見出し画像

情報の傾きについて

実家の父母と話をしながら
情報の傾きを感じました。
今回は少し難儀な話です。

どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。
よかったら各種フォローいただいたりコメントいただけると嬉しいです。

さて、今回のテーマである情報の傾きですが、
父母に対して感じたのではなく、
父母を見てて自分にもその傾きがあると
感じた次第です。

例えば、
コロナに対する感じ方

例えば、
ウクライナとロシアに対する感じ方

例えば、
イーロンマスクのTwitter買収騒動に対する感じ方

この記事では、
何がいい何が悪いの話ではありませんし
何が正解で何が間違いかを論じるつもりは
ありません。

受け取り方に傾きがあるという話です。

受け取るという行為は
どこかからの発信情報があって成り立ちます。
その発信元がどこかということです。

新聞やテレビだけとなると
おそらく似たような情報となるのでしょう。
そこに仮にネットが入ってきたとしても
今やネットの情報は
個人化されているわけですから、
自ずと新聞やテレビに近い情報が集まります。

対して、
ネットから情報を得ているとしても
結果同じことが言えるわけです。

量の違いはあれど
触れているメディアやコンテンツによって
傾きが変わってくるのが
今の情報の立ち位置でしょう。

そして、今や
その傾きが分断を生みやすくなっています。
さらに、人々の心はどこか
優しくなくなってきています。

このままいくと
傾きを認めたくない力が働きそうです。

ぶっちゃけ、
相手に自分の傾きを見せるというのは
危険を伴うこともありそうなのが
今かなと思います。

かといって無言の対立は
いい結果を呼ぶわけないですよね?

ならどうするか?
今回この記事を読んでいただいた方に
お願いです。

自分の情報には傾きがあることを
認めてください。
相手の傾きを認める前に
多くの傾きの軽い情報に触れてください。

そのあと、相手の傾きに向き合ってみましょう。

気づいた人からやるしかないんです。

言ってしまえば、
たかが情報で分断を導くほど
僕らはアホじゃないですよね?

でも、放っておくと
そうなりそうです。

気づいたところから
小さくでもいい。

コミュニケーションをステキにしましょう。

==========

最後まで読んでくれてありがとうございます。
もしよかったらスキのアクションをもらえると励みになります。
またコメントもぜひお願いします。すごく喜びます。

重ねてご案内になりますが、
このnoteの他に週に一回水曜日のお昼どきに
ポッドキャストを配信しています。こっちではSpotifyのリンクをご紹介しています。

興味があれば聞いてみてください。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!