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ギフテッドだと他人から指摘される瞬間

組織に属さないフリーランスな働き方に憧れ続けている。在宅や自由な場所でノートPC1台で自分のペースで仕事ができ、生活できるだけの収入を得ることができたら、とても嬉しいことだろうと思う。DINKsなので子供の学校や休みにスケジュールを合わせることも今後ないだろうし、休日に街中がどこも混雑しているのを見ると、平日休みの仕事でもいいかなと思えるほどだ。

そんな働き方を探そうとすると、プログラミングなどIT関係の仕事がヒットする。大学時代に自分の性格を分析し、正しい専攻を選択できなかったことが原因だが、今の自分の目指す生き方とスキルが違いすぎることを痛感する。

1.自分自身の不適合性に気づいた幼少時代

私は対人折衝や団体行動が苦手な性格で、その性質を幼少期から感じていた。学校が苦痛だった。あれだけ長時間にわたり、拘束され、他人と一緒に過ごさなければならない、自分の人生に関係ない目標や達成に向けて努力させられることが苦痛だった。だから、できるだけ組織に埋没しないで生きていくための能力を身に着けることが私の使命だったのだ。

そんな性質を小学校中盤に察知していた。小学校は退屈だった。4歳の頃、公文式の数学を始めた。6歳の時に中学3年までの基礎学習を終えていた。初めて聞くフリをして参加する学校の授業は苦痛だった。数学以外の科目は全部嫌いだった。読めばわかる文字を音読する国語、虫が湧く中植物の観察を強いられる理科、終わったことをただ暗記する社会科、団体行動の礎である体育や音楽、明確な数字と記号の羅列を捌く快感とは程遠い科目だった。

公立中学に行くとロクな目に遭わないだろうと感じ、できるだけ人間関係が流動的でドライな私立に進学することにした。友達関係ではなく教員という存在ととにかく話が合わなかった。非効率な横並びを強要し、理屈で指導できない反知性主義ともいえる集合体を奇異なものとして警戒していた。私の学区は治安もよく公立中学校も模範的とされる落ち着きが評判だったが、時間を浪費するだけで成果が伴わない公立校の義務教育に嫌気が指し地元進学を拒否する流れができていた。5割弱が地元の中学に進学せず、一貫校や大学付属に進学した。私もその中の一人だ。

その私立でも、この特殊性から色々なアンチが沸いたり、自身の人格を否定されるようなことを言われたりすることが多く、限られた人物に心を開いていたが、基本的に団体行動をとらないようにしていた。それでも、今でも親友と呼べる人物がこの当時のコミュニティに残されているのは奇跡的だ。

2.交友関係が生んだ自己の大衆化・一般化と過信

社会不適合な私は、そのまま社会不適合者として生存手段を模索すればよかったものの、社会に適合し、標準的な人間と同じようなパフォーマンスや志向を持つことが正しい生き方であると勘違いしてしまった。勘違いさせた空間は間違いなく学校であり、学校で同級生たちと比較評価され、競争し続けてきたからだろう。自分自身のゴールや幸福ではなく、他人と比較して相対的に高い位置にいることが正しさとされ、そのための努力をすることが当たり前のように誘導される。

他人に勝ったところで、どの他人とも別々の道を歩むのだから何の意味もないし、そもそも目指すものが異なるのに同じことで競う意味すらないというのに、そういうこともわからないくらい麻痺していた。何をやるにも自分の相対的立ち位置が気になるような環境に置かれ、自分の目指す進路に近づくことよりも、周りより良いスコアを出すことに夢中になっていた。それは大学受験などの学力試験だけではない。就職についてもそうだ。世間体の良い所属先を模索し、そこに所属し、多くの報酬を得ることや、人から褒められるような人生を歩むことが正しいと学校や友人知人から洗脳されていた。

もともと得意な科目しか勉強しなかったし、授業への出席すらロクにしなかった。もともと苦手なものなど克服したところで最初から得意な人間に勝ち目はない、これがモットーだった。短期留学を経験したので英会話はアクセル全開で取り組んだ。国籍を問わず色々な人の意見を聞いたり感情を通わせたりしたかったことと、セロトニンL型のポジティブな人間と多く関わってみたいと思ったからだ。

