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No.005 静物画 絵画と写真 profile

前回の更新から大分経ちましたが、制作と東京に遠出してたのと今は北海道に来ています。デッサンしたものをいくつか写真撮って北海道で更新しようと思ったのですが、写真撮る時間もなく。。

時間があるので
過去に写真やデザイン、日本画を学んで、何を得たか自分は何が好きだったのかの考察をしたいと思います。

大学時代は、デザインを学びながら違う学校で、カラーとモノクロのアナログ写真を学んでいました。
写真の学校は学校法人ではないですが、プロの先生が数人いて代表は大学の教授でした。そこは何年いてもよく、暗室は24時間使用可能でした。

写真学校の卒業目標として、個展開催を掲げているところなので、3年かけて個展の開催ができました。もちろんデザインの方も卒業制作を頑張っていましたが、大学の方は1年ダブりました笑
元々絵は描くのが好きで小さい頃に学んでいましたが、就職するのにデザイン学科の方がいいと思っていたのと、美術学科で専攻したいコースが当時ありませんでした。
油絵は、匂いが受け付けないのと乾きが遅くて自分の性格に合わないし、
即乾性のものを絵の具と混ぜても中が乾いていなかったり、自分には合わない様で、しかし日本画も絵の具の値段が高く高尚なイメージで、そこまで美術を追求したい思いがなく、当時、興味があったアナログ写真とイラストなどのビジュアルデザインを学ぼうと思いました。

卒業して思ったのは、就職するのにデザイン学科と美術学科にあまり差異はないと感じました。やる気次第や相性も大事ですが就職はどうにかなるもので、大学はやりたいことを追求した方がいいと卒業後に思いました。写真やデザインをやりたくなかったわけではないですが、今となっては学んでよかったと思っています。

写真の個展は実現しました。ローライフレックスの二眼レフカメラでコダックのカラーフィルムを使用して、自分でカラーで焼いて制作しました。地元でやったので、地元の紹介としてパンフレットや観光案内のもの、ポスターなどを作ってそれも個展会場に展示して、それらは大学の卒業制作に当てました。個展の行う場所は数ヶ月前から個展会場ごと制作したので、会場をどうやって作るか、大工をやってる友人に頼んだり色んな知り合いの業者に頼み、インスタレーション的で参加型アートのようにしました。地元のパンフレットをイラストレーターで作ったり、自分の個展のポスターやDMを作ることや、もちろん写真制作して撮影したり暗室にこもって制作することをしていました。

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それら中心の生活だったので、寝る・食う・身だしなみを整えることはほとんどせず、つまりほとんどお風呂に入らず顔も洗うこともしないで暗室にこもるか撮影するか、自宅にいる時はパソコンに向き合うかの、いずれかしかしておらず不健康な生活を送り、そのまま個展をすることになります。

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個展を開催した時には、暗室にこもり、お風呂に入らないためデトックスもされず身体が薬品漬けになっていたせいか、顔が爛れ赤くなり痒くて、皮が剥がれている状態でした。個展している時に、多くの友人や新聞記者も来ましたが、そんな顔の状態でも自分の顔は気にせず、写真に撮られてました。個展が終わった頃、顔の皮は生まれ変わり綺麗になっていました。

今振り返っても、個展を実現してやって良かった、今やれといってもできないし、その時で良かったと思う。大変だったけど自分の人生の中で一番楽しかったと思う。70名くらいが来て、小中学校の友人や新しい友人、近所の人たちが来てくれて、旧友たちとは、夜遅くまで展示会場で話したり自由にやってました。本当に感無量でした。

そして、その後は無事に大学も写真の学校も卒業しました。卒業は、311の震災前で、個展準備中は、ちょうどコダックが撤退して、作品の用紙をコダックから冨士に切り替える頃でした。それと同時にデジタル化が急速に進んで押し上げる時代でした。

薬品負けした身体、デジタル化社会の状況、環境汚染のことから、今後アナログでモノクロやカラーをしていくのは困難だろうと感じました。カラーよりモノクロの方が薬品は弱くてやり易いですが、モノクロプリントの商品の品薄やコダックの撤退、自分がやりたい写真での表現はこの個展で追求できたとも感じたのもあって、写真をしたいという気持ちは段々と薄れてきたように思いました。モノクロはバライタで焼くことを追求すればいくらでもできましたが、何を表現し伝えたいかがあれば、それはそれに見合ったもの、コンセプチュアルアートなどになると思います。例えば表現によっては油絵や写真、デジタル映像、文章でも良いと言うことで、私の卒業個展は写真がふさわしかった。祖父が趣味でモノクロプリントをしていたので私は祖父と会ったことはないですが、写真を通じて祖父を感じたかったのかもしれません。個展の内容も祖父がテーマでした。

個展開催後、写真を今後ずっとやっていきたいかというと、そうではありませんでした。個展開催以降、写真は一切しなくなりましたが、ローライフレックスをはじめ、アナログカメラや5Dのデジタル一眼レフカメラ、自宅のモノクロ暗室の道具一式、引き伸ばし機や薬品も含めて、処分せず全て今でも自宅にあります。

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写真をしていく自信がないのは、写真をするにはカメラ機器が必要であること(カメラオブスキュラのように手作りピンホールカメラでもokですが、やはりそれも写すカメラ機器が必要)。デジタル時代は、今後、最新機器が必要になってきますし、それは年々変化していくだろうと思います。写真をやるならアナログに拘りたかった、本気でやるなら当時はヨーロッパに行った方がやりやすかったかもしれませんが、日本が好きだし外国にはいく気がしなかった。デジタルで撮っても撮った気がしなく、デジタル化でみんな写真をうまく撮れるようになった、そこに価値を見出せなくなった。しかし絵だけは描くことを続けてました。やはり自分は絵は気楽で大好きと言うことだと思います。

