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自己紹介のようなもの

かつて地方在住の翻訳家志望の若い娘だったわたしは、ジェイ・マキナニー、タマ・ジャノヴィッツ、ブレット・イーストン・エリス、ポール・オースター、アン・ビーティといった、そのころ一世を風靡したアメリカ作家たちが大好きだった。自分もこういうのを訳すイケてる翻訳家になるのだと思いさだめて働きながら小金を貯め、上京して翻訳学校に通いはじめた。

翻訳学校時代は昼間は派遣社員をして生活費を稼ぎ、夜は学校に通った。課題をやらなければいけないので慢性的に睡眠不足だったけれど充実した日々を過ごしていた。やがて上京してから知りあった相手と結婚し、根性はあるほうだから、子育てと翻訳ぐらい両立してみせると考え、ふたりの子どもを授かった。しかし甘かった。母親業はわたしにはまったく向かない職業で、翻訳学校時代の仲間たちが次々とりっぱな翻訳家になっていくなか、わたしは細々とでも翻訳をやめずに続けているだけでエライと自分を慰めるしかないような状況が長く続いた。とにかく育児に気力、体力の多くを使い果たしてしまっていたのだ。産後だけではなく、子どもが思春期になっても。

時が流れ、こどもの巣立ちはそう遠くないこととなり(たぶん)、めでたく生誕半世紀を超えた自分は、あのころ憧れた翻訳家という夢を半分だけかなえた。要するに翻訳でお金を稼ぐという意味ではキャリア20年以上のプロになっている。こどもを持たなければ、残りの半分の夢もかなって、ちゃんと自分の代表作はこれです、と胸を張って言えるような翻訳家になれたのだろうか。それはわからないのだけど、子育てはわたしにとって泣きたいくらい大変だったのだとほんとうは我が子たちにわかってほしいのかもしれない。


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