高校時代は廃人だったので大学受験は中学終了時点の学力で臨んだ。英会話と2ちゃんねるを読むこと、ボウリングくらいしかしていない。私立は英語数学化学の3教科。何千時間も拘束されて、たったこれだけで大学に進学できるのだ。全部全力で頑張る意味は何もない。ここだけ頑張れた人間が一番得をすることを薄々感じていた。進学先は知名度だけは高いので褒められることが多かった。それが全然嬉しくなかった。凄い大学に通っているんですねと言われても、何がどう凄いのかが曖昧だとまったく喜びを感じなかった。試験を受ければ偏差値59.7とか具体的な数値によって評価されるが、人間の評価は曖昧で、何がどう凄いのか、何がどう価値があるのか、客観的な説明がされないことがもどかしく、鬱陶しく感じるようになっていた。これも私の性格形成の答え合わせの一つとなった。

3.数字の評価vs人間の評価

高校時代は他人と競争させられ、勝つことに執着していた。だから当然、相対的に「勝ち」である今の状況に満足してもいいはずだ。それが勘違いだったのだ。私は、他人に勝利することではなく、ハイスコアをたたき出すことに満足していただけで、他人より上か下かなんて心底どうでもよかったのである。だから団体競技のスポーツには無関心で、テレビゲーム感覚で数字をたたき出せる勉強(試験)で遊んでいたにすぎない。偶然比較対象があったから人間相手に嫉妬したり一喜一憂していたと勘違いしていたが、本当は他人の出す能力値に羨望を覚えていたのである。だから私はスコアを出すための勉強しかせず、苦手科目の克服などに時間を費やさなかった。これが結果的に敗因となってしまった。

就職活動にも全く関心が持てなかったが、無職になることを回避するためだけに少しだけ参加した。人間が人間を評価する場面に遭遇したことがない。人間は人間を正しく評価できないからセンター試験のような客観式試験があるのだと思っていたし、主観で人間を序列化することなどできないと思っていた。それが平然と行われているのが就活の世界だった。みんな同じ服を着て同じように頷き、何を考えているのかわからないまま隷従するだけの世界。人間に生まれた意味を感じない場所だった。3日で就活をやめた。そのまま適当に卒業論文を出して既卒無職に。

スーツを着なくても良い場所や自分のペースで働ける場所をできるだけ探したが、そもそも働くこと自体が向いていないのだろうと気づいていた。家事が好きな自分に気づくとその傾向は強まった。団体行動で何かを得ようという気もなく、誰かに褒められることも快感ではない、振り込まれる金銭だけを心のエネルギーにして40年間生きるのはあまりにハードルが高すぎた。高齢者を中心とするピラミッド社会で茶番を演じ続けるのも無碍であり、適当に生きて金が尽きたら死ぬ程度の人生でもいいかと考えていた。

試行錯誤の末、辿り着いた結論は、自由時間を最大限に確保できる仕事で金をためつつ、余剰時間を副業に充て、早期にセミリタイアする生き方だった。子孫を残さない選択は未成年のうちに固まっていたので、確実に早期リタイアできると思っていたし、老人が老害化する社会を見ていると、長生きが他人にとって害悪であることも身に染みて感じていたので、自分が生きて死ぬ、あるいは、偶然出会った配偶者が困らない程度の財産を確保して、できるだけ早く、人間に戻ろうと決め、労働村に飛び込んだ。

自分を売り込む力も気力もなかったので、いわゆる一流企業に入ることはできなかった。それは多くの所得を得ることができないことを意味する。偶然見つけた半官半民のような組織に入社した。そこは縁故採用が多く、柵だけで生きている人間や、世渡り上手が幅を利かせる組織で、事務能力の有無は評価の対象ではなかった。事務遂行の出来に限らず報酬は同じ、多くを捌ける人間はただ褒められるだけで、大学に入学したときと同じ言葉を何度も浴びた。数字にならない評価を受ける苦痛が待ち受けていた。大変だとか難しいと思った仕事は一つもない。残業も10年間で20時間程度、10年弱ここにいて、得たものは何もなかった。サボってても余裕で仕事は終わり、調査業務をしていても、上司が中身を理解していないので、噓の説明をしても平気で頷かれる凄惨な状況だった。

