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重大で即座に対応しなければならないこと。

このコロナ禍で「緊急事態宣言」という言葉をよく耳にする。政府は宣言を発出して国民に要請をして、この一年いったい何をしてきたのだろうかと思う。批判をしようと思っているのではない。「緊急」とは、重大であるから即座に対応しなければならないことなのだ。

例えば、目の前で人が倒れている状況なら、まず駆け寄り状況を確認し、必要に応じて救急要請を行う。現に自分は意識を失い外傷性くも膜下出血で人に命を助けていただいたので本当に感謝している。今の政府は、客船でコロナ患者が出たことに人道的に反応し、自分たちの力を過信し安易な対応で国民の命を脅かす状況に陥ったことは間違いなく過ちだ。

自分はレストランという舞台で長い時間を過ごしている。中には極度の緊張と呑みなれないワインを口にすることで急激な血圧の低下で意識を失うお客様を何度も見てきている。席を立ちたいていは歩きだして3~5歩目で崩れることがほとんどだ。

経験があるから怪しいと思うとそのあたりに何気なく支えられるように位置取りをする。もし仮に、倒れられると一分間の脈を測る。同僚、部下に即座に役割分担をする。救急に連絡をさせる。一人はメモを取らせる。何時何分にどうなったか。僕が取った脈の記録、言動、顔色等気付いたことをすべて書かせる。そして救急隊員にそのメモを渡し引き継ぐ。経験があるからマニュアル化できている。

今の政府の対応を責めているのではないが経験がないから対応方法がわからないのだろう。未知の経験であるから対応を誤ることもあると思う。ただ今の政府は、倒れている人がいますよと宣言はするが何の対応もしていない。仮説を立て実行し検証し間違っていれば、再度仮説を立て新しい実行に移さなければならないのだが、いわゆる放置だ。間違っていることがあると責任が生じることを恐れているのだろう。

この一年間、重大で即座に対応しなければならないことなのに対応策がいまだにわからないのは仮説も立てず実行もしていないからだ。誰しも責められたくはない。そのことを恐れて行動せずに、目の前で倒れている人も眺めながら「気を付けてね」と注意喚起はしたよということで自分の仕事からは逃れる。

その状況は認めざるを得ないだろうと思うがそれすら認めない。策がないから「緊急事態宣言」を繰り返し、もはやオオカミ少年の童話の様だ。その効果がないことも薄々感じてはいるだろう。しかし国民は「緊急」という言葉に慣れてニューノーマルになってはいけない。自分の身は自分で守るしかないのだ。

であれば要請を受けている国民も傍観者になることなく自ら考えるしかないのだ。何が大事で、何が大切かということを。「大事」とは、重大な事柄、容易でない事件。「大切」とは、最も必要であり重んじられるさま、重要であるさまなのだ。個々に判断する以外ないのだ。

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