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暴露系毒舌私人逮捕ファミリー野球ユーチューバー、ノーブラのまま、緊急で動画を回しています。

何者かになったモノがもう一度何者かになることは難しい。

卒業したアイドルが化粧品をプロデュースして大失敗するように、プロ野球選手は引退した後にラーメン屋になりたがり、その店は早々に潰れてしまうものだ。

かくいう俺もその一人だった。

MAX149キロのストレートを持つエースとして甲子園に出場し、そこそこチヤホヤされて学校イチかわいい彼女もできた。
しかも高校生のくせにいっちょ前に3股をしていた。
そして6巡目ではあったけれどドラフトでプロ野球に指名されて、県内のマスコミが体育館に押し寄せた。
「200勝を目指します!」
と高らかに誓い、故郷をあとにした。

それからわずか2年。俺は、ひたすら肘の痛みに苦しんでいた。
肘の痛みだけじゃない。コーチのパワハラだ。この時代に殴る蹴るは当たり前。唾をかけられたこともある。
俺だってそれなりのプライドがあって入団したが、この仕打ちに初めての挫折に心が折れかかった。

そんなわけで俺は憂さ晴らしとばかりに、同じく2軍でくすぶる先輩ピッチャーと連日連夜のように、西麻布に繰り出しては”お持ち帰り”前提の合コンに繰り出した。
"プロ野球選手“や“元・甲子園球児”に食いつくエチエチな女性は、東京に意外といて、俺はそいつらを抱きまくった。
あー楽しかった。

気がつくと1軍登板のないまま、4年目のシーズンを終えていた。
案の定、俺は「戦力外通告」を受けた。クビだ。
俺のアイデンティティだった”野球”を失った瞬間、俺はただのポンコツ不労者になっていた。
ちょうど、できちゃった結婚でモデルの卵だった子(Hカップ)と結婚した年だった。
しかし、プロの世界に同情など存在しない。140キロに満たなくなった俺の棒球に可能性を見出す大人はもういなかった――。

そんなとき、1本の電話が鳴る。
どこかの飲み会で一緒だった何かの事業をしている社長だった。
「添田君、YouTubeやってみない?」

俺は営業マンになるのも、ラーメン屋の厨房に立つこともしたくなかったから、その話に瞬時に食いついた。
俺は、翌日からユーチューバーになった。

ある日は、プロ野球の結果を毒舌で総チェック。
ある日は、現役選手の夜の「下世話ネタ」を暴露。
ある日は、競馬予想。
ある日は、痴漢を私人逮捕。
それでも登録者は伸びないし、再生数もパッとしない。
「添田君、もっとYouTubeを研究しないと」

社長に言われて、俺はやる気を入れ直した。
体育会系。根性だけはある。

ある日は、マルチ商法のセミナーに突撃。
ある日は、会ったこともない不祥事芸人を痛烈批判。
ある日は、我が子と嫁を出演させて、おもちゃで遊ぶ。
ある日は、嫁をノーブラにさせてセーターを着せて公園を散歩。

おかげで登録者数は5万人になった。
俺はもう一度何者かになることができた。

しかし、全部の動画に警告が届き、アカウントがBANされた。
完全ノックアウトだ。

嫁は子供を連れて、実家へ逃げていった。
社長とも連絡がつかなくなった。


数カ月後。俺は公園で暮らし始めた。
そんな俺を小太りの兄ちゃんがインタビューしてくれたYouTubeが50万回再生した。
でも、もう一度頑張ろうなんて気持ちはなかった。

公園で汚れたボールを拾う。もはや握り方さえ定かじゃない。

それから数日後。
俺は甲子園で完封勝利を挙げて以来、いやドラフトのときもちょっと誌面に載ったか。
新聞記事に名前が出た。

鉄線泥棒した後、飲酒運転でスピード違反し、覚せい剤にも手を出した。

どこで間違えたんだろう。
いろいろ思い当たる節があるけれど……。


きっと野球を始めたせいだ。




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