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孤独な皇帝たち

今、明代の中国について改めて勉強しています。西暦1600年前後に活躍した人物をリレー形式で紹介する連載企画「世界史人物探訪PREMIER」で、来週から中国の人物を取り上げるからです。

「世界史人物探訪PREMIER」の舞台となる時代の中国を支配していた万暦帝(トップの肖像画の人物)は、数十年にわたって職務を放棄したニート皇帝として知られる中国史上屈指の暗君です。こんな人物が47年も皇帝の座にあったことが運の尽きで、彼の孫の代で明王朝は滅亡してしまいました。

ただし、明の衰退は彼の能力やモチベーションだけの問題ではなく、王朝の制度にも原因があったと考えられます。簡潔に言うと、皇帝の権力が強すぎたのです。

明王朝の初期に君臨した洪武帝と永楽帝は非常に優れた人物でしたが、残虐な一面も持ち合わせており、ともに大規模な粛清を行いました。彼らは強靭な精神力(というか非人間的な感覚)を持っていたので周囲に信頼できる相談相手がいなくても平気だったようですが、凡人にとってはたまったものではありません。

また、皇帝に匹敵する実力を持つ臣下が出ないように制度が作られており、高官でもすぐ弾劾され、場合によっては死罪になることもあったようです。そんな状況だと、臣下の側も皇帝に近づき助言するのは大きなリスクを伴います。皇帝と臣下の距離が遠すぎたわけで、皇帝はずいぶん孤独だったんだろうなと想像されます。

そんな皇帝の心の隙間を埋めたのが宦官でした。永楽帝など有能な皇帝は宦官をうまく使いこなしましたが(大航海で有名な鄭和も宦官です)、無能な皇帝だと政治を宦官に任せっきりにした例も少なくありません。明代には劉瑾や魏忠賢など歴史に悪名を残した宦官が多く出ましたが、彼ら自身や彼らを重用した皇帝だけでなく、政治のシステムに問題があったと言えるでしょう。

万暦帝の孫で最後の皇帝となった崇禎帝は気概のある人物でしたが、猜疑心が強すぎて臣下を信頼できず、墓穴を掘る結果となりました。最初から最後まで、皇帝は孤独だったのです。

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