本を買うまでのはなし 吉祥寺「百年」

 用事を終えて、余力の少ないときには新刊書店は選択肢から外れる。一度に多くの情報を処理できないような気分になって、新刊書店ではなくて古書店に向かう。今日は古書店の日だった。吉祥寺で人と会って、別れたあとに知っている古書店のうちのどこに行こうかと考える。よみた屋にはまだ行けていない、book obscuraは井の頭公園の向こうまで歩く、古本のんきはこないだ行った。百年か、一日か。気力がそこまでないと人の多くないところに行きたくて、一日にしようかと思ったがすでに手提げの中には図録が一冊ある。しばらくは図録はいい。百年にした。

 通りに面した窓は開いていて、歩いている音もしくは喋り声が聞こえる。入ってすぐのところにある新刊のスペース。ブックオフ大学ぶらぶら学部、目にするのは15回目くらいか。魅力的に目に映った本でも、一度買う機会を逸すると、たとえその書影を目にしたとしても、容易には手に取りにくくなってしまう。大体、自分の動線は決まっていて、新刊をちらっと見ると、政治や思想の棚に向かい、次に文学、詩の棚を目の前にする。アガンベンやフーコー、どれも名前からして衒学心を撫でてきて、買いそうになるが、哲学については一度、基本書を買って、それを韋編三絶、擦り切れるまで読んで、基本を学んでから実際の書物を買おう。哲学書を見ているが手は出さない。いつ買えるのか。

 興味は出てきているが、小説を読むようには詩は染み込んでこなくて、詩集をたぐる手も止まる。読みたいけど読めない本が多いことに気が付く。その点、古本屋による古本屋の棚や、岩波、ちくまの前では気楽にいられる。その気楽さに、ああこのままでは良くないと反動が来て、もう一回、政治や思想の棚に戻り、さらにまた古本屋の棚に戻ってくる。右往左往が楽しい。「本屋会議」という本を買った。題名をまず目にした、本屋が会議をするのか面白そう、平日も一夜ごとに本屋のことを考えたい、その材料にしようと思い買ってみた。私は、本を手に取った際に奥付を見ないから、家に帰ってしげしげと見るまでは夏葉社の本だと気づかなかった。

 

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