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命在るカタチ 「ひとつの終幕」(過去作品)

命在るカタチ/終幕
Onece of The End, " L i f e e x i s t f o r m "



 研究者として、月沢の幼少期の夢として存在している”未羅”。
 志半ばにしてこの世から消えた明美。

 月沢未羅
 そこに命は芽生えているといえる。
 既に存在する命を紡ぐことなど出来ようが無い。
 少なくとも、私にとっては。

 

       AM6:25

 朝。
 誰にでも平等に訪れる、一日の始まり。
 瞼の裏に柔らかい光を感じて、目を覚ます。
 カーテンを引いて外を見る。まだ、お日様は昇りきっていない。
「……」
 ……皆、どうしてる……かな……

 それは曇った11月22日の月曜日から。
 ある日突然、『学校』に行けなくなった。
 ――その日もわたしは、学校に行けるはずだった。
 いつものように学校に行って、友達とお喋りしたり、昼ご飯を一緒に食べたり、勉強をしたりして、笑いあって――そんな日になる筈だった。

 だけど……
 あの日の朝、テレビが家から無くなった。
 外に出る事も禁止された。
『出れば、危険な目に遭う』
 ――って父さんが言っていた。
 何故、そんな事を言うんだろう。わたしは……何も危険なんて、無かった、ずっと……。
 けれど、何も言えなかった。父さんの表情が、いつに無く険しく硬かったからだ。
 優しい父さん。わたしの前ではいつも微笑んでくれていた……父さん。
 父さん、あんな顔できたんだ、と――
 そう、思った。
 思い出していた。思い返す事しか出来ないから。
 ……わたしが柄咲に出会ったのは、本当に、私の記憶が生まれたばかりの頃。
 その頃、自分のことを確か『ボク』と呼んでいた。
 確か、今よりずっと幼稚だった。
 それじゃいけない、自分はもっと成長しなければならない。そういう風に聞かされていたし、自分でもそう思っていた。もっと……早く、大人になりたい。子供なりにそう思っていた。
 ……確かに今は前よりは、ずっと大人っぽくなったかもしれない。
 だけどそれが何だろう。
 前よりずっと大人になって――それで、どうしてこんなに虚しいの?
 胸の奥に穴が開いたような、この喪失感は何だろう?
 信じてたのに。素敵な女の子になれるって。大人になったらそうなれるんだと、無邪気に信じていたのに。
 どうして、こんな……
 ……何かを無くしたような気持ちを感じるんだろう……

 

 

真夜中

 キーボードを叩く音が響く。
 同僚が帰った後も、そしてあの冴木が帰った後も……月沢神持は独りで作業を続けていた。

 月沢が取り組んでいるのは量産型の内部プログラムだった。
 無論ながら、プログラムは独りで作れるような規模ではなく、月沢は最後のまとめをしているにすぎない。
 量産タイプの生産は3ヵ月後……月産10台から。
 2ヵ月後には予約が始まる。
 一体あたりが何億になるかはわからないが、とにかくものすごい金額になるだろう。
 ――金持ちの、道楽なのだろう。
「……」
 キーボードを叩く手が、止まった。
 何かを堪えるように唇を噛み締める。
 ――再び、キーボードを打ち始める。
(……心なんてな……)
 そもそも、『心』なぞ量産出来るようなものではない。
 フェミニには心がある。口に出せば安っぽく感じられるが、彼女には確かに命がある。それが仮想的なものに過ぎないのだとしても、彼女はそこに存在する。
 未羅には心があると、そう信じればそこに心がある言えるはずだ。
(私達が、未羅を創ったのは……何の為だ?)
 決して金儲けのためではないはずだ。
(断じて違う……)
 月沢は言いようのない憤りを感じていた。

 ただ……ここでなければ、TLRでなければ出来ないことではあった。
 自らの握った――例えば運命の糸とでも呼べるそれを手繰り寄せていったら、偶然のようにその二人と出会った。
 雨木 明美と、クリストファー 新條。
 

