あなたに向けて書こうとするとき、とたんに言葉があふれ出てくる。
実は今、ぼくのXでは大変なことが起きていまして。
こんなことつぶやいたら、2日で200人以上の「読んでください」が飛んできました。それで僕の生活は一変しました。
眼球疲労とたたかいながら、家にいる時はずっと感想を書いています。
感想を書きながら、気づくことは山ほどあります。ひとつひとつの気づきをいつものようにiPhoneの黄色いメモに書きためています。その気づきの中ひとつが、『自分で書いた感想を読み返しても、「これいい感想だな」と思うときがある。』ということです。
ちょっと学生時代の話をさせてください。僕は、読書感想文が嫌いで、小6で書いた感想文を中1でも使いまわしたことがあります。(詳しくはこちらに載ってますのでお時間あれば)
じつはこのnoteを書くとき、またいつものようにパーソナル編集者のみずのけいすけさんに相談しました。
「文才がない、作文嫌いは主観かあ…。」正直すっごく悩みました。たしかに、ものすごく主観的であいまいだ。自分のことがよく分からなくなってきた。本当に心の底から書くことが嫌いだったらそもそもnoteをやろうなんて思わないもんな。
話を読書感想文に戻すと。
あのころ逃げていた読書感想文だけど、実は小4のとき『1リットルの涙』で書いた読書感想文が校内で入選したことがあります。でも、どんなことを書いたか、どうやって書いたかも思い出せない。
ただ、『1リットルの涙』を読んだ夏休みの、あの1日の景色は今も鮮明に覚えていて、祖父母の家のえんがわで、ひとりもくもくと読みふけっていました。『1リットルの涙』は30歳になった今でも心に残っている作品です。きっとあの頃の僕は、夢中で読んで、夢中で感想文を書いたんだと思います。
今日、noteで小説を書いている日々鯨之さんの作品の感想を投稿したとき、あることに気づきました。
僕は「ほんとうに心が揺れると、主人公に語りかける」ことに。
思い出した。そういえば、あの時の読書感想文、僕は『1リットルの涙』の主人公の天国にいる亜也さんに手紙を書いたんだった。
自分は文才がないと思っていたけど、やっぱり主観的で、あいまいで、思い込みが生んだ自己認識でした。明確に誰かに向けて書く時、僕は自分でも書けると思ってないような文章が書ける。たくさんの方のnoteを読むことで気づいた、自分でさえ知らなかった一面でした。
はっとして、自分で書いた感想を読み返してみました。やはり、「これいい感想書けたな」と思うのは、読んでほしいと言ってくれたあなたや、小説やエッセイの登場人物に向けて語りかけるように書いた文章。あなたに届けようと思っている時、どばっと言葉があふれて、とまらなくなって、Xの小さい枠におさまるよう、なんどもなんども書いては消してをくり返していました。
書くことから逃げていた学生時代。なんであれほど苦手意識があったのかはよくわからないけど、今はみんなの感想を書きたくてしかたがない。
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