「テメェの喋りたい資料はテメェで作った方がいいよ」
いやぁ、なかなか言葉の汚い見出しですみません。いろんな思いを込めて書いてしまったタイトルです。
今日、こんなことがありました。
僕があるときプレゼンテーションで使った資料がほしいという依頼が来たのです。その背景には、その資料を使って説明をしたら自分でもちゃんと説明ができる・・という思いがあってのことだったようなのですが、残念ながらうまくいかないだろうなと思いながら資料を提供しました。
自分が読むならまだしも、相手に伝えるために自分が作っていない資料で伝えることなんてできないとすら僕は思っています。もちろん、参考にすることはありますが、誰かが作ったものをそのまま100%見せて話をするなんて、できっこないというのが持論です。
僕だってそりゃ他人が作った資料を使うことはあります。ただ、それは一部であって、自分が提案する資料の100%を他人が作ったものになんてできません。
そんなことしたら、自分の言葉で喋ることなんてできない。
本人にしたら、これは効率化とかいう類で使えるツールは使っておこうというつもりなのかもしれませんが、いやいや、間違いなく非効率だと思うんです。
個人的な経験上ではありますが、他人の資料を自分の資料のように喋るには、かなりの練習と考察が必要です。というのも資料には必ずと言っていいほど、文脈というものが隠れています。字間、行間、余白にその文脈というものが隠れていて、それを伝えてコミュニケーションが完成すると思っています。
他人の資料からそこを取得しようとするのはとても困難です。
取得できるまで資料を作った本人からヒアリングができていないと無理だとも思うんです。
制作を仕事にしている人はなんとなくお分かりでしょうが、例えばこんな感じです。
ポンと渡された修正資料。修正内容は確かに記入されているのですが、口頭での説明が一切ない・・・そんなとき作業するのに困りませんか?
同じようなことです。
資料は所詮資料。その資料は多くの場合、トークとセットでコミュニケーションが完成するようになっています。
コミュニケーションを甘くみない方がいい。伝えると言うことは効率的にやろうとした途端に、一気に非効率になるやっかいなもんだということを、是非肌で感じてもらいたいものです。
そして、やはり喋りたい資料は自分で作れと声を大にして伝えたいです。
もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!