事務職は専門性がない、専門性がないと求められるのは協調性や他人に媚びる力となる。安定している組織ほど保守的で、効率性や生産性は求められない。名誉や地位や世間体や評価に快楽を覚える人間の集合体だから、数値など、人間以外から評価されたい私のような性格とは相性が悪い。それはどこに行っても同じであり、これが嫌ならば具体的な専門業務を担う能力を持ち、該当する求人に応募して働くしかない。これを可能にする職はこれまでもたくさん見てきたはずだし、進路次第ではそこに行ける機会は十分にあったはずだ。

4.やりたくないことから目をそらすな

自分のありたい姿を模索しないと人生が崩壊する。あるべき姿ではない、ありたい姿だ。あるべき姿は他人や社会から強制されたものや洗脳されたものが多い。特に比較される環境に身を置く学生時代は要注意だ。自分が望んでもいないものが眩しく見えたり、競争意識の果てに見えたものが目標だと勘違いしてしまうことがある。

私は朝起きて、洗濯機のスイッチを入れ、乾燥機で布団やタオルをフカフカにし、朝食の準備をしながらブログを書き、妻と一緒に朝ご飯を食べながら始まる1日に幸福を感じる。

混雑の中、イライラしながら人混みを押しのけて会社に向かう人生を幸福だとは思わないし、それをやるために生まれてからの20年があると思うと、生まれない方がマシだと思うし、これが人類のスタンダードだとするならば、2度とこの社会に生誕したくないと思う。全世界で究極に恵まれている日本社会に生きてすらこう思うのだから、生きるのに不向きなのだろう。他人を蹴落として、マウントして、マイノリティを否定して、そういうことを繰り返すために努力することをしたくない。他人に執着したくないし、自らの幸福の前提条件が他人の犠牲というのは、あまりに粗末な生き様であると思う。

今回は偶然幸福になれて、本当によかったと思うし、周りの人間に感謝している。だからこそ、運がよかっただけの自分の境遇を一般化して生命のリレーを連鎖させない。これが私のやりたくないことリストである。

5.人生は運だと思う

有名だから質が良いとは限らない。ブランドがあるから良いものとは限らない。世間が盲目に褒めるようなものには負の側面がある。私自身は無能である。人生は運である。自分が好運なのはすべて環境の影響である。自分が不幸なのもすべて環境の影響である。努力は運にはかなわない。運に無自覚な人間ほど努力を信奉する。納得を自力で導いた人間は自信を持っている。

ーこれが私がこれまでの人生から学んだことだ。早期に進路修正しておけばよかったが、手遅れだった。私が進学した学科では何か技術や資格を取得・修得できることもなく、ただサラリーマンになるしかなかった。幼稚園の時点で忌避していた団体行動や集団生活に再び埋没するような進路に、なぜわざわざ飛び込んでしまったのか。社会的評価のある組織に所属すれば人生が優位に働く、自分も健常者と同じように対人折衝や団体行動ができる、この究極な2つの誤解が、私の進路選択を不可逆的な過ちに帰結させてしまった。そして、これほど愚かな選択をしてもなお、自由で余裕があって清潔な住宅と清潔な備品と帰る温かい家に守られているのは、間違いなく私と出会ってくれた妻のおかげであり、経済力を確立したうえで子供を設ける正しい順序を踏んでくれた両親、悲惨な幼少期をサバイバルしてきたにもかかわらず、歪んだ価値観や前時代的な思想を両親に矯正しなかった祖父母たちのおかげでもあるのだろう。

こうした人々への感謝は、私自身が死ぬまで笑顔で生き続けることで恩返しすると決めている。恒久的な精神の豊かさは納得から生まれる。向いていないことや強制されたことをしない自由を感じられる納得から。


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