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本当に最近は、想像する領域が狭すぎる気がしてならない

今日は少し時事ネタになりますが
コミュニケーションというテーマには非常にマッチしている
と思いますので、ニュースから感じたことを
書き連ねてみます。※個人的な見解です。

気になったニュースはこちら。

このニュースをまず初めに見たとき、聞いたときに感じたことは
次の3つ

✅ 目を引かせることに意識が向いたんだろうな
✅ 作った人もそうだけど選んだ人の意図も聞きたいものだ
✅ 本当叩かれやすい世の中だな

一言で言うなら「あーあ」という感想を持ちました。

ぶっちゃけ一般からも公募してるから
様々な企画が持ち込まれるのは仕方ないとして、
審査するというフェーズがあるわけだから、
どんな人が審査してんだろう?ってみてみると

素人というわけではなく、僕がやっている仕事と同様に
コミュニケーションに関わる仕事をされている方々。
彼らがどういう経緯でこの作品を選んだのか
すごく気になるところです。

記事あるような「当たり」ということを
意識したものなのか、もしくは他の理由によるものなのか。

審査員が何を感じてこれを選んだのかというのが
コミュニケーションされていないのも気になりました。

例えばM-1であっても
「なんで90点なのか」みたいなことは得点を出した後インタビューで答えるわけです。

仮に、
「乳がんというのは早期発見をすれば、恐れることはない病気です。これまでの暗いイメージでは診断すら積極的に行ってもらえない。まずは気軽に診断を受けてほしいという意識のもとカジュアルな表現が必要だと考え・・」
みたいな説明があれば、まだイメージはちがったかもしれません。

ですが、「当たり」をモチーフに選んだのは
明らかに想像域が狭過ぎてる
ように感じます。

コミュニケーションを作るということにあたっては、
僕は想像する領域を確保しておくことが必要だと思っています。

特に今やたくさんの人が意見を言いやすい環境であること
そして、どちらかというと多くの人が
「はけ口」を探していることもあり、
指摘や批評から、批判や攻撃に転嫁されやすいこと。

これは受け手の環境に迎合しろというわけではなく
受け手の環境を想像してこそ
コミュニケーションをデザインするということ
だと思うんです。

表現の云々はさておき、
今回の趣旨は、「早期発見で治癒が期待できる」ことを
伝えることが目的だったはず。

その趣旨をどうコミュケーションするかを
どう相手に届けるかを、相手にどう受け取ってもらいたいかを
きちんと想像できていなかったことが
すべての起因のように思います。

ただ、今回の事案をもって僕らは改めて学ばなければなりません。
まず一つに、当たり前のことですが、
相手のことを考えないとコミュニケーションはとれないよ
ということ。プロでさえ、こうやって間違うほど
難しいものなんです。疎かにしてはなりません。

そして同じようにこの出来事を「残念だ」という
言葉でコミュニケーションしては同じことだということ。

学び、考え、蓄えとしていくことが
ミスを財産にできるかどうかの境目だと思います。

あなたはこの事案から何を考えて
次にどんなアクションを起こしますか?

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!