就職後、日本画を学ぶため再度大学に編入し美術学科の日本画コースを専攻しました。日本画は絵の具が高いと過去に敬遠してましたが、油絵はしたいとは思わないですし、漫画を描いていたので線画やモノクロの世界(写真でも同様に)が水墨画にも通じると思ったのもありました。そして日本の文化を大事にしていきたい思いもありました。

そう思ったのは、健康法や現代の病気、代替療法を学んだことにより、食事や医療も欧米化され日本人本来の生活から離れたこと、西洋や欧米文化によって明治に入り日本文化が壊されていったこと、戦後の3S政策など、日本人や日本人の精神など壊されていき、偽りの歴史を教わり日本人は何も考えずそれを受け入れていったこと、今の医療や食の汚染などによって、日本はこのまま存続できるのかが難しくなっていく世の中で、日本の文化を大事にして後世に伝えたいと思うようになりました。それは絵画の世界ではなくても、料理でも衣服でも同様です。私は美術を学びたい、絵を描いていきたいと思ったからこそ日本画にしました。それと、代替療法の一つであるパワーストーンの石の種類や歴史を独学したこともあって日本画に興味を持つようになりました。

日本画を学んで思ったのは、当たり前ですが美術とデザインのやっていることが違いました。デッサンはデザインの中でもあるのですが、ものの捉え方がデザインだと美術ほど追求しませんが、美術は当たり前だけどかなり追求していきます。

デザインを学んだ当時、デッサンを続けるように鉛筆のフルセットを誕生日で貰ったりしましたが、美術を専攻してそこでかなり活躍しました。やはり美術はデッサン量が違います。常にボールペンでも鉛筆でもデッサンします。美術専攻では、特に人物をたくさん描かされました。人物 > 静物 = 風景 という割合です。風景に人物も入ってる場合もあります。あとは、自分が独自で好きなものを自由に描いて伸ばせば良いのですが、人物は大学内でも外でも課題はありました。

写真は、一つのものを撮るのに数日にかけて100枚くらい撮影する人もいて、その中の数枚から一枚を選び、何日もかけてプリントしていきます。
絵は、数日にかけてデッサンを何枚も描き、更に何時間、何日もかけて本作一枚を仕上げます(油絵と日本画のやり方が違うのでここでは日本画の内容です)。
芸術作品の値段に関しては、版画や写真といった複製できるものは、当然ながら絵より劣ります。版画については枚数が予め決まって番号が振られ最終的には版を使えなくしてしまいますが、写真のデータやフィルムは永久的に保存しようとします。

デッサンは、ものの感触や重さ、立体など表現して、写真で撮るよりかなり観察力が必要(だと思います)で、集中して描くのでかなり疲れますが、カメラは人にもよるかもしれませんがデッサン程、見てない気がします。
だから動かないものを描くことは、絵画の方が風景画や静物画は良いかもしれません。絵画は見えたものを全て描くのではなく、絵として完成させるには、見えたものを選び描くことが大事です。

写真の役割は、一瞬を捉えることに優れています。
一瞬の死や表情、動きを捉える、それを客観的に事実として描く、見えたもの全て描くのであれば、カメラの方が優れています。そして、それはカメラにとって重要な役割だと思います。
それは絵でも表現しようとしたら出来ますが、主観や抽象的なものになります。そういう表現をしたいのであればそれでも良いと思います。

そうやって表現したいことによって手段を使い分けることは大事と思います。だから表現によっては油絵や写真、デジタル映像、文章でもそれに相応しいものであれば、変えて良いと思います。ただし、この考え方は日展などの展覧会はルールがあるため合わないですが、ルールのない現代美術が何でもありなのでそういったジャンルでは通用するかもしれません。

絵を描くのに写真を撮ってそれを基に描く人もいます。デジタル化によって、子どもの記録や家族の記録としてもカメラは必需品(一般的にはスマホでしょうけど、私はガラケーしかなくてコンデジは常に持ち歩いています)で、誰もが写すように、写せるようになりました。
絵でも、描こうと思えば誰でも描けます。もちろん家族の記録写真のように、人物画を描くこともあると思います。先程述べたように写真は、機器が必要ですが、絵は紙とペンだけでも描くことができるため、更に言うと紙がなくてもアルタミラ洞窟のように、インクだけで絵画は成立するので、子どもでも誰でも扱えます。それもまた絵画の魅力でもあります。

結論として、過去に写真やデザイン、日本画を学んで、何を得たか自分は何が好きだったのかについて、答えがもう出てるように思いますが、断言はいたしません。書いても変わるだろうし固定させたくないからです。しかし、これだけは言えます。美術を最終的に学ぶことをしてよかったと思っています。最初に美術を学ぶと、それで満足し他に学ぼうとしなかったかもしれません。最後に大好きな美術を人生経験を積んでから学ぶと他の学生とは一味違う見方が備わっていると言う自負は感じました。

最後まで長文にお付き合いいただきありがとうございました。

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デザイン学科在学中に描いた葡萄のデッサンと花のモノクロ写真

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読書も趣味📚
美術書、主にデッサンの指南書のオススメ本載せてます。


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