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【ショートストーリー】20 虹のオルタナティブ

「久しぶりですね。浮気調査以外の依頼」

「ああ、ありがたいことだ。こんな時勢、こんな隙間な生業、この依頼でしばらく食っていける」
陽斗の言葉に所長の青柳はすぐさま答えた。

「しかも2件もな」
青柳は依頼書と契約書を交互に陽斗に見せて、猫耳をつくっておどけてみせた。

「全然笑えませんよそれ‥‥でも、これってどういうことですか?」

「よくわからんが、我々の仕事は依頼人の詮索ではなく、対象事物への調査とその報告だ。細かいことは気にするな」

青柳はいつになく仕事に前向きだったし、それだけの前金もらっていた。陽斗にとっては、いつもぼーとしながら突然昔話を始めるような所長よりはるかによかった。が、若干の気味の悪さと依頼内容の不自然な一致を気にかけた。

「で、どちらから?」
「そうだな、苦学生はこちらの方をお願いする。調査は対象人物の素行調査と来歴調査」

陽斗は依頼書を受け取ると、無数の細かな文字と大きな見出しから見るものを選び、焦点をゆっくり合わせるように読み始めた。

「山名しんたろう、28歳。システムエンジニアなんですね。調査の依頼者は婚約者の父親と。なんか古くて新しい依頼ですね」

陽斗は苦笑した。娘の選んだ人を信じられないのだろうか。父親が早くに死んでしまった陽斗には考えがたい依頼だった。

「もうひとつは俺が進めるからね」
所長の青柳は目を輝かせ陽斗の肩を叩いた。

「あの、この猫の髭みたいなちょろ毛抜いてもいいですか」
陽斗は青柳の頬の髭をつまんで引っ張った。
「いて、いてーなこの」
「すみません、じゃあ行ってきます」
「おー、たのむぞー。苦学生」

街の人びとは皆マスクをし、師走の曇天の下で何か早足で歩いているような気がした。

陽斗は大きく息を吸い込み、長く時間をかけゆっくりはいた。

数日後、陽斗はとあるカフェにいた。丸テーブルが中央に配された明るい洒落た店内にブルーグラス風のカントリーが聴こえてくる。

「なんとなくイメージあるけど、システムエンジニアってなんなの?」
陽斗は電話で友人の佳奈に尋ねた。
「うーん、システムを顧客の希望に応じて作ったりする仕事かなぁ。プログラマーと似たようなものじゃない。結構稼ぎはいいみたいよ。噂だけど。ネットで調べてみなよ」
「へー、ありがとう」
「相変わらず変なバイトで人の詮索ばかりしてるんでしょ。友人として心配もしています」
「いやいや、詮索でなく調査です。仕事です」
電話越しに佳奈が笑っていた。

そういえば佳奈と初めて行ったのもカフェだった。珈琲のスモーキーな香りがあの季節の薫風を思い起こす。母と買った少し大きめのリクルートスーツが身体に馴染んできていた。

高校時代からの友人は佳奈だけになってしまった。もともと友達は少ないが、友人と呼べることは偉大だと陽斗は思った。

対象人物の調査で手っ取り早いのは名前を互いに知らないくらいの知り合いになることだ。しかしながら、今回それは所長の青柳から固く禁じられていた。その理由も陽斗は一応分かっているつもりだった。

山名が店内に入って来た。サングラスのその姿はスラッとした出で立ちで。外の日差しは特別眩しくはなかった。迷うことなく入口から直進した奥の一人用のカウンターテーブルに座っていた。今日も彼はサングラスを外さなかった。

また別の日、その日も同じカフェで山名を見た。
陽斗は自然な流れで山名の隣へ座った。不意をついたわけでもないが、途端に急に視界に陽斗が入ったようで驚いた様子をみせた。今日もサングラスは外さずに、いつものモーニングを山名は注文した。

その後、彼はカフェをでて区役所の福祉課に立ち寄った。何かの申請をしている様子で、診断書のようなものと登記簿のような証明書が見える。陽斗の尾行に全く気がついていない様子だった。

「手帳の申請には‥‥くらいかかりますので‥‥また交付の手続きが‥‥ご連絡させていただきます」
聞き取れた内容から察するに山名は身体障害手帳の交付手続きをしているようだった。

陽斗はカフェでの山名の様子とサングラスを思いだした。視界が狭いのか、暗がりで何か探すような様子もあった。
「見えずらさ‥‥か」

調査や山名を知るものからの聞き取りで分かってきたことを陽斗はメモを出しその場で確認した。
○婚約者とは週に一度程度会っていること。
○会社では仕事、人間関係において特に問題がないこと。
○視覚に何らかの障害があり夜になると見えにくくなること。
○見えにくさが急激に進んでいて身体障害手帳の交付を申請したこと。
○自分の身体の変化を婚約者と上司には話し、相談していること。

