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2022.5.7 知的生産の技術とその物理的意義、霊性的意義について。

人間は溜め込んだ情報の発散をしないと、己の中で腐って“不安”となる。
また、新たな情報の収集をしないと、己の中の空虚を“不安”が埋めていく。
 
どちらでも、不安(もやもや)は増大する。
 
「収集と発散」、どちらも適切な形で行う必要があり、そのためには間をつなぐ「整理」が必要である。しかし、現代は「収集と発散」しか焦点が当てられず、一番大切な「整理」が語られない。
 
そしてデザイン思考で一番抜け落ちていて、一番重要なフェーズが、僕はこの“整理”だと思っていて、川喜田先生を含む1970年代の京大の知的生産グループが磨き上げた技術体系が最高峰である
 
それを現代のテクノロジーと合わせていくことが肝要である。
 
例えば、情報整理の技術であるPCのファイル名の付け方。2022.5.XXとか、v1, v2とか、そういった付け方をすると、自然とファイルが時系列に並んだり、どれが最新のファイルか一見して分かる。
 
日本の知を語るのに、漢語と西洋の形式を用いていたのでは、身体の経験としてその知が立ち上がらない。和語回帰は、マクロビ創始者の桜沢如一が目指していた・行っていたことでもある(彼の場合は極端だったので、全面的な賛同はできないけれど)。
 
加えて、漢語と西洋式の組み合わせは、単に理解が難しくなる。特に、現代日本人の語彙力と文章読解力が著しく低くなっているので。
 

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