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好き嫌いを決めるのはもったいない

菊と刀という本という本に出会いました。

日本に一度も来たことがないアメリカ人が日本人の気質を描写している本です。妻から教えてもらって読みましたが、衝撃を受けました。言葉でできる限りの精細に表現されているだけでなく、現代に通じる、戦後からこれまでの日本人・日本の文化が背負ってきた病のようなものを予見するかのような考察が行われています。

相手のことを知らずに相手のことを語るのは難しく、危険だと常に気をつけています。この本も、捉え方によっては、日本に来たこともないのに、日本のことをあたかも事実であるかのように、イメージで語っていると批判される可能性を残している面があります。

当時はネットもないので当然、イメージや伝聞が中心となって記事ができていると思うのですが、現代では、ネットが普及したので、相手のことを知らずに相手のことを学ぶことができてしまうようになりました。知らないことを、おおよその情報をもとに「知る」ことはいつどこで誰でもできるようになったのが現代かもしれません。

この「よくわからないまま学ぶ・考える・語る」ということの良し悪しについても、この本は考えさせてくれた気がします。そして「学ぶこと、考えること、語ること」が、どのような形で展開されれば、より純粋に、正確に、対象を捉えることができるのかなと、思考を巡らせてみました。

先入観や固定観念に囚われずに知識や経験を吸収することが、情報社会では難しくなってきています。食べログや通販のレビューを見て、答え合わせをするように消費する社会になり、それが当たり前になり、ドラマや映画のネタバレだけで作品が消費されてしまう時代。本当に対象物を知る前に、知ったような気になってしまうことも少なくないと思います。

すぐに情報を獲得してしまうことにより、よくわからないものを、結論を手にする前にじっくり考えることをしなくなってしまったと、改めて思います。わからなければすぐに調べることができると、時間をかけて考えたり感じたりすることが減ってしまうような気がしませんか?ぼんやりした状態で物事を考えることも、人間には必要なんじゃないかなと、最近は考えるようになりました。

妻が新しいことを色々始めるのを見る中で、これまで考えもしなかったことや予想もしなかったことが行動に現れ、日常になる現象を間近で観察していている最近、想像もしなかったことを始めたり、達成したりすることのきっかけは、こうした「ぼんやりとした」道草的なモノ・時間・思考がヒントになっていることが多いとわかります。

不思議だったり、新しかったり、未知のもの、わからないからこそ、学ぶことができるのだと思うし、わからないからこそ、好きとか嫌いとか、感情を抜きにして対象物を観察することができるのかもしれないですよね。そして徐々に興味を持ってきて、取り組んでみて、当たり前になって、共存して、ようやく愛着が湧いてきたり、嫌になったり、それでも続けられたり、気持ちが後からついてくるものも少なくないと感じています。

ここ最近の記事で割と多く触れていますが、結婚してから、コロナ社会になってから、身近なものの面白さや幸福感に触れることが増え、スローライフ的なものの価値を再確認することが増えました。食・健康・近所・学び直し、どれも、普通の大人が社会一般で普通とされる人生を送る中では、余裕がないことを理由にじっくり取り組まれることが少ないものだと思います。

そして、こうやって見落としていたものを拾う中で、いかにこれまで、視野を狭くしていたかがわかるんですよね。

正しい、正しくない、損得、意味がある・ない、好き嫌いなど、結論づける方向性を持つ感情がそれに重なると、それ以上、純粋な視点でそれを見なくなってしまうんだなとも痛感します。

だとすると、何かを深く知りたい、学びたいとき、好き嫌いがはっきりしてくる前に、それ(学ぶこと)を行うことが、実はとても重要なんじゃないかと、この本が教えてくれました。

興味深いツイートを先日読みました。学ぶことは「ありのままを見ること」とも言えるんじゃないかと思います。好き嫌いのフィルターを通すと、おおよそ物事を正確に把握できなくなってしまうけれど、どんなものにも相対的な要素が含まれ、絶対に間違っている、絶対に嫌い、絶対に好き、絶対に正しいなどはないんですよね。

最近の「宗教問題」や「推し活」がもたらすネガティブな側面についての考察からも、それを感じます。盲目的に何かを愛でることは、愛情ではなく、自己愛だったりしますよね。どんなに好きなものに対しても、その弱点や欠点、矛盾点をきちんと認められるからこそ、それが好きといえるわけです。

好き嫌い、信じる信じない、が最初に来てしまうと、その志向に行動や選択を合わせていくことを強いられて、本当に苦しく、自分も苦しく、他人にも苦しく接してしまうようになるのかなと思います。

テーマも時代もぜんぜん違う本なのに、自分自身の日常生活における気の持ちようについて考えさせてくれる、嬉しいご縁になった一冊でした。今日も妻からのプレゼントを一つもらいました。

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