見出し画像

本のガイド-「パウリーナの思い出に」

 留学から帰国した男の家へ、昔の恋人パウリーナが訪ねてきて、二人はともに流れる二つの川のように抱き合った。そのとき、窓や屋根に雨の打ち付ける音が聞こえた。しかし時間は長くは続かずパウリーナは今の恋人モンテーロのもとへと帰っていった。玄関まで降りて通りに出るが、彼女の姿はすでになく、雨が降ったはずなのに道路は乾いていた。

 昔の、というのは留学に行く直前に男とパウリーナは別れていて、男が軽蔑と尊敬の念を抱いている文学者のモンテーロとパウリーナは付き合うようになった。幼なじみであった男とパウリーナの仲では、面と向かって愛の言葉を言い出すことはできず、ようやく男が言おうと心を決めたのは留学の給費生試験の一週間前だった。その夕方、男の家ではパーティが開かれたのだが、そのとき初めてモンテーロとパウリーナは出会い、男が知らぬ間に家のどこかへと二人して消えていった。試験の終わった日のこと、パウリーナは男のもとに来て、男が「君、変わったじゃないか」と言うと、彼女は、モンテーロが男には会ってくれるなというからしばらくは会わないと伝えてきた。

 留学へと旅立つ日の夕方、パウリーナは訪ねてきた。モンテーロ以外のことは何も目に入らない、男との愛、いや友情については何の思いでもないと彼女は言った。エレベーターに乗って階下まで男は彼女を送っていった。玄関のドアを開けると雨が降っていた。建物の中にいた男には雨音は聞こえていなかったが、モンテーロの耳には聞こえていた。なぜならモンテーロは嫉妬心に駆られ外の庭に潜んでいたからだ。モンテーロは一晩中、パウリーナと言い争い、彼女の言い分を信じられず、ついには翌朝彼女を射殺した。

 男が留学から帰ってきたとき、すでにパウリーナは亡くなっていたのならば男の見たものは男ただ一人の幻想だったのだろうか。幻想を見ていたのではという疑念に駆られた男は、彼自身を愛するためにパウリーナが蘇ってきたのだと、愛に陶酔する。しかし、物事を違った角度から眺めようとする男の頭に雷鳴が響く。パウリーナを抱いたのではなく、モンテーロの嫉妬が生み出した奇怪な幻を見ていたのではないかと。その証左に、雨が降っていなかったのに、雨の音が聞こえていた。庭に潜んで直に雨を感じていたモンテーロは、男とパウリーナのことを想像して、二人が雨の音を聞いているものと思っていた。

 愛によって火をつけられた男とモンテーロは、愛からの脱出もしくは愛の探究を目指して動輪を回す。やがて動輪の回転は彼らを振り回していく。しかし回転が止まって周囲を見ると自分は同じ場所にいて、周囲の景色も変わらない。通い合わない愛が描かれ、読んでいると心が徐々に孤絶へと向かう。

 「彼女を抱いたとき、すなわち僕ら二人の魂が結び合わされたと僕が信じた瞬間、僕が彼女にかなえてやったのは、パウリーナが一度も僕の目の前では口にせず、僕の恋仇が何度も耳にした願いだった ————そのこともまた確かなのだ」

 心の孤絶という現実の重苦しい状況が、無重力の幻想風景の中に浮遊しているが、しかし作者の描く愛は一面で、純度が濃く、現実のものとも思えないほど澄明な愛である。

 「『青が好き。ブドウが好き。氷が好き。バラが好き。白い馬が好き。』僕は幸福だ、とそのとき僕は思った。なぜならパウリーナが好きだと言ったものの全てを、僕も好きだったからだ。僕らは本当に奇蹟のようによく似ていた。それで、人間の魂が世界の魂と永遠の結合を遂げることを語った余白に、彼女はこう書きつけていた。

『私たちの魂はすでに結びあわされています』。

あの頃『私たちの魂』といえば、それは彼女と僕の魂のことだった。」

 本作品「パウリーナの思い出に」はビオイ=カサーレスの作品で、私はこの作品を白水Uブックスの「ダブル/ダブル」という、海外の分身小説を集めたアンソロジーで読んだ。そのアンソロジーの最後を飾るのが「パウリーナの思い出に」である。一読では混乱するところがあり、話が掴めなかったが、何度か読み直すと整除がついてきた。この話の面白味は、幻想という奇怪なものを説明する手立てとなる雨を局所に配置するという練られた構成にある。ラテンアメリカの文学は私にとって未読という宝の山であるが、以前に読んだことのあるガルシア=マルケスの「百年の孤独」が、奇怪なものと感じたゆえに、ラテンアメリカ文学の連峰の一つであるビオイ=カサーレスの本作品も奇怪一辺倒かと思いきや、雨を以て説明するところに意外性を見た。カサーレスのことを調べてみたが、マルケスの共作者としてもっぱら日本では知られているそうだ。本を辿り、異なる作品に行き着き、違う世界を見ようと、今日は古本屋でマルケスの本を見つけたらそれを買おうと思う。

 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?