蒼枯 - 古本と古道具の店、開業記録

蒼いに枯れる、と書いて、そうこ、と読みます。 意味は、古めかしい中に趣のあるさま。 古…

蒼枯 - 古本と古道具の店、開業記録

蒼いに枯れる、と書いて、そうこ、と読みます。 意味は、古めかしい中に趣のあるさま。 古本と古道具の店の開業記録です。

マガジン

最近の記事

「いっぱしの女」と買取のフレーズ

買取のフレーズ 買取のフレーズは、その店の顔である。吉祥寺のよみた屋さんは「おじいさんの本買います」と謳っている。おじいさんの本売ってみようか、という気分になる。祖父の棚が頭の中に浮かぶ。  本はそれを持っている本人にしか価値が分からず、家族にはとかく敬遠されがちで、遺品整理では捨てられることがある。整理で頭を悩ませているときに、よみた屋さんのフレーズを見たのなら、持ち込んでみようという気になるだろう。  では、私たちがやる店はどんなフレーズで買取をうたうのか。  今回

    • 古本屋開業日誌を始めます

       2021年は古本屋という目標に向けて動き始めた年でした。会社員をしながら、都内の古本屋で休みの日に働き、10月には会社をやめて、古本屋一本で今は生活しています。  目標は2025年の古本屋開業です。構想や計画を心のうちに秘しておくのではなく、皆さんにお伝えしようと思っています。今回は、どのような経緯で古本屋を始めようと思ったのか、どういった古本屋を目指しているのか、そして今年の取り組みをお話します。 古本屋までの経緯 私がその本を知ったのは、大学4年の文明論という授業で

      • 神保町に救われた命 - 「K中尉の思い出」

         文章を追っているペン先が止まった。原稿に向けていた目を上へと反らす。滲んだ涙は隠さない、私のほかに店内にいるのは喫茶店の主人だけだった。涙しようとして滲ませているのではなく、紙片の語るひとりの人生に涙していた。  働いている古本屋の店主に頼まれて、古書組合の出す本に載せる文章の校正をしていた。組合が長年発行してきた機関誌には数多の古本屋の文章が詰まっている。古本屋の文章の存在は、古本に関わっていない人びとには知られる由がない。書いている私自身でさえ、校正の機会を得るまでは

        • 旅先で古本を求める

          まえがき  やらないことを決めると旅が始まる。何を決めたのか。一つの地域から電車を使って他の地域へ移動する、禅寺の庭をめぐる、喫茶店をめぐる、街中の料理屋をめぐる、和菓子を食べる。では一体、私は何をするのか。古書店で本を買うこと、走ること、歩くこと、それだけあれば十分だった。  烏丸駅で降りてまず向かったのは大垣書店だった。東京駅の八重洲口から京都行きのバスを見繕おうとしたが、生憎京都ゆきには既に空きがなく、大阪行きのバスに乗った。車中では本を読む気分にはなれず、大阪からの

        「いっぱしの女」と買取のフレーズ

        マガジン

        • 古本屋開業日誌
          2本

        記事

          本を買うまでのはなし 「青天の古本市」

           走りながら、今日はどこの本屋に行くか迷う。三鷹にいって駅から少し距離のある太宰作品を扱っている本屋か、田園調布にある古本屋か。選択肢にまったくなかったところへ今日は本を見にいった。いくつか並べて比較していると、それ単体で見れば魅力のある本屋も色あせてしまう。今日は古本屋ではなくて、古本市に行った。四方に本が並び、本の匂いのする空間もよいが、晴れの日は青天のもとで本を選びたい。  その古本市は、元々私が出店を考えていた市だった。出そうとしていたが、本を売るのはバイトで今やっ

          本を買うまでのはなし 「青天の古本市」

          本を買うまでのはなし 西荻窪・音羽館

           80年代の文芸雑誌を読んでいたら、電車を乗り過ごしていて隣駅に着いた。台風が過ぎたのか、向かいの座席を光が切り取っていた。プラットホームのベンチに座っていると、雨がまたぶり返してきて、しかし西荻窪駅に着くころにはやんでいた。喫茶店を出たときも変わらず降っておらず、テーブルに掛けた傘を忘れそうになったが、ちょうど目の前を、人の手にぶらさがった傘が通っていって、自分の手に傘がないことに気がついた。  神戸から来た友人と、まず今野書店に行く。買いたい本を明確に頭のなかに持って本

          本を買うまでのはなし 西荻窪・音羽館

          本を買うまでのはなし 吉祥寺「百年」

           用事を終えて、余力の少ないときには新刊書店は選択肢から外れる。一度に多くの情報を処理できないような気分になって、新刊書店ではなくて古書店に向かう。今日は古書店の日だった。吉祥寺で人と会って、別れたあとに知っている古書店のうちのどこに行こうかと考える。よみた屋にはまだ行けていない、book obscuraは井の頭公園の向こうまで歩く、古本のんきはこないだ行った。百年か、一日か。気力がそこまでないと人の多くないところに行きたくて、一日にしようかと思ったがすでに手提げの中には図録

          本を買うまでのはなし 吉祥寺「百年」

          本を買うまでのはなし

           読んだ本のことを人は多弁に話す。一方で、本を選んでいるそのときや、本屋に足を向けるときのことを話す人は多くない。私にしか分からないことも含まれていると思うが、池袋のジュンク堂で本を選んでいたときのこと、ジュンク堂に行くまでの左右左を話したい。  東京の新刊書店といえば新宿の紀伊國屋本店というのが、大学生のころから一昨年くらいまでの私の頭の中だった。紀伊國屋だけで満足する、というか大体そこでどんな本でも揃っていると思っていたから、神保町や池袋にも書店はあるのを知ってはいた

