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花のかげ

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母を介護した時の記録です。脳腫瘍を患い、手術、治療をしましたが、認知症が進行し、病気も再発して、2021年1月8日に亡くなりました。母を介護した時の記録とその時その時の思いをまと…
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#介護

花のかげ~おわりに

 母の発病から母が亡くなった後までを区切ると、発病から手術までが第一楽章、術後から再発と…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~終章(7)

七.旅立ちの日に  三月二十三日。春の陽気そのままにコートを着て歩いているとやや汗ばむほ…

関谷志摩
3年前

花のかげ~終章(4)

四.そしてそのとき  年末にWeb面会をおこなったが、結局母はずっと眠っていて話すことは…

関谷志摩
3年前

花のかげ~終章(2)

二.実質的な別れ  ふくやま病院では受付で少し待たされた。本来なら先について待っているは…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~終章(1)

一.ふくやま病院への道のり  母が大学病院に緊急入院してから十日ほど経った。その間、母は…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第4章 瓦解(8)

八.転 院  母が入院すると同時に私たちは次の手を考えなければならない必要性に迫られてい…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(7)

七.まだ早い  十一月八日の日曜日。この日はどうにも母の調子がよくなかった。朝はなかなか目覚めず、朝食は全員で一緒にとることができなかった。  朝はパンであることがほとんどなのだが、遅く起きた母はパンはあまり食べたくないというので、妻が雑炊を作ってくれた。車いすに座ってリビングに移動してはいたものの、体が左に傾いてしまうために自分で箸やレンゲを使って食べることは困難になっていた。そのため、私がレンゲをつかって食べさせてやることにしたのだが、その雑炊を母は「おいしい、おいしい

花のかげ~第4章 瓦解(6)

六.急速な衰え  母の次の受診は十一月九日になった。その日は私もちょうど休みになっていた…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(5)

五.施設に行こうか  十月の入院は九月の時に比べて問題なく終わったと言ってもいい。退院す…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(4)

四.治療をやめたい  抗がん剤投与のための入院は、母に相当な精神的ダメージを与えたようだ…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(3)

三.二度目のショートステイ  十月の上旬に、私たちはひまわりの郷へ三泊四日のショートステ…

関谷志摩
3年前
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花のかげ~第4章 瓦解(2)

二.外と内  母が通うデイサービスのひまわりの郷は、相変わらず塗り絵ばかりしているという…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第4章 瓦解(1)

一.また入院  九月に入ると、五日に私の姉夫婦が娘と孫を連れてやってきた。母にとっては初…

関谷志摩
3年前

花のかげ~第3章 彷徨(7)

七.抗がん剤の問題点  八月は私にも余裕があったため、母の通院には私も帯同できた。八月十二日の通院の際は、今川医師も母を見てそれほど問題点は感じていないようだった。ただ抗がん剤のスケジュールについて話されると、 「二年間もやるんですか」 と母はあからさまにうんざりしたような表情を見せた。そして次の抗がん剤のスケジュールは八月二十七日からということになった。  そして訪問介護も「お試し期間」として八月二十四日から始まった。初日は井上さんがやってきた。訪問介護のヘルパーがやって