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弁証法で永遠を掴む - 自分の正しさに対する否定こそが自らを育てる -

物理界が世界の全てならば、経験論の極致であるヒュームに極まると言える。あれ以上のことは誰も何も言えない。もはや言うということすら意味がない。物理経験のことを言わんとするのにそのメタを壊せばそうなる。だから合理論から出たカントは驚き、そして苦労した。アンチノミー(二律背反)はヒュームに端を発する。

古くはアンチノミーの構造自体はプラトンが記述しているし、アリストテレスもまとめている。そしてそれこそが宇宙そのものだと言ったのがヘーゲルだ。中国では古くから太極と知られて老荘思想として結実もしている。神話的にはウロボロスがわかりやすい。ニーチェの永劫回帰も実はモチーフは同じだろう。

自分の正しさに対する否定こそが自らを育てる、というのに気がついた人は、死に物狂いで戦いに身を投じることをやめる。それよりも効率よく、自らの内で戦争を起こし、それを自らが調停することで新しさに達する。カントが偉大さはアンチノミーの発見とそれを敷衍して認識論から倫理へ到達したことだ。

本能に基づくまま悪をわかりやすく見えやすい他者に投影してしまうのを、一歩だけ進むのを待って、それを自らの正義に対立する正しさだと認識するところから、弁証法は始まる。この正に対する反を悪と見なさず、正の根拠と見なすことで、かなり容易に合に到達できる。これは弁証法の定石だと思う。

ひとたび合に達するとそれまでの正と反は、俯瞰してみることができて、正は自分寄りの都合だったのだとわかる。反がもたらす都合の悪さを対消滅させていく道筋も見えてくる。たいていは正と反の間に交渉の道筋を建設することによって。合ならばそれは可能なのだ。そして今度は合が正となる。

3~4年ほど前に「この人は宇宙人だ」と確信しながら付き合った人も、この見解を拙く話したとき、それが永遠となるのです、という回答を示してくれたのを思い出す。最近は経験界でそういうことをたくさん実感する。合の次元上昇によって、その合すらもが正に過ぎないとは思い至れなくなり、難易度もどんどん上がる。

しかし、最終的には上昇は形而上学に達するとわかっていれば、それが宇宙だとわかる。つまり宇宙と繋がってしまう。そこまでいくと今度は宇宙以外の宇宙が反になる。たとえば反物質の世界は平行して存在していても重力しか行き来できないので想像しかできないが、この宇宙の本質に反するものがテーマになる。

そこから先は正と反ではなく、多体問題になっていくのかもしれない。そうだとしたら、さらに難易度は上昇するかもしれない。「地球のいざこざすらめんどくさいのにやっとれん」と感じるなら、逆にこちらの問題を気晴らしに考えていくのも面白い。集中力は大切だが息抜きも同じくらい大切だ。必然だけでなく、偶然があってよかった。

宇宙ほどの規模になると戦争は一瞬で片が付くので、存在の認識が成立する以上は(認識が時を創るのだから)、対立があったとしても調停もまた永遠に成立しているのだ。この宇宙の本質が存在だというなら、非存在はむしろこの宇宙の在り方より多様だろう。それは想像もつかないほど深い。想像=創造程度のことなら宇宙内で間に合ってる、と言いたくなる。

地球上でもそちらの非宇宙な宇宙の構造を体現している構造もあると思う。蝶のさなぎとかあれはなんだ? 性別が3つも4つもある虫もいる。そういうのも他の宇宙からのシードなのではないか。そもそも生命そのものが他の宇宙で発生したかもしれない。そもそも、認識とはそうとう不思議なことなのだ。

宇宙のさらに上位まで弁証法を進めることを想像してみても、私の中では対話以上に上位のツールは見当たらない地点に来ている。弁証法は対話であり、対話は会話であり、そこには偶然という要素すらあるから遊びがあって嘘もある。やっぱり宇宙のさらに母宇宙があるとしたら、そこでは対話が本質なのだろう。だから労働も対話なのだ。

微視的なところへ戻っていくならば、ヘシオドスへ回帰していく。神話と日々の労働の等価なのである。こうして回帰してウロボロスになるのだ。


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