蛇7年 趙燕軍→蛮国出伊豆攻略戦
趙燕国はこれまで同盟を結んでいた蛮国から侵攻を受ける知らせを受け、大規模な侵略を開始した。蛮国から攻め入られる朝元の地には国内で最も信頼を寄せる筆頭将軍と弐次将軍を残し、他の将軍は蛮領、出伊豆と景陀へ侵攻を開始した。
蛮領の出伊豆と景陀のどちらかの攻略に成功したら、趙燕国は蛮国の首都の喉元に迫ることができる。どんな大国でも首都を落とされたら陥落してしまうので、この機会をものにしたら趙燕国は蛮国に対してかなり有利な立場を築くことになる。
趙燕国は景陀の攻略には白蓮将軍を、出伊豆の攻略には袁仁将軍を総大将に任命した。
先に侵攻を行った趙燕軍から紹介する。
・総大将:袁仁将軍 (10)
・副将:袁昌将校 (6)
・第一軍長:天凌将校 (6)
・第二軍長:左京大夫将校 (6)
・第三軍長:龐焚将校 (6)
以下、将校3名の合計8将で構成される軍。
次に防衛する蛮軍を紹介する。
・総大将:屯諒銀大将軍 (11)
・副将:屯諒金将軍 (10)
・第一軍長:土文子将軍 (9)
・第二軍長:琉之西将軍 (8)
・第三軍長:浪却子将校 (7)
以下、将校1名の合計6将で構成される軍。
☯1日目
蛮国は出伊豆防衛戦には屯諒兄弟を派遣した。
数の上では劣勢だが、この地を死守せねば趙燕国に蛮国首都へ迫る道を作られてしまう。
一方、趙燕軍には名家の袁仁将軍を筆頭とする袁一家が出陣した。副官には弟の袁昌が指名された。
以下、この戦の布陣図である。
趙燕軍の最前線には副将の袁昌とその副官の白念将校が立っていた。傍で兄の総大将袁仁も補佐役を務めた。
これを待ち受けるのは、蛮軍副将の屯諒金将軍であった。
屯諒金は武将の中でもかなり巨躯を持つ武将で、武力ももちろんかなり高い事で有名であった。
袁昌の号令で趙燕軍は屯諒金に向け突撃した。
趙燕軍は数の上で優勢な事を活かし、広く展開し進撃した。
これに対し、蛮軍は一か所に固まり、これを迎撃した。
この混戦はお互い一進一退を繰り広げた日になった。
しかし、袁昌の軍は初日からかなり疲弊した一日になった。
☯2日目
袁昌軍は引き続き、この日も趙燕軍の先駆けを務めた。
苦戦したが、何とか蛮軍左翼に食い込むことができた。
そして、これと共に第三軍長の龐焚も同行し、蛮軍総大将が布陣する位置に迫った。
そして厄介な屯諒金は総大将の袁仁が自ら足止めを買って出た作戦を展開した。趙燕軍は今回数の上では優勢だが、武力と各将の経験値では蛮軍には到底かなわないので総大将自ら屯諒金を相手にするしかなかった。
しかし、袁仁は屯諒金の力量を見誤っていた。
屯諒金は袁仁を圧倒し、すぐさま左に展開した。
もうすぐで蛮軍総大将の首を狙えた袁昌は想定外の事態に対応が遅れた。
もはや蛮軍総大将を狙えないと確信した袁昌の副官の白念将校は寡兵を連れて、屯諒金に向かい突撃した。
白念は②の戦で総大将を務める、白蓮将軍の弟であった。
しかし、残念ながら②の戦では白蓮将軍の軍勢は兄以外の将が全て討たれ、白蓮は蛮国の捕虜になってしまった凶報はまだ届いていないが、趙燕軍副将を守るために身を挺した。何とも悲しい事実である。
白念はこっれにより屯諒金と交戦し、討ち取られてしまった。
しかし、これでできた時間で袁昌と第三軍は何とか屯諒兄弟の包囲網を突破した。
☯3日目
開戦二日目に負傷した副将袁昌軍は本陣の後方まで後退した。その逆側には、左京大夫将校も袁昌を守る為、共に後退した。
