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【短編小説】自慢の上司


「明暮くん、メールの一つも作れないの?」

壁は黄ばんで所々にヒビも窺えるオフィスの空気は、真夏にも関わらず一瞬で凍てついた。
あまりの唐突さに自分の胸にジャックナイフが刺さっていることさえ認識できなかった。
脇からは一筋の汗が垂れ、白いワイシャツに辿り着くと、吸い尽くされた。

「すいません。すぐ直します」
出社一日目は最悪の形で幕を開けた。


家に帰って黒の戦闘服を身に纏ったままベッドに倒れ込んだ。
俺の気持ちをわかっているのだろうか、
今日初めて俺を優しく包み込んでくれた。

自負していた、自分は仕事ができると。
自惚れていた。
“社会”はつけあがって出てきた杭を、元の場所まで打ち付けた。
俺の意識はどんどんベッドに沈み込み力が抜けていった。

「明暮くん、頑張ってるんだね!わたしの子供も明暮くんみたいに育って欲しいな」

『安部さんが俺に?』
ほっぺをつねってみた。いたい。

「夢か、そうだよな。昨日最高のスタートきっちまったからな。そんなこと言われるはずがないよな」

口にした言葉とは裏腹に褒められたことがあまりない自分にとってはただただ嬉しかった。


三年後
いつもなら家で仕事している時間だが、
今日はとあるカフェで仕事をしていた。

待ち合わせの13時になると時間ぴったりに現れた。そういうところ流石だな。

「お待たせ!お久しぶり、明暮くん元気してた?」

「ご無沙汰しております。在宅ワークですが元気にやっております。安部さんもお元気そうでなによりです」

挨拶を済ませると2人とも腰を据えた。

「仕事の調子はどう?在宅だと仕事うまくできるのかしら?」

「今はベンチャー企業に勤めていて、入社4ヶ月でプロジェクトリーダーになりました。お恥ずかしいですが毎日てんやわんやしております」

「すごいね!明暮くんならどこでも通用するって思ってたよ!自慢の息子のようだよ!」

『ああ、眩しい。この人はいつでも与える人だ』

「明暮くん、頑張ってるんだね!わたしの子供も明暮くんみたいに育って欲しいな」


右も左もわからない若造に、
手取り足取り教えてくださったあなたのおかげです。
教えてくださる内容は、仕事だけでなく人として生きる上での教訓でした。
会社を離れた今でもこうして会う時間まで割いていただき本当にありがとうございます。
安部さんには感謝しかありません。


あなたはいつでも俺の自慢の上司です。