彼女の死が僕の生きる理由になった 再休職ダイアリー
こんにちは、Shadeです。
僕は30代、既婚(子無し)、バイセクシャルでメンタル疾患持ちの男性です。
気がつけば、もう11月も終わり。
季節の変わり目だからか、このところメンタルのアップダウンが激しいことが多く、ダイアリーの更新も滞りまくっておりました…苦笑
前回の記事をアップしたのが11月のはじめなので、ほぼ1ヶ月ぶり。
正直なところ、まだ本調子ではないのですが、どうしても今月中に書いておきたいことがあり、久々に筆を取った次第です。
書いておきたいこと、というのは今はもうこの世にいない人のこと。
ちょうど5年前の11月に亡くなった、高校時代の友人についてです。
詳しい経緯はご遺族や本人のプライバシーに関わることなので割愛しますが、彼女もまた、僕と同じようにメンタル疾患を持っていました。
そして、一人の男の子の母親でした。
彼女がいわゆる「危篤」状態にあると、別の友人から連絡をもらったのは、
僕が現在勤めている会社に中途入社してすぐのこと。
僕は慌てて上司に事情を伝え、会社を早退して彼女の入院している病院へと向かいました。
ご家族に挨拶をしてから、連絡をくれた友人と一緒に病室へ行くと、そこにはすでに動くことのできなくなった彼女が、ベッドの上に横たわっていました。
ただ、ぎりぎりのところで、命の火は彼女の中に灯っていて、反応を示すことはできなくても、まだ頭の中に意識は残っているかもしれないとのことで、僕は友人と一緒に彼女の手を握り、必死で呼びかけました。
どうか、まだそっちに行かないで。
こっちの世界に戻って来て欲しいと。
そのとき握った手の感触を、いまだに僕は忘れることができません。
僕も友人も、ずっと付き添っていた旦那さんも、みんな泣いていました。
結果として、それから一週間ほどの間、彼女はこの世に留まってくれたのですが、ある日、力尽きたように向こうの世界に旅立っていきました。
当日の朝、「どうやらもう本当に危険な状態らしい」という連絡をもらった僕は、友人たちと待ち合わせて病院へ向かい、彼女が命を燃やし切る最期の一瞬を見届けました。
心電図がフラットになった瞬間、彼女の体から何かがなくなったのが分かりました。
そのとき、魂って本当にあるのかもしれないと、僕は思いました。
正直なことを言うと、いまだに彼女が亡くなったという実感が僕にはありません。
たまに、人混みの中で似た人を見かけると、あれ?もしかしてと考えてから、いやいや、もう彼女はいないんだと思い直すほどです。
それは恐らく、友人の魂の一部が、僕の中に棲みついて離れないから。
人は、たとえ体がなくなっても、記憶の中で生き続けることができるのだなぁと、彼女のことを考える度に実感します。
少し重い話になりますが、僕にも希死念慮の症状があり、ごく稀にですがそのような気持ちになることもあります(「少し」じゃないですね…苦笑)。
けれど、その度に彼女の顔が頭に浮かぶのです。
そして、あのとき必死に、戻ってきてくれと呼びかけていた自分の姿も。
それから、奥さんや家族、友人たちなど、大切な人の顔が次々に浮かびます。
そうすると、不思議と奴=希死念慮はその頭を引っ込め、またどこか、僕の心の奥の方へとすごすごと退散していくのです。
一人の人間が生きていることに、「意味」はないかもしれません。
しかしそこには必ず、「理由」があるはずです。
僕が生きる「理由」の一つは、間違いなく、亡くなった彼女の存在です。
彼女はとても繊細なくせにあけっぴろげで、そして何より人に対する愛情に溢れていました。
今思うと、それは自身が愛情に飢えていたことの裏返しだったのかもしれない、と感じるのですが、もはやそのことについて彼女に尋ねることはできません。
けれど、あの笑顔を思い出すだけで、僕は十分満ち足りていくのを感じるのです。
そして、「もう少し生きてみるのも悪くないな」と温かい力が溢れてきます。
ちょうど今週の日曜日、僕は友人たちと一緒に、彼女に会いにお墓参りへ出かけます。5年の月日が流れて、世界も僕も変わりました。
直接言うことはできなかったけれど、心の中でカミングアウト、してみようかな苦笑
多分、彼女は笑って受け止めてくれることでしょう。
そして、お前はそんなことで悩んでたのか!、と喝を入れてくる姿が目に浮かびます。
そう、僕の悩みなんて、彼女の命の重さに比べれば、大したことないのです。こういう言い方は、もしかしたらずるいと言われるかもしれませんが、死よりも重たいものは、少なくとも僕の天秤で計る限りこの世にありません。
みんな、生きているだけで十分。
どんな問題を抱えていても、何の役に立っていない気がしても、今呼吸をしている、それだけで十分。
もし今、同じような気持ちや辛さを抱えている方がいたら、そんな風に考えてみてもらえると、とても嬉しいです。
この願いをこうして発信することもまた、僕が生きていく「理由」の一つになっているから。