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ドラマ『新宿野戦病院』、後半戦にきてクドカンの底力を改めて実感しています

今クールもかなりの本数のドラマを観ていますが、後半戦にきて脚本家の底力を改めて感じるドラマが多いような気がしています。

中でも『新宿野戦病院』は初めの頃のクドカン・ワールド全開のドタバタ展開が続くのかと思いきや、しっかりとした医療ドラマの側面もありながら、社会派ヒューマン・ドラマとしてもきちんと成立しています。回を重ねるにつれ、どんどんマジメな内容になってきているような!?

現代のさまざまな社会問題にも焦点が当てられていて、トー横キッズ、親による虐待、望まない十代の妊娠、ホームレス問題、独居老人問題、認知症の親の介護etc…それらが実にうまくストーリーに盛り込まれていて、コメディ要素と融合されているのが見事だと感じます。

特にホームレス・シゲさんの命と国会議員の命の優先順位…これについては現実にもこういうことが起きているんだろうと想像できてしまいます。人間の命の重さは同じでも、どちらか一つしか助けられないとすれば世の中にとって必要な命が優先されてしまう…クドカン、鋭いところを突いてきますね。

このドラマ、何気にさまざまな″親子愛・家族愛″が深く描かれていて、これが実は″真のテーマ″なのでは?と感じています。「聖まごころ病院」に運ばれてきた患者たちそれぞれの家族との関係性もさりげないセリフから読み取れて、もっと普段から会話を重ねていればこういう風にはならなかったのに…と毎度考えさせられます。

ヨウコと高峰院長が実の親子だったことが判明し、二人の間に流れる同じ医者としての、そして親子としての絆も丁寧に描かれています。「どんな命も平等に助けるのが医者の使命」がモットーのヨウコに、医者として”死亡確認も大事な役目”だと高峰がヨウコに教えるシーンは、父としての高峰の愛情が感じられてジーンときました。

母親の恋人から性的虐待を受けて、「聖まごころ病院」で保護されていた少女・マユ。ヨウコたちと触れ合ううちに、過酷な家庭環境から一歩踏み出して将来は病院で働く夢を抱くようになった…。トー横キッズの多くがマユと同じような環境で生きていると思われるので、家庭がダメなら社会がもっと彼ら・彼女らに手を差しのべてあげる必要性があることを痛感させられました。

第7話の、塚地武雅演じるしのぶと藤田弓子演じるお母さんとのストーリーには泣かされました。思えばしのぶに関してはジェンダー問題も絡んでいて、母はカミングアウトしたしのぶを受け入れてくれていたのに、父はそんな息子を拒絶していたという悲しい過去も明らかになりました。

認知症を患った母がしのぶを父と勘違いしているから、父のフリをして母と向き合ってきてあげたしのぶの優しさが心に沁みました。でもそんなしのぶもまた認知症になった母を受け入れることができずにいたけれど、しっかりその現実と向き合う決心をした…しのぶの気持ちが痛いほど伝わってきました。

家族に起きた出来事を受け入れなければならないことへの心の葛藤が、今の自分自身の姿と重なって涙が溢れました。

小池栄子の演技力も感心しながら観ています。ヨウコというキャラクターは英語と岡山弁を使い分け、医療用語を話しながら手術シーンもこなす…一人何役も演じ分けているかのような″相当の熱量″が要求される役だと思います。アグレッシブなヨウコを演じることができる俳優は、小池栄子以外今は浮かびません。すっかり主演が板につきましたね。

あっという間にあと数話で最終回を迎えるドラマ『新宿野戦病院』。クドカン・ワールドなのでどんな結末を迎えるのかまったく想像もつきませんが、登場人物それぞれの、そして「聖まごころ病院」の未来が明るいものであることを願いながら最後まで楽しく見守りたいと思っています。

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