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あの男性には、愛が満ちている気がして。

最近、カメラにハマっている。父から一眼を譲り受けて写真を撮りまくっているけれど、やっぱりフィルムが好き。なんでだか、気持ちがのるのだ。その時の気持ちが表現できる気がして。
フィルムが、好き。カシャ、の瞬間が好き。あちこちのいろんな景色をフィルムで撮りたい。今感じるワクワクは、フィルムカメラのこと。

そんなことはさておき。
これは最近のこと。フィルムの現像の待ち時間、1時間くらいであがると言われたので、スタバでアイスパッションティーを買って駅前の広場で座ってた。お休みの日ということもあって、いろんな人が行き交う街中で、耳にイヤホンを刺しながらぼーっとしていた。その広場は段差がある木造のベンチみたいなものがあるのだけれど、わたしもそこによじ登って周りの景色を見ていた。

しばらくして、とある男性がわたしの目の前に座った。
言葉を選ばずに表現すると、臭いや服装など見るからにホームレスのような、そんな方だった。60代前半くらいだろうか。父よりも少し歳が上な、そんな感じの。
何かを叫んだり、明らかな臭いがあるからか、周りにいた人はみんな去っていった。広場には、わたしとその男性だけになった。
その時のわたしは、ちょっと元気がなくて気力がなかったこともあるのだけれど、なんとなくその場から離れる気になれなかった。いや、ならなかった。
今でこそ興味本位になってしまって失礼だけれど、わたしはその人を知らぬ間に観察してしまっていた。
群青色のパーカーに、ストライプのパンツ、長髪の髪の毛には白が混じっていて、わたしにはブランドがわからないハットをかぶっていた。左利きなのだろうか、マウントレーニアの缶コーヒーを手に、ズンっとそこに座った。
大声をあげて何かを言うものだから、みんなが驚いて近寄ろうとしていなかった。むしろ離れていく。後ろにいるわたしには、きっと気づいていない。

耳に刺していたイヤホンを外した。何をこの人を叫んでいるんだろうと気になった。
「生きるからな」「ここにいるからな」「大丈夫!大丈夫!大丈夫」聞き取れることは限られたけれど、こんな言葉だったと思う。
その男性が項垂れてベンチに手をかけた時に、気づいた。
その男性の左腕には、左手には、たくさんのアクセサリーがあった。

右手には何もない。
対して左手の薬指には、水色と白で作られたお花のビーズの指輪、小指にはシルバーやゴールドの指輪がたくさん。そして手首には、あきらかに手作りのピンクと緑色のビーズのブレスレットに、少し錆びたゴールドのバングル。
明らかに、女性が身につけているようなものだった。

真実はいつも一つとは言うけれど、わたしは知らなくていいこともあると思う。
けれど、この男性が項垂れていたのは、何か理由がある気がしていてならない。
側から見たら、叫んで異臭を放つ方に見えてしまうかもしれないけれど、わたしはその左手に愛をみつけた気がしてしまって、言葉にできない気持ちになった。
思わず持っていたノートにその男性の手を描いたのだけれど、これは見せるものではないなと思うから見せない。

家族がいたのかもしれない。
愛する人がいたのかもしれない。
ひとりで人生を歩んできて、もうダメだと思っているのかもしれない。
想像はいくらでもできるけれど、答え合わせはできない。しなくていい。

イヤホン付けて曲を聴いていたら、藤井風さんの「満ちていく」が流れてきた。
ジャケット写真の男性と、重なった。

人が人に何かをするのには、理由がある。必ずある。
例えばいじめをする人にも。例えば犯罪を犯す人にも。
生きてきた背景があって、それをする経緯がある。
わたしは昔から、いいことでも悪いことでも何かを人から受け取った時、この人はどうやって生きてきてわたしにこういうことをしたのだろうと考える。なんだ、嫌なくせな気がする。

どんなに明るい人でも。どんなに淡々として見える人でも。
きっと、わたしが知らないところでたくさん傷ついている。死ぬほど泣いた過去があるかもしれない。取り返しがつかないことさえしようと思ったかもしれない。
知らないところで悩んだんだ。何かを失い、何かと戦い、身を守るためにこうなったんだ。
行きすぎている想像。こんな感じなんです、わたしは。

だからと言って、度を超えて何かをわたしにした時に蔑ろにしていいわけにはならないけれど(突然)想像をしていると誰も悪人にできなくなる。
誰も悪くないのかとさえ思う。

人間にはスイッチがある。
犯罪のニュースを見るたびに思う。
人を殺める、犯す、心や体を殺す。
でもこの国には、人を殺してはいけないという法律はない。殺した後の法律はあるけれど、殺すなとは言わない。
戦争ができなくなるから。世界のバランスが崩れるから。そして死刑制度が使えなくなるから。
結局はそんなもんだ。そんなものなのだ。

死にたい時に死ねない。
しかし生きろと歌うバンドマン。
死にたいといいながら生き様を描く。
死にながら生きているアーティスト。
人が好きな時に死んだっていい世界であればいいのにと、何度思ったことか。
生きていろなんて、無責任すぎる。
死なれて嫌な思いをしたくないから、綺麗事を叫ぶだけ。生きることを美しくしすぎだ。
肉や魚のために平気で動物を殺すのに、それをインスタにあげるのに、自分たちの命には必死だな。そりゃ、地球も怒る。

そんなことはよいのだ。今はそんなことはいい。
ただ、わたしは世界に足りないのはお金や思いやりではなくて、想像力な気がしていて。
下手な言葉で言うなら、もうみんな好き勝手妄想すればいい。
もっと、もっと自由に、バカになればいい。
全員他人のこの世界、人として生きるのならば、他人のことなんて想像でしか分かり合えない。
その人を知りたくても、わからない。分かり合えない。だからこそ、感情がある。経験をする、喜怒哀楽がある。

前にも悪にも、理由がある。
真実が正しさとは限らない。
わたしは今まで、見えないものこそ愛だと思っていだけれど、あの男性に出会って目で見える愛を想像した。

別れや絶望を抱えながら生きていく。
苦しくても悲しくても、愛があるから、生きていく。
どうせ死ぬ。でも生きていく選択をしているのは自分。今だって、死にたいくせに生きている。
だったら、腐らないこの時間だけは、愛を諦めないで生きていきたい。

そう教えてくれた男性に、愛を込めて。
手のひらが暖かそうで、誰かの頭を撫でている手だと。わたしは思いました。

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