「まち」と自分
会社設立の動きの合間に最近考えていること。
「まち」と僕の関係性について。
「まち」というものは暮らしている場所であったり、訪れる場所であったり、帰る場所であったり、いろいろな存在で、そこにはそれぞれの特徴があり、匂いがあり、文化があり、風景がある。
それ以上でもそれ以下でもない。が今までのイメージ。
でもその「まち」が「まち」であり続けるためにはそこに必要不可欠なものがあることを最近、意識するようになった。
それは「ひと」。
その「まち」の匂いも文化も、風景も、その「まち」に住む「ひと」が作り出しているものなんだなぁって。
当たり前なんですが、今更ながらそう気づく。
もちろん、気候や歴史と「ひと」の掛け算なんだと思うのですが、「ひと」の視点で見直すと、「まち」の風景が本来の魅力を浮き彫りにしてくれたり、その「まち」の力の強弱をまざまざと見せつけてくれたりするんですよね。
我がまち
と呼べる街はどれだけあるだろうか?
僕の場合は、長崎?堺?京都?ロンドン?府中?三鷹?国分寺?国立?
そう、ざっと思い浮かべるだけで、居心地の良い街や、思い出の多い街、一つでは収まらないのは幸福なのだろうか?
でも、どうだろう。
「過疎」や「担い手不足」などで移住やふるさと納税でその場凌ぎの施策を続けるより、居心地の良いまちや思い出の多いまちをもっと増やし、その「まち」との関係を強く持つ人口が増えることの方が現実的な気がしている。
「まち」と関係を強く持つとは?
それはもちろんそのまちに住む「ひと」との関係を強く持つこと。
だって、年に1度しか実家に帰らない家族だって、十分家族、大切なのは、離れている時にもお互いを思いやることがごく自然にできている、そういう瞬間の積み重ねが大事だもの。
まちに住む人と
たくさん知り合って、その人たちと何かを一緒にやる!
そういう余生って素敵かなぁって、今思っている次第です。
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