   最初は、他愛無い夢だった。

 いつしか、それが計画として実行できそうな形にまで整えられていった。
 技術の発達。資金面の安全確保。様々な要因が、それの進行に拍車をかけていた。
 長きにわたっての計画は、だんだんとその目的を変えていった。
(私は未羅に……彼女の面影を求めるようになっている)
 カタカタカタ---カ…  キーを打つ指が、一瞬止まる。
(彼は……クリスは、未羅に何を求めている。会社の利益? 自分の自尊心か?)
 昔は……違ったように思う。親友という肩書きが、名前だけでなく――確かに感じられた頃には。
(……子供の頃の、夢……) 

 

 薄暗く光る蛍光灯と、モニターの点滅だけがその部屋を照らしている。
 そこにはコンピュータのファンが空を切る音と、時々キーボードを叩く音だけが響いている。
 夜は更けていて、時折、急車の音が、遠くで虫の鳴き声のように聞こえてくる。

 

『答えろ。…未羅に何やったんだよ。お前らッ…』

 

  カタ…
            カタ…

 『ねえ、お父さん…柄咲の部屋に行ったら、ぽすたーが一杯あった』

(涼野 柄咲……か)


 カタカタ…

(もし……今ここで、私がこのプログラムをすべて抹消したら――?)

 …………

(いや、バックアップは取られているし、何よりほかの部下だってやれない仕事じゃない)

『あんた……あいつの父親だ……って』

 追憶が棘となって、胸の奥を刺してまわる。

「違う……」
「そうじゃない。私に父親を演じる資格なんて……無い、本当は無かったんだ。私はたった独りの伴侶も幸せにできなかった。私は……彼女を気遣ってやる事すら出来なかった、情け無い男なんだ……!」
 独り言を呟く。


(夢を叶える為に、私は明美を売ったんだ)

 月沢は、彼女の事を思い出していた。
 月沢 明美。彼女が雨木 明美と名乗っていたのは、もう随分と前だ。
 記憶の中に、彼女の姿は鮮明な姿を持っている。春の日溜りのような笑顔。懐かしい思い出。追憶は無駄だと知っている。最期は――いつも、その光景に辿り付く。
 ――彼女の首の首の後ろからはケーブルが何本か伸びていた。
 それは計器につながって、データはコンピュータに送られていた。
 彼女の耳にマイクロカメラとごく小さなマイクが取り付けられていた。

 彼女は月沢のの夢の為に、脳のデータを取っていた。
 今だったら、ほんの小さな装置で、外的手術もなしにこのデータを採集することが出来ただろう。しかし、それは11年も前の事。原始的な方法を取るしかなかった。

 そしてそのデータを元にして、未羅の核となる、改良型の判断回路とも呼べるものが作られた。

 多少荒削りではあるにせよ、そのおかげで”暴走”という問題がは無くなった。
 欠点を強いて言えば、動作が滞って多少『のろく』なってしまうことくらいだ。

 それも、時々の最適化(今までの経験や知識を定着させて判断や行動の基準にしてやること)を施す事で解決できた。

 ……もっとも今の未羅には、10年前とは比べ物にならないくらいに早い演算ユニットが搭載されているし、記憶容量だって無限に近いほどであるから、倫理回路は今や大して問題にはならない。
 この開発と調整に相当な年月を使っているのは、間違いなかった。

 どうしても学習では習得できない、本当に基本的な行動基準は明美の物を採用しているわけで、そういう意味で、未羅とは明美を元に創られた存在。いわば彼女のコピーであるとも言える。
 そんな事は、月沢以外にとっては意味の無い事かもしれない。
 何も知らない人々が、そんな事を気にかけるはずもない。それが当然なのだ。
(だが、私にとっては人生を左右すべき事だ)