一方、蛮軍は一度後退した趙燕軍を見て、今が攻め時とみなし総大将の屯諒銀大将軍自ら、最前線に立ち趙燕軍の布陣に合わせて広く展開した。
趙燕軍は最前線に出てきた蛮軍総大将に狙いを定めた。
慢心こそが最大の敵である。
まず、蛮軍は総大将の副官である片麗将校に先駆けを命じ、本軍を突撃させた。
趙燕軍はまず片麗を狙い、その後ろにいる総大将の首を狙いに行った。
片麗は今回の蛮将の中で末席であったのにも関わらず、中々の奮闘を見せたが、袁仁と天凌の両者に挟まれてしまった。
しかし、流石に力及ばず、天凌の副官項京将校の手によって討ち取られてしまった。それでも片麗は少し晴れ晴れとした表情をしていたのが不可解であった。
これで趙燕軍は作戦通り屯諒銀に迫る活路が開かれた。
袁昌と天凌は勢いそのまま、屯諒銀の姿を捕らえこれに突撃して刃を交わした。屯諒金に絡めとられる心配もない状態で総大将に迫れる好機は今しかなかった。
しかし、なぜか屯諒銀は焦りの表情を見せる事がなかった。
趙燕軍が疑問に思ったその時、蛮本軍の後方より二方向に軍が分かれ始めて、蛮軍第二軍長、琉之西将軍が突撃してきた。
これに危機感を覚えた袁仁は少し後方に下がった。
しかし、天凌は屯諒銀の手によって足止めをされてしまい、琉之西はこれに狙いを定めた。
なんとか屯諒銀を振りきり、趙燕本軍まで合流しようとしたが、わずかに間に合わず琉之西によって天凌は討ち取られてしまった。
☯4日目
趙燕軍は不覚なことに軍長の一角、天凌を失ってしまった。蛮軍は数の上で劣勢である物の、さすがは大将軍が指揮系統を取っているだけあって決して討ち負ける情勢にはならなかった。
昨日の流れがあり、この日蛮軍はかなり勢いづいて、趙燕軍をかなり押し込みに迫った。
蛮軍は趙燕軍深部に入りすぎた総大将を救い出すために、第一、第三軍長の軍が率先して、趙燕軍最前線に立ち向かった。
これにより趙燕軍の最深部に入り込んだ琉之西と屯諒銀は脱出に成功した。
この情勢に怒りを覚えた袁仁は自分に切りかかった片方の蛮軍軍長、浪却子を一太刀で葬った。
同時に趙燕軍、第二軍長の左京大夫も前線に急襲し、なんと土文子将軍までも討ち取ってしまった。
土文子は蛇元年より蛮軍の末端将校から昇格を重ねて将軍にまで上り詰めた者であった。そのように蛮国を支えてきた将軍だったが、その最後はあっけないものであった。
この結果はさすがの蛮軍にとっても想定外過ぎる出来事であった。
趙燕軍総大将、袁仁は蛮軍軍長を二名立て続けに討ち取ったことに奮起し、より蛮軍に攻め入った。
まさかの防衛陣の指揮を一気に総崩れにされた屯諒銀はさすがに焦りの顔を見せた。
そんな中、蛮軍副将の屯諒金は趙燕軍右翼を突き進んでいて、蛮軍の凶報に気付かなかった。
屯諒金の躍進は凄まじく、なんと趙燕軍本営で休んでいた袁昌の元にたどり着いた。
趙燕軍副将、袁昌は急いで立て直しを謀ったが、間に合わず屯諒金自らの手で討ち取られてしまった。
結果として蛮軍では軍長二名、趙燕軍は副将一名の犠牲が出てしまった。
この日は両軍強い攻撃を加えることはなく、お互いに小競り合いを繰り広げる一日となった。
袁仁は兄弟の袁昌を失った痛みはすさまじく、蛮軍も軍長二名の損失は軍の指揮系統が麻痺し、うまく軍を動かすことができなかった。
☯5日目
両軍指揮官級の犠牲を出してしまった為に、この日は立て直しを謀る一日になった。
各軍長の入れ替えが行われ、両軍の布陣は以上の通りとなった。
