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人間が故郷と感じる対象は場所だけじゃない

3年前にリリースされた曲、和楽器バンドの町屋さんが歌う「郷愁の空」。日本語の曲を聞くことが減っていたけれど、この曲を聞いたとき、自然と込み上げてくるものがあった。

歌詞を見ていただきたい。歌詞が一つの物語になっている。帰り道に嫌なことがあって、物凄い嫌な気分になったとき、どうしていいのかわからなくなって、電車にも乗らずにフラフラ歩き出すことがある。そういう場面にこの曲を聴くと、曲が終わることに、何らかの方向性というか、道が見えてくるような曲。

というと、ざっくりした説明になりすぎたかもしれない。故郷を捨てて東京に来た人の心境を語った展開になっている。場面を追っていくと、時間が流れることで過去の居場所の貴さを知り、それに素直に向き合えるようになっていく過程が描かれている。

このようなテーマの場合、都会が窮屈で田舎が開放的、温かく居場所がある土地であると対比されることが多く、実際に、この曲でも、行き詰まったときに見るのが都会の空であり、田舎を出てきた人物の心境を歌っているように思う。

けれども、都会にいても都会を懐かしく思うこともある。たとえば、街を歩いていると理由もなく心が穏やかになるのは、その街、駅前に何らかの思い出があるからだ。そしてそれは、時系列的に思い出になっていくのではなく、大人になってからの縁や出来事も、故郷のように懐かしむ思い出になりうる。

今の自分を構成する何かがあり、そこに立ち戻って考えたり、気持ちを休ませたいと思うような存在こそが、故郷なのだと思う。上の例で言えば、そこを一緒に歩いた人、お店で会話を交わした人、何気なく無言ですれ違った人、その場所を紹介してくれた人、なんでもよくて、ふと、今は日常ではなくなったものを、頭に思い浮かべて、大切に思う気持ちを取り戻せる対象。それが故郷なのだと思う。

田舎から東京に出てきて、逆に東京を故郷に感じる人もいるだろう。妻は、東京に来て、ここが落ち着くと言っていた。もしかしたら、元々の精神は東京にあって、田舎で修行の旅をしていたのかもしれない。そんな逆転の発想も思い浮かんだりする。

話が脱線してしまった。自分自身が考え事をしてたくさんの場面を歩き進むような情景が浮かぶ曲だから、気に入ったのかもしれない。これを聞いて、昔の友人を思い出したから、気に入ったのかもしれない。それはちょっと前の小さな事かもしれないし、遥か昔の大きな出来事かもしれない。中身はどうでもよくて、何かを忘れずに思い続けることが、自分の中で、それを大事にすることに他ならないし、ずっと続いていくものになりうるのだと、そう思うことにしている。

音楽に物語的な展開を求めてしまうのが私なのだろうか。


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