 これだけ”生きる”という事を――多少の例外は有るにせよ――成し遂げるのが簡単になってしまったこの国では、人は支えがなくては生きていけない。哲学、と呼び代えてもいい。自分の指標となる何かだ。そうでなければ――生きている事に潰されてしまう。
 短絡的に人を傷つけてみたり金に固執したりする事は、その証かもしれない。自分の中に寄る辺を持たないから。何かの形で自分である証を手に入れようとするのだ。仮にそれが歪んだものであったとしても。
 例えば、自分はカッコよくありたい、というような、些細な事でいい。
 生きていく為の哲学が必要だ。
 特定の宗教というしがらみが無い。創造主のしろしめす世界の中で、神に見守られて生きている訳ではない。だからこそ余計に、そんな些細な哲学が人の生きていく上での大きな指標になる。
 

 最初は、ただ、HBA-F160を……未羅を完成させることが、自分で生きていくための哲学だと信じていた。この仕事に打ち込むことで、明美の死を紛らわす事にも繋がった。生きている事の辛さから目を背けている為の理由が必要だった。
 これを完成させる事が、明美のやったことを無駄にしないためにも…必要だと思っていた。
 だが、こうなってしまっては、それは間違っていたのではないか。
(未羅は……彼女の存在は、明美のためにあるべきだ。他人の慰み者にする為に、彼女を創ろうとしたわけじゃないんだ)
 夢を貶めたくなかった。
 夢は夢でなければならなかった。例えそれが、手垢で汚れたものになってしまったとしても。
 ここでフェミニシリーズを、簡単に複製できるような軽々しいモノにしたら……自分自身が否定されるような、そうでなければならないルールを踏みにじられたような、そんな思いを――自分は感じるのだろう。
 夢はいつだって彼女の傍にあった。だから――貶めてはいけないのだ。
 汚れは拭えば無くせる。そうやって人は生きていくから。
 けれど、貶めたものは二度と元には戻らない。
 月沢はそう思った。
 ――追憶が目の前を過ぎる。瞼の裏に焼き付いた光景がもう一度再生される。
 昔、明美はロングヘアだった。未羅と同じように。
 だがデータ採取中はショートカットにしていた。
 機械類にとって髪の毛が邪魔だったからだ。
 病魔に冒されて、なおもそれを月沢には悟らせずに。
 月沢に微笑みかけた彼女の笑顔が痛々しかった。
 結局、データ採取用に切った首の手術痕は彼女が死んだ後まで消えず、最後を看取った時も、その傷がいつまでも月沢の脳裏から離れなかった。

 

 いつのまにか月沢の指は止まっていた。

 

「あの時のビデオクリップがあったはずだな……」
 月沢がコンピュータのキーを叩くと、画面が切り替わり、TLRのデータアーカイブサーバーに接続した。パスワードを入力し、ログインする。明美が未羅の内部プログラムに関わっていたというのは、特秘事項に相当するデータだった。社内では彼女はただの事務員として扱われていたからだ。
 月沢のIDでは特秘事項へのアクセスを許可されているものの、このビデオクリップはさらに個人的内容であるため、もっと厳重なセキュリティで守られていた。
 ”ProjectFemininity”と書かれたディレクトリを選択する。
  月沢はさらにパスワードを入力した。すると社内でもごく一部の人間しか知らないプロジェクトフェミニニティのデータが表示された。
 パーソナルブリーフケースというセクションに接続。自分のディレクトリを選択すると、さらにパスワードを求められた。そして三度のパスワード入力。
アクセスが成功しました。とメッセージが表示される。
 さらに少々の操作をして、月沢は暗号化されたかなり古い記録を引っ張り出してきた。 馴れた操作で暗号を解除する。
 11年程前のデータだ。もう、忘れ去られているような。
 ビデオプレーヤが起動する。
 懐かしい景色が映し出される。
 それは月沢と明美が話しているシーンだった。
 所々ノイズが混じった不鮮明な映像。
 自分の記憶と映像を同期させながら、月沢はその映像に見入った