趙燕軍は繰り上げで、万蜜将校が軍長に就任した。
蛮軍は繰り上げを行う余力はなかった為、各軍長が余計に軍を抱えた。
この日は両軍強い攻撃を加えることはなく、お互いに小競り合いを繰り広げる一日となった。
袁仁は兄弟の袁昌を失った痛みはすさまじく、蛮軍も軍長二名の損失は軍の指揮系統が麻痺し、うまく軍を動かすことができなかった。
☯6日目
開戦5日目に両軍小競り合いをしながら、この日は体制が整った。
弟を討たれた趙燕軍総大将、袁仁将軍は自ら開戦初日より趙燕軍に被害を加えた屯諒金と対峙した。
蛮軍、屯諒金将軍も既に袁仁と刃を交わした事があるので、当然この勝負に乗った。どのみち初日から袁仁を圧倒したので軽く勝てるだろうと高をくくっていた。
以下、布陣図である。
蛮軍総大将は、屯諒兄弟のどちらかが劣勢になった際に補佐に回すために琉之西を本軍に下げた。
同様の作戦を趙燕軍も展開していて、左京大夫と万蜜を後方に下げて、最前線に立つ袁仁と龐焚の補佐を命じた。
つまり、この日は全面的に両軍衝突した一日になった。
まず、屯諒金が袁仁に切りかかった。
ここで勝利すると、戦は終結する。
しかし、そのような結末はたどらなかった。
なんと、袁仁には弟を切った張本人と対峙することで、実力不足の中、負傷するものの決して下がらなかった。屯諒金は初日と比べ明らかに食らいついてくる袁仁に対してわずかに恐怖を抱き始めていた。
更にそこに屯諒金の隙を突いて、袁仁がこれを自ら討ち取った。
その横の戦場で奮闘した屯諒銀総大将はその姿を見てしまった。
それと同時に趙燕軍第三軍長、龐焚が屯諒銀めがけて切りかかってきた。
しかしはさすが大将軍、一太刀で龐焚を討ち取り、隣の袁仁目掛けて突撃していこうとしたものの、夕刻の為、本陣へ撤退した。
☯7日目
残った将の少ない蛮軍は総大将を含め、全員最前線に立った。いよいよ戦を終わらせにかかるつもりのようだ。
趙燕軍も被害が甚大で、これに正面から立ち向かう構えを見せた。しかし総大将の袁仁は慎重に本陣から様子をうかがっていた。
以下、7日目の布陣図である。
趙燕軍は斜陣がけを蛮軍に仕掛けた。
上手くいくと、数の上で少ない蛮軍がこれをまともに食らう痛手だが、斜陣がけの先駆けを務める万蜜将校はかなりの負担がかかる。
袁仁の掛け声により趙燕軍は突撃を開始した。
屯諒銀はこれを正面から受け止める構えだった。
万蜜将校はこの戦で急遽軍長になりあがった為、この大役を引き受けたことでかなり奮起していた。
しかし、この妙な緊張感も趙燕軍の兵卒にまで伝わっていき、万蜜は先走ってしまった。
勿論これを屯諒銀が見逃すはずはなく、打って出て、万蜜を討ち取ってしまった。
しかし、屯諒銀が前に打って出たことは間違いであった。
万蜜の左から順次突撃していた左京大夫がこれを見て、万蜜の元に急行し、屯諒銀の横を取った。
これにより、討ち取ることはかなわないまでも、左京大夫は屯諒銀に大きく手傷を負わせることに成功した。
しかし、これもまた袁仁の防衛を薄める結果になった。
左京大夫が屯諒銀に向かった時、蛮軍琉之西は袁仁の元に突撃を開始した。このための後方予備隊であった。
すでに屯諒金との交戦で深手を負っていた袁仁はこれに対応できず、また更に手傷を負ってしまい、完全に本陣深くまで撤退した。
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