていく。

「殺される、助けてえ」と逃げ惑うジャイアン。「どうも極端だなあ」と割って入ろうとするドラえもんが現れて、本編はエンドとなる。

ドラえもんは、ついさっきまでは人間らしく生きろなどと熱弁していたはずだが・・・。何はともあれ、ドラえもんのアゲアゲ道具は、大体このようなオーバーなオチとなるのが常なのである。


さて、次稿では、まさしくオーバーなお話を見ていきたい。



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