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子ども向けの絵本にいくつも暗示ー現・長野県白馬村で過ごした少年の絵本

 2024年からみて82年前のきょう、1942(昭和17)年3月5日、大日本雄弁会講談社の絵本「日ノ丸 バンザイ」が発行されました。B5判64ページで、まだ長野県の片田舎で本を取り寄せることができたころです。

男児が全体を引っ張り女児が支える構図

 最初は御国自慢風で、絵本らしい構図です。が、やはり太平洋戦争中とあって、「ツヨイ クニ」が押し込まれます。

語呂はいいんですが…

 兵隊ごっこの子どもも日の丸持ちがいます。犬も軍用犬に仕立てられているのが、現実も重なってちょっと切ない。

指揮官はサーベルのおもちゃを使用

 これに続く「アサヒノ ヒノマル」は中国での話。ある田舎の村で、村長が村民を集めて、「明日の朝、日本軍がこの村に来ますから、日本の旗を作ってお迎えしましょう」と呼びかけます。
 チンさんの家でも旗を作ることにしますが、赤い布切れも赤いインクも赤い鉛筆もありませんでした。そして、苦心したあげく、白いハンカチぐらいの布の真ん中に、丸い穴を開けたのです。それを夕方、軒に出すと、丸い穴から夕陽がさして、立派な日の丸になっていました。
 そして朝になり、チンさんのうちの旗は朝日でまたも美しい日の丸になりました。

最後の場面が切ねえ(T_T)

 ざっくざっく靴の音。にっぽん万歳。朝日の日の丸万歳。
 チンさんもお母さんも、うれしそうに万歳を叫びました。
           ◇
 これだけは切ねえ。なぜこの家が貧乏かって、日本軍がやってきて、勝手に戦争してるから落ち着かないんじゃないかって。日中戦争開戦から間もなく5年だ。そりゃ、国土で戦争が続いていたらたまらんぞ。そして旗を出して恭順の意を表しないと、何をされるか分からない。万歳といえるわけなかろうが。でも、この時代の日本の子どもは、中国に日本軍が歓迎されていると思っていたのだろうと思うと、何重にも切ねえ。
           ◇
 次に、国旗塔のない村で、子どもたちが縄を作って売り、集めたお金で国旗塔を作ろうと頑張り始めたところ、それを知っ大人も一緒になって力を出し合い、とうとう国旗塔が完成。喜び勇んで働いたと。

子どもが発端の国旗塔

 そして、出征する兄に日の丸の旗を渡し、敵の城の上で勇ましく振ってくださいという話。「ニイサン シュッセイ ウレシイナ」は、当時としては、正直な気持ちだったのかもしれません。そして、はたをふったぞとの兄さんからの手紙です。

嬉しい出征、か。
「本当に日本軍は偉いぞ」と擦り込んで終わり。

 この調子で、日の丸の旗をめぐる話がほかにもいくつか入っていて、国旗を汚さないようにと苦労する子どもの話などありました。こうして国旗を通して知らず知らず「国」への忠誠を植え付けようとしたのでしょう。
           ◇
 続いて「軍歌と愛国歌」となりますが、その最初が「海ゆかば」ですよ。大君のために死のうって歌を最初に出すんだよ。

当時、歌は盛んにつくられました。が、これが最初とは狙いが明確です。

 そして、「アジヤの力」。歌はどうでもいいですが、この絵です。「雲と湧くアジヤの力」といっておきながら、国旗は日の丸だけ。支配者がかわってやるぞっていう思いがあからさまだなあと感じられます。

国旗は日本だけ

 中国の村の話も、誰とたたかっていたんだっけ。同じアジア人同士なのに、それを悪い敵でひとくくりにしてしまう。こういうプロパガンダを擦り込まれた子どもは、敗戦をどう迎え、本当のことを知ってどう思ったか。
 幸い、この本を持っておられたかたは、戦争が終わって新しい知識をどんどん吸収し、軍国を振り返ることなく、戦後の社会を支えていってくださいました。そして、この本を中の人に「今後に役立てて」と託してくださいました。頑張っていきます。

ここまで記事を読んでいただき、感謝します。責任を持って、正しい情報の提供を続けていきます。あなた様からサポートをしていただけますと、さらにこの発信を充実し、出版なども継続できます。よろしくお願いいたします。