 明海の目から映し出される風景。
 そして、月沢神持という名の男。
 二人は公園のベンチで座っていた。それは夕刻で……季節は秋だった。
 景色は紅かった。何処までも。
 それは秋にしては、とても暖かい日で……
「あなた」
「明美……どうかしたか?」
 この時はデータの採集目的もあって、ずっと休暇だった。
「ね、この研究って……なんで始める事になったの?」
 この時から数えて、ちょうど1年10ヶ月前。月沢はクリスからの連絡を受けた。
 大学をなんとか修了して、さてこれからどうするか、という時。
 月沢はクリスにTLR設立の誘いを受けた。
 それは、専属の研究者にならないか、という事だった。
 機械科を専攻していた月沢にとって、聞けば良さそうな条件だったし、それを断る理由は無かった。
 クリスとは長い付き合いだったし、子供のときはよく遊んだりもした。
 彼はどうやら1年ほど前、親父さんが亡くなって会社を継ぐことになったらしい。
 それはGAという会社で、よくよく彼の話を聞くと、非常に大きな会社だという事が分かった。
 日本では国産車が主流だったが、海の向こうでは4割以上のシェアを持つ自動車会社だった。自動車業界で4割といえば相当なシェアだ。
「説明するのは難しいな……けれど、一言で言うなら……夢だったんだ」
「夢?」
「クリスは知ってるだろ? ウチの会社の経営者の」
「新條さん……よね。あんまり日本には来ないけど……」
「そう。俺に声をかけてくれた、あいつさ。明美も会ったことあるよな」
 秋風が二人の前を吹き抜けていった。すこし肌寒くて、でも心地良い風だった。
「大学のときに、誕生パーティに呼ばれたわ。……大きなパーティで、すごくびっくりした」
「あいつと約束したんだ。子供の頃だけどな」
「なんて?」
「そのころ、俺達の間で流行った小説があったんだ。なんていったかな、確か……『トゥ・マインド』、とか言ったかな」
「それ、どんな話なの?」
「ええと……確か、こんな話だったな」
 うろおぼえの記憶を辿っていく、あの日の自分。
「それはロボットというか、AIが禁止されている世界での話なんだ。AIは知ってるよな」
「少しくらいは知ってるけど……」
「あれ? 明美は確か、生物学を専攻してたんじゃ……」
「名前くらいは、って意味よ」
 続けて、と先を促される。
「AIってのは、アーティフィシャル・インテリジェンスっていう言葉の略語で、コンピュータに知的な判断をさせたりする機能を指す言葉なんだ。今ウチで開発してる介護用ロボットなんかにも大体搭載されてる」
「そういえば、ゲームなんかでも、AI……なんて言葉がたまに出てくるわよね?」
「うん、まあそういうゲーム用AIなんかは、本当に特殊な仕事に特化されたAIなんだけど……単になにかの事柄を自動的に判断して結果を出すプログラムやアルゴリズムの事をAIと言う場合もある」
「ほ~っ。神持ちゃんて賢いのね」
「はは……確か、小説の話の途中だったな。そのAIが禁止された世界で、独りの科学者がロボットを創るんだ」
「へぇ……どんな?」
「それがこの作品の、まあ……個性っていうかな。それまでのSFだったら、崇高な目的のために、とか軍事目的のために、とかなるんだけど。その科学者は、自分の初恋の人との恋路が失敗して……平たくいうと、フラれちゃうんだな。それで法律で禁止されているにも関わらず自分の理想の女の子を作るという……。もちろん身体だって本物だし。そしてその後見つかりそうになって逃避行をして、結局お互いが離れ離れになって、その間に作った女の子はその間にずっと成長してしまい、再開したときにはまたフラれる。そういうどうしょうもない話」
「それと約束とどういう関係があるの?」
「そのロボットってのがすごく魅力的に書かれてたんだ。俺達、子供だったもんだから、恥ずかしい事に……そのロボットに憧れた、って感じだな。本当、他愛ない夢だったんだけどな……」
「あははっ、男の子らしいね」
「『いつか、こんなロボットを二人で作ろうぜ』『約束か?』『そう、約束』、なんていう……その程度の、本当に他愛ない約束だったんだ。……気が付けば、本当にそのときの夢を実現させる側になってたんだけどね」
 夕暮れ時の町。 すこしづつ、だけど確実に沈んでゆく太陽。
 その日を背にして、明美が呟いた。

