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時折り思い出す兄の優しいエピソード

工房の師匠?はわたしと同い年なのだが、ヴィンテージ椅子張り歴8年のベテランだ。彼には兄がおり、ときどき兄とのたわいもない話を奥さんとしている。それをラジオ的に微笑ましく聞く中で、自分の兄のことを考える。

わたしの兄は優しい、わたしへのLINEをTwitterにつぶやくくらいの感じで使っている節はあるがやさおである。

兄はわたしの3つ上で、小さい頃は兄のキャッチボールの相手をしたりしていたことを覚えている。結構一緒に遊んでいたけれどもちろん喧嘩もした、一番覚えているのは、バスケ事件だ。

たぶんわたしは小学校四年生くらいだったと思うのだが、休日に兄から近くの公園でバスケをしようと言われた。わたしは確か最初はいやだと言った気がする、めんどくさいと。でも結構しつこかったので、しぶしぶいいよといってバスケをしにいったのだが、全然やる気のない感じでバスケをした。そのうち兄もそんなわたしをみて不機嫌になり、帰ることになったのだが、帰りに兄のやるならちゃんとやれよ的な怒りと、わたしのそもそもやりたくないんじゃという怒りがぶつかり喧嘩になった。わたしの友達の家の前だった。口げんかからよりヒートアップしていったのだが、おそらくお互い喧嘩慣れしていなかったのだろう、わたしたちがはじめたのはローキック合戦だった。少なくともわたしの記憶の中ではひたすらにローキックをお互いかまし続けていた。むしろ玄人の戦闘方法なのではと今では思う。勝敗もそのあとどんな感じで収束したのかも記憶にないが、31年間の人生でローキックしばりで喧嘩したのはあとにもさきにもこのときだけだ。

さて、本題のやさお話だ。わたしは幼少期から腹痛持ちで、ところかまわず来る腹痛とともに生きてきた。わたしが小学校低学年のとき、私たち兄弟(姉、兄、私)の間ではレンタルビデオブームだった。なぜか分からないがみんなで竹内力に心酔し、ミナミの帝王や仁義を観ていた気がする。そしてマコーレカルキンにハマり、「ま・ま・まこーれっ・まこーれっ」「かるきんっ!」という謎の掛け声を楽しんでいた。いつものように近所のビデオ屋に行きビデオを選んでいたところ、突然の腹痛に見舞われた、痛みの度合いはほぼMAX、歩けないレベルの痛みだったと思う。家まではたしか徒歩五分くらい、でも無理歩けない。そんなとき、兄が一緒にきていたのか、電話して来てくれたのか忘れたが、兄が来てくれわたしをおぶって家まで連れ帰ってくれたのだ。たぶん兄は中学生くらいだったと思う。これはまぎれもない純度の高いやさおエピソードだ、もし今後全日本優しい兄選手権なるものができたなら、応募しようと思う次第である。

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