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手の甲を太陽に

さてと。
と言い出すときの彼氏は決まって何もしない。
今日も昼前に出かけると約束していたのに、いつのまにか「のど自慢」が始まっている。
「のど自慢ってなんかおもろいよね」
「まぁ。令和にやるメディアとは思えないよね」
「え!? この人、鐘一つではないだろぉ」
「てゆーか、早くパジャマ脱いで」

そんなこんなで14時に街へ繰り出す。
ちょうどランチも終わる時間。ギリギリ滑り込みセーフで、お気に入りのパスタ屋に飛び込む。
そこでもなぜかグラタンも食べる彼氏。パスタをうまく巻けないし、うまくすすれないらしい。どうやって生きてきたんだ、この男は。

陽射しを手の甲で隠すのも気になる。手のひらを向けろ!
スロットはしないのにスマホのスロットゲームをするのも意味が分からない!
コンビニ弁当の熱くなった柴漬けが好物なのもむかつく!

嫌いなところは多いけれど、好きなところは少ない。
でも、なんか安心するから5年も一緒にいるわけで。
総じて、好きなんだと思う。

5年いて、結婚の「け」の字も出たことがない。スプラッター映画をウチのテレビで流しながら「好きだよ」とは言ってくる。

好き同士なのに噛み合わない日々。
でもあたしが事故にあって寝たきりになってから二人の関係性は変わった。
彼は献身的にあたしの見舞いに来てくれたし、車いすでいろんなところに連れてってくれた。
野毛動物園、都庁の展望台、代々木公園。どこもタダで入れるところばかり。そして、バリアフリーが整った場所。

彼は手の甲であたしの視界にある陽射しを隠して、こう言った。
「俺、お前のためにのど自慢出るわ」

あたしは意味不明すぎて泣いていた。本当に意味不明。どの感情にもない涙が出ていた――。

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