「そっか……よかった」
「よかった?」
「うん。あたしも、そんな夢の実現に役立ってるんだ。よかった」
「明美……」
「だって、素敵じゃない? ロボットを作るんだ、なんて夢。それをやろうと思えば実現できるところに来てるんでしょ? そして、そのコを作り出すには、あたしが……女であるあたしが必要だったからんだよね? だから――」
 明美は、あの時くすっと笑った。
 そして、ノイズだらけの映像には、はにかむ月沢の顔が映し出されていた。
「……ありがとう」
 月沢はその時……その顔はうつむいて、目には涙をためていた。そういう風に月沢は記憶している。もっとも、明美には気づかれなかったから、映像からは判らない。

 月沢はそのシーンでビデオクリップを停止させた。
(そう……あの時、私は他愛ない夢の延長だと……それにこのプロジェクトフェミニニティは、まだあの当時はプロジェクト名すらない、本当にただの夢でしかなかった)
 椅子を回し、コンピュータに背を向けて、背凭れに体重を預ける。
(研究は今販売されている汎用ロボットにも生かされている。無駄な事じゃなかった……少なくともTLRと、クリスにとっては)
 だけど、自分にとってはどうだったんだろうか、と月沢は考える。
 確かに人間みたいなロボットを作るのは夢だった。
 けど、人間に近いと言ってもロボットだ。……ロボットだが、もう彼女は命を持っている。
 自分で考えて、判断して、そして死を選択する事だってできる。
 人間と何も変わらない……
 考えれば考えるほど、つらかった。

 月沢は、窓際に立った。
 ブラインドのスリットから外を見遣る。
 ……曇っていて、月は見えなかった。
 覚悟を決めると、 深々と椅子に座りなおした。
 カタカタカタカタカタカタ…
 物凄い勢いで更新されてゆくデータ。
「……悪いな。クリス」





 未羅は、考えていた。
 自分の存在について。
 つまり……なぜ柄咲が変わってしまったかについて。
 やはり確かめなければ、と思った。
 だから、家を出た。


 道中、雪が降ってきた。
 生まれてから何度目かの、雪。
 ……寒かった。
 それは未羅にとって”気温が低い”というデータを自分の感覚にフィードバックさせているに過ぎない。

 正確に50分後。
 ”涼野”と書かれた表札の前に、未羅は立っていた。
 インターフォンに手を伸ばして――弾かれたようにその指を引っ込める。インターフォンを押す事が躊躇われた。
 あいまいだった不安が、現実となって……
 すべて崩れ落ちてしまいそうな予感がしていた――なんとなくだが。
(……確かめる)
 そう、決めた。
 大きく深呼吸をしてから、未羅はインターフォンを押した。
 長い永い一瞬。音も、雪も止まる。時間も。そんな筈はないのに。

 ピンポーン

 レトロなインターフォンの音。はぁい、と、呑気な声。
 暫くして玄関に現れたのは、柄咲の父親……柄也だった。

「おや? 君は……確か……」
「未羅です…ごめんなさい、夜なのに」
「ああ、柄咲の……いや、別にいいんだが……」
 微量の狼狽を振り撒いている柄也に、未羅は頭を下げた。
「……すいません」
「いや、だからいいんだって……。ちょっと待ってて。柄咲を呼んで来るから」
「ありがとう……ございます」



