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悪魔は金を愛し、賢者は悪魔を単なる愚者と看破する

不条理とは、世界システムにおける遊び部分、いわばエラーを容認することで、必然だけの堅いシステムから、偶然性(遊び)を現出させるための構造なのです。(だから、偶然というのは実際には複雑な必然が織りなす幻です。)

そういう背景があるので、不条理に見えることもその成り立ちを絡まった糸をほぐすように解いていけば、まったく不条理ではありません。要はこの世界システム(世界ゲーム)の本当の真実を見抜けないから不条理だと感じてしまうだけなのです。

不条理がなければ遊びがありません。遊びもシステムが創られた意味であり意義ですが、遊びが遊びでなくなって抱え込む不条理となったときには、それが課題になるというのがこのゲームの面白さです。愛と戦いは表裏一体であり、ともに遊びなのです。

そういう意味でも真実は嘘を含みませんが、事実は虚構です。不条理は事実の中に埋め込めれるからです。真実は法則であり、事実は初期条件や境界条件に相当します。

そもそもが不条理とか異常とかっていうのは、わからない、ってことです。背景にある機構は、法則的であり、論理的でもあり(なんならアルゴリズムとして書くこともできるので)まったく正常です。

その機構が理解できていない(アルゴリズムの存在に気がついていない)から、そこがブラックボックスとなって、すなわち原因も結果もその過程ごと予測できないことになり、「わからないなんて、私の上等な知性に反する!」という傲慢な思考によって、異常や不条理が演出されるのです。

現代社会に大きく蔓延る異常の権化とされる精神病だって、その機構が理解できてしまえば、法則通りに進行しているだけの正常そのものです。むしろ、異常なのは異常な反応をさせてしまう周りの刺激(敏感で繊細なのを異常と見なす社会信条を含め)、あるいはその発露を異常と見なしてしまうような「信仰」の方にあります。

だから、それがわかるなら「治療」もできるでしょう。

ただ、アルゴリズムは物質をパラメータとする科学的なルーチンではないので、隠しパラメータを把握できなければ現実では対応できません。正確にはエネルギーの動きを物理学として成立させることができるなら、数学的な記述も可能かもしれません。そのためには双対性とか対称性とか最小原理とか、物理の本質がそもそも抽象的な概念であることを理解しなくてはなりません。

(概念がわかってない人は物理学を語るときに、数式を省いてしまうと何を言ってるかわからなくなります。逆に言えば概念がわかっていれば、数式の運用はともかく、数学に関して理解はできます、概念を先行させるからこそ、新しい発見も実はあります。アインシュタインは不変なものがある、という信念だけで彼の物理学を成立させているのです。)

脱線しましたが、精神病の治療に対する対症療法である向精神薬も、単に行動(奇行)を異常として機構を無視し、この機構を巻き戻すのではなく、ただただ複雑に糸をもつれさせ、ほどけないほど結び目を強くするだけになっています。それがわかっていて、その対処を平然と行えることの方が異常です。

だから、それをはっきり知ってたら悪魔だし、知らないまでもまったく気掛かりにもならないとするならそうとう愚かだと言えます。(なお、奇行の機構は気功にあるかもしれない。これぞ禁忌事項。)

この例に限らず、この手の迷惑すぎる「過誤」を、しょせん他人事だと言って責任放棄できるための理屈=「生活やお金のため、という信仰」が、いかに邪悪で愚かを、まっとうな生き方を志すのであれば理解すべきかもしれません。

不条理を遊びとして楽しむなら、自分の不条理(運の良さ)を楽しむべきであって、他者の不条理(運の悪さ)を楽しむのは、悪魔であるか、愚者であるかのどちらかでしょう。

そして、悪魔というのも理解できない異常の象徴なので、全ての異常が紐解けば無知に帰結する以上は、自分の生活とお金を第一とするのは愚か者の証拠なのです。

世界は賢者をいかにして輩出するかというゲームでもあるので、愚者は愚者なりに存在意義に満ちてはいます。そして、悪魔の正体を愚者だと見抜くことが、賢者(神を頂くなら天使)への第一歩でしょう。



いつもながらぱっと見の情報量が多すぎる(まだまだ密度が高すぎる)…汗 (どのコラムも結局は同じことを繰り返しているだけだけど…。集約すると「宇宙!」となるかもしれない。実際、宇宙が宇宙自身であったり、宇宙の分割体であったり、それが等号で結ばれたり不等号になったり、集合要素になったりというのが、宇宙の運動だから。)

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