見出し画像

センスの背後には経験値がある

「なんやねんこのセンスは!」

帰宅した私は驚きました。ダイニングテーブルの上に置かれていたのは紙粘土で飾られた写真立てで、小学3年生の次女が図工で作ったものだというのはすぐにわかりました。それ自体も上手にできていましたが、もっと感心したのは彼女が書いた紹介文です。

いったいどこでこんな文章表現を身につけたのでしょう?

翌朝、本人に聞いてみました。

「この『作品について』の文章は自分で考えたの?」

「自分で考えた」

「ヒントとかなしで?」

「うん」

「それは凄い」

もっとも、彼女にとってはこのくらいはできて当たり前なのかもしれません。科学館や博物館に行くと、彼女は説明書きをひとつひとつ丁寧に読むのです。その経験から、展示する側になった際にどんなことを書けば良いのか、わかっていたのではないでしょうか。

彼女が優れたセンスの持ち主なのは間違いないでしょうが、その背景には膨大な量の活字を読んできた蓄積があります。小学校に入る前から4歳上の姉と同じ本を読み、保育園では体操をサボって読書に打ち込んでいた子なので、日本語のさまざまな表現に触れた経験値が違うのです。

それは努力と呼ぶべきものではなく、純粋に好きなことを楽しんできただけです。だからこそ、このまま楽しみながら突き進むことが、彼女の豊かな人生につながるように思います。

もちろん最低限の社会性は身につける必要がありますが、それは母や姉や先生がうまくやってくれるでしょう。父親としては、引き続き長所を自然に伸ばすことを意識して、いろいろな経験を積ませたいものです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?