区役所の外は「お天気雨」だった。

細かな雨の粒子に光が当たり銀色の帯が美しく空中にいく筋も浮かんで見える。その日常の輝かしさ、明るさと暗がりが山名を見えにくくさせている。

それは見えにくくなることや、今後見えなくなってしまうのではという観想。自分が違う何者かになっていく恐れはないのだろうか。

山名はいつも飄々とすべきことをこなし、そんな憂いはお前の勝手だと言わんばかりの面持ちを陽斗に見せてきた。

陽斗はいつものカフェでメモを眺めながら、青柳に禁じられていた対象者との接触を試みたい衝動にかられた。

興味だろうか。また、関心だろうか。彼の悪く言えば無粋な精神的な何かが、陽斗を惹き付けた。どちらかと言えば親近感、シンパシーにちかい思いなのかもしれないと陽斗は思った。

決して裕福でない母子家庭に育った陽斗は、人から「大変ね」と言われて生きてきた。でも人が言うどんな逆境も、陽斗にとっては何の関心も何の価値もなかった。それはただ存在しているだけで、表象としての障壁や障害だった。

だが山名はどうだろう。その前提が自分と違うのだ。生きづらさの前提が違う人間に同じ匂いを感じた時、その前提に乗っている自分の感情が揺らされた。その価値が変ずる感覚を陽斗は初めて得たのだった。

駅の色は夕刻の赤だった。

山名はわずかだが方向を逸した。
電車が入線した時によろめきホームドアにぶつかったのだ。

「大丈夫ですか?」
素早く陽斗は山名の肩を支えた。
「ありがとう、大丈夫です」
山名は見えにくさが進んでいる気がした。


「もしよければご案内しましょうか」
「ああ、ベンチはどこかな?」
「あ、あれです。えっと右奥の壁の方です」
「ちょっと肘貸してもらっていいかな?」
山名は陽斗の右肘を軽く握ると、押し出すように陽斗を導いた。本来は陽斗が導き手のはずだが、ガイド歩行の仕方が分からないであろう陽斗のために山名がそうしたのだ。

「本当にありがとう。最近全然見えなくなって、危うくホームドアに挟まるとこだったかもしれないよ」
「大丈夫そうでよかった。最近悪くなったんですか?」
「昔から病変のことは医者から言われてたけどここ3ヶ月で一気に進んだよ。もう少しで見えなくなるかもしれない」
「そうなんですか」
「いや失礼。いきなりこんな話をしてしまって」
「いえいえ、この駅で以前お見かけしたことがあって」
「ああ、そうか。だんだん視野が狭くなるんだよ。中央の部分はまだ少し視力が残ってるんだけどね」
「その、変わっていくこと。怖さとか‥‥あるんですか?すみませんこちらこそいろいろ聞いて」

山名は少し上を向いた。島式ホームは、電車が出たばかりで束の間の静寂があった。そのわずかな時間が途方もなく長く感じた。

ホームの向こうは、赤色の空とこの先の紺色と雲の灰色が混じった絵の具がでたらめに撒かれたような色合いだった。

「怖いよ」

山名はそうゆっくり言うと、陽斗の方を向いて微笑んだ。その顔は寂しそうにも、嬉しそうにも感じた。

3ヶ月後、陽斗は調査のために使っていたマンスリーマンションを引き払い、調査報告書を所長の青柳に提出しに事務所へ向かっていた。経費の伝票やら着替えやらが煩雑につまったボストンバックを抱えながら。

「お疲れ様です」
扉を開けた瞬間だった。
ソファーに座るサングラスの山名がいた。

「お疲れ様。こちらは依頼人の山名さんね」
所長がお茶をゆっくりテーブルに置く。

「あ、こんにちは。スタッフの坂下です」
陽斗はなるべく平静を保とうと努めた。

山名は白杖を膝の間に立てながら軽く会釈した。
もうほとんど見えていないのではないだろうか。会釈した方向は正確ではなかった。

山名も探偵事務所の依頼人で婚約者の父親の調査を依頼していたのだ。婚約者の父親が娘に隠している資産や秘密、山名の障害知ったことに対する態度についても調査が依頼されていた。

「僕はほとんど見えないけど、今日はとてもいい天気みたいですね」
「ええ、快晴ですよ」
陽斗は答えた。

「見えなくなってから、なんとなくわかるんですよ。皆さんがほんの少し心が動く。曇りより晴れ。晴れより虹が出た空」

「そうなんですか。興味深いです」
山名は一口お茶を飲むと続けた。


「あれ?もしかしてお会いしたことあります?」


ラジオからは、あのカフェで聴いたブルーグラスが流れていた。

おしまい

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