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ゲーム思考

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「ゲームらしい」体験の本質とはなにか?『シリアスゲーム』

「ゲームらしい」体験の本質とはなにか?『シリアスゲーム』

最近、ゲーム風アプリの開発について考えることが増えたので、シリアスゲームについてあらためて認識を持っておこうと読んだ。

「ゲーム」と聞くと、それだけでモチベも楽しさもガンガン上がっていく魔法の杖のような印象を受けてしまうけど、実際のところそう簡単な話ではないのは、既存のシリアスゲームを見ればよくわかる。シ

リアスゲームは性質上、エンタメ用のゲームと異なり、ゲーム要素が外発的動機づけになりやすい

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人生がゲームになれない理由となるべき理由『人生はゲームなのだろうか?』

人生がゲームになれない理由となるべき理由『人生はゲームなのだろうか?』

「人生はゲームだ」と考える人がいる。
逆に、「人生はゲームじゃない」と考える人も少なくない。

実際のところは、「人生はゲームそのものではない」が、「人生をゲームのように捉えることの意味はある」という感じなのかなと思う。

ゲームの定義はなかなか難しいが、たとえば人生がゲーム的ではない要素として、以下のものがパッと思いつく。

いくつものルールが重なり合っており、曖昧かつ複雑でありアドリブ的である

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【一人遊び】ポモドーロに評価システムを取り入れると最強説

【一人遊び】ポモドーロに評価システムを取り入れると最強説

ポモドーロ・テクニックというものがある。ググればすぐに詳細は出てくると思うが、要するに「25分の作業時間+5分の休憩」というセットで時間を区切っていくというもので、作業効率を高める際に有用ということでライフハッカーたちに好んで用いられている。4回連続でこのサイクルを繰り返したら、少し長めの時間の休憩が取れるとか、そういう融通のきかせ方をすることが多いようだ。デスクトップ、スマートフォン問わずポモド

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NPCになるか、ゲームプレイヤーになるか

NPCになるか、ゲームプレイヤーになるか

最近、「ゲーム的な人生を送る」とはどういうことなのか、ずっと考えている狂人なのだが、今回はNPC(Non Player Character)のことについて、自分の思考を整理してみたい。

NPCは多くのゲームに存在する要素である。RPGに慣れたものであれば、村人のことを想起する人が多そうだ。話しかけるたびに同じセリフをつぶやいたり、あらぬ方向に進んだりする、例のあいつらである。最近のゲームは作り込

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人生とは「力」を巡るゲームである

人生とは「力」を巡るゲームである

「何を人生における行動指針にするか」ということを考えたとき、それは「力」なのだという結論に落ち着きつつある。

人生というゲームは、多くの人を強くエンパワーするものが「強い」し、エンパワーできないものは「弱い」。要するに、「影響力」のあるものが「力」あるものってことですね。

とはいえ「力」と一言でいっても、いろいろな種類がある。たとえば(身体的な)暴力。暴力は文化・文脈を問わず通用し、「力」を及

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【一人遊び】どうやって自分の行動にポイントをつけるか?

【一人遊び】どうやって自分の行動にポイントをつけるか?

最近、自分の「行動にポイントを振る」という一人遊びにハマっている。多くの人がこういう遊びをしている気がするので、あまり詳細に解説する必要はないかもしれないが、

(1)やらなければならない大事なこと

(2)今やる必要はないが大事なこと

(3)やらなければならないが大事ではないこと

このあたりを対象とし、それに着手した時点でポイントゲット、ある程度進んでもポイントゲット、完了したらさらにポイン

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打ち上げ花火、「過去」から打つか?「現在」から撃つか?「未来」から打つか?

自分たちの思想や行動を支える力の源(某カードゲームに則って、以後「マナソース」と呼ぶ)をどこに見出すべきか、というのは人類の永遠なる課題のひとつである。

何を自分たちのマナソースにするかにおいては、いろいろな切り口がある。時間軸という観点からいえば、「過去」「現在」「未来」のどれか、もしくはそのハイブリッドということになるだろう。

伝統や歴史に則れば「過去」をベースにした運動になるし、「現代」

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人生をゲームにするための覚書

人生をゲームにするための覚書

「人生はゲームのようにプレーしなければならない」と思いはじめて数年が経った。あるいは数十年ぐらい経ったかもしれない。

昔からゲーマーだった。とりわけ戦略が求められるゲームにのめり込むタイプの人間だった。なのでゲーム上でのそこそこの成功体験を人生にどうやって適用すればいいのか、ずっと考えている。

「人生をゲームのようにプレーする」という発想はさほど珍しいものではなく、むしろゲームをある程度プレー

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