          本のガイド「愛されたもの」        作:イーヴリン・ウォー

           ハリウッドの葬儀産業を舞台としているからには、人物のいずれの行動も、思念も人界からかけ離れたものに満たされていてもおかしくないと思うほどには、私にとってハリウッドは遠くの存在である。作品上のハリウッドには「囁きの森」という霊園があり、金泥がけばけばしく塗り立てられた黄金の門を通り抜けると、イギリスの王朝時代の別荘が立っている。富豪が住んでいると見まごうばかりの別荘である。この作品の前半部は、理知の抑制の効いた雰囲気であるが、囁きの森霊園が出てくるあたりから話に奇妙さが加わっ

          本のガイド「愛されたもの」        作:イーヴリン・ウォー

          本のガイド「夏の花」原民喜

           詩人であり小説家である原民喜(はらたみき)は、空襲の激しくなってきた東京から郷里の広島市に疎開していた。原爆の投下されたその瞬間に、家のなかの厠にいたため、彼は一命を拾った。彼の原爆体験をつづる「夏の花」は、原爆が炸裂するその前々日、新盆にあたる妻が眠る墓に参ろうとしたその日から記されている。  即死した人ばかりではない、ということは知っていた。しかし、即死ではなかった人たちがどのように亡くなっていったのかを私は知らなかった。八月を迎え、戦争を振り返る月となり「夏の花」を

          本のガイド「夏の花」原民喜

          本のガイド「曾根崎心中」角田光代

          再読をしてみて 初読のときには、女郎はつと手代の男・徳兵衛の情愛、はつの前を数多過ぎていった女郎たちの恋の語りよう、語っていた女たちそれぞれの行く末に、目が吸い寄せられ足早に読み終わってしまったが、この本「曾根崎心中」角田光代のガイドを書こうと再び読んでみると、心中に至る端緒にある二貫という大金に、人びとの疑念や諍い、愛憎が込められているように思い、ただでさえ肌寒いのに、鳥肌が立った。 二貫の出所と流転 大坂の醤油問屋・平野屋で手代として店を支えている徳兵衛は、その精励ぶり

          本のガイド「曾根崎心中」角田光代

          本のガイド「イリアス-トロイアで戦った英雄たちの物語」

           古典に現代の言葉で出会う。書名からして遠ざけている書物は数多くある。たとえば「曽根崎心中」を私は遠ざけていた。日本文学の全集に載っていても、題名が古めかしくて、いかに心中という劇的な最後を描いたとしても、遠く江戸の、しかも上方の色恋沙汰だから、理解が及ばぬと書名を目にすると苦々しく目を背けていた。しかし、今年の春のこと、本郷三丁目の古本屋が閉まると聞き、そこに足を運んだところ、白い顔がぬっと出ている恐ろしげな本、角田光代訳の「曽根崎心中」を、その表紙が気になって買ったのだっ

          本のガイド「イリアス-トロイアで戦った英雄たちの物語」

          本のガイド-「パウリーナの思い出に」

           留学から帰国した男の家へ、昔の恋人パウリーナが訪ねてきて、二人はともに流れる二つの川のように抱き合った。そのとき、窓や屋根に雨の打ち付ける音が聞こえた。しかし時間は長くは続かずパウリーナは今の恋人モンテーロのもとへと帰っていった。玄関まで降りて通りに出るが、彼女の姿はすでになく、雨が降ったはずなのに道路は乾いていた。  昔の、というのは留学に行く直前に男とパウリーナは別れていて、男が軽蔑と尊敬の念を抱いている文学者のモンテーロとパウリーナは付き合うようになった。幼なじみで

          本のガイド-「パウリーナの思い出に」

          時間を緩やかに過ごす

           駅の地下道を出ると、右に曲がった。地下道の構内は流水がこぽこぽと流れる音が響いていたが、曲がるとそれは聞こえなくなった。手狭な一軒家の多いこのあたりに越してきて半年が経ったが、ほとんどが知らない道だ。今日は知った道ではなくて、知らない道を歩く。夜間には施錠されるのだろう、錠前のついた入り口を持つ、遊具のない公園をまっすぐ通り抜けると、幼稚園があった。生活の場なのだから、あっておかしいという道理はないのだが、こんなところにあったのかという驚きは新鮮だった。  流行りの外出自

          誠実に生きること 危機のときにあって考えたこと

          見ると同時にリツイートしていた。事実は本人存命だったから、名前は上げない。集中治療室に入っていたが死去したという報せだった。何度もRTをしても、RTのマークは赤くならない。BBC newsと名前を冠したそのアカウントを見にいって、RTしかけたのはフェイクニュースだったと気づいた。人の生死を意図的に偽った情報を世界に広める一端を担いかけてしまった。 偽情報を担ぎかけて間もないから、情報のうえでいったん人を死なせてしまった悔恨は深いが、明日とまた明日と何度か日が

          誠実に生きること 危機のときにあって考えたこと

          空白の時間に思う

          平日はオフィスに通っていて、休日は外に出ない。外に出ないことの例外は、生活の必要を満たすときだ。食材を買い出しに行くときであったり、衝動を走ることにぶつけるときがそれにあたる。2週間ほどまえから休日の多動はとんと鳴りを潜めた。時間の色が薄くなってゆく。他人やよそのところの色がわたしという紙を染めていかない。改めてこの空白の時間に、自身の紙につつましく視線を投げかける。どのような色でぼんやりと紙を染めていきたいのか。平日まで人に会わないとなったら、視線の投げかけは凝視に代わられ