「……何だよ、こんな夜中に」
 柄咲が姿を見せたのは、程なくしての事だった。最初の言葉は、刃のように冷たかった。
「柄咲に――」
 言葉を紡ぐのに、勇気が要る。
 胸が潰れそうな圧力を感じる。
「――柄咲に、訊きたいことがあって」
「……何だよ」
「私の事、嫌い?」
 柄咲は、少々面食らった。一足飛びにそんな問いが出てくるとまでは予想していなかった。だが――その言葉の意味するところは察する事が出来た。
 馬鹿馬鹿しい。
 半ば哀れむように、そう思った。
「……大嫌いだ」
「……どうして……」
「それは……」
 何故か、柄咲は迷った。
 ――迷う事は無い筈。
 だって、そうだろ? こいつは……こいつはずっと……
「――お前が……機械だからだ」
 言い切る。
 嫌いだから――傷つけても平気だ。
 こいつは……ずっと俺を騙していた。
「え?」
 何を言われたのかすら分かっていない。そんな表情。
 微量の悲しみが篭った、自失。
 白々しい――と、そう思った。
「俺を騙したからだ……」
「……えっ……」
 白々しい……。
「……お前の父親から、聞いたんだよ。――お前が、ロボットだってことを」
「そんな……私、知らないよ……!」
 白々しい……
「知らないって分けないだろ!!」
 柄咲の剣幕に圧されたように、未羅はあとずさった。
 柄咲の両親は、初めて見る息子の剣幕に、不安げな、訝るような表情をしながら、二人の様子を見守っていた。口出しできる雰囲気ではなかった。
「……本当に……本当に知らないんだよ……」
 涙を流す。本当の、生まれてはじめての”悲しみ”。
 胸が痛い。
 苦しい。
 ……ココロが痛い。壊れそうなくらいに。
「その、涙だって……嘘なんだろ。作り物なんだろ……」
「っ……ぅ……」
 見るに耐えかねた美咲が、おずおずと柄咲の傍まで行く。
「ね……ねぇ、柄咲ちゃん……?」
「どうした、柄咲。いつものお前じゃない」
 柄也もそれに続く。
「……うるさい」
「え?」
「黙ってろって言ったんだよ……」
 宥めるような言葉が、柄咲の自制を叩き壊していた。
 その雰囲気に両親までもが完全に気圧される。
「お前が知らなくったってな……」
「えぐっ……ぅ……ぅう……っ」
「俺は……」
 泣きじゃくる声が癇に障る。
 ロボットならロボットらしくしてればいいのに。最初からそうしていれば――そうしていれば、俺は……
「だって、……だって、本当に知らなくて……」
「お前の事じゃないか! 理由になるかよそんなもんッ!」
 柄咲は、言いようのなかったものを全て未羅にぶつけていた。
 理不尽だと、どこか冷めた自分が告げている。
 ――別に、これが未羅じゃなくったって良かった。
 未羅は、玄関でへたり込んでいた。
  寒気に晒されている素足が寒そう。
           同情を請うような態度がうざったい。
  今ならまだ間に合う。逃げてしまえ。
           どうして俺だけ……こんな思いしてて……
「……そんなに……」
 渦を巻く感情が、一つの答えを導き出す。
「そんなに……自分がロボットだって事がわからないなら……」
 柄咲は、ズボンのポケットにしまっていたカッターを握り締めた。
「自分で、確かめろ!」
 柄咲には確信があった。
 言い放って、未羅の左手を取った。
「!?……やっ! 何す――」
「黙れ!!!」
 右手を振り下ろす。
「柄咲! 何を――」
 柄也が止めようとした時には、もう遅かった。
 カッターの先端が、未羅の左手首に沈んだ。
 柄咲をなんとか引き剥がした柄也の目が向いた先では――カッターの刃が、未羅の手首に深く突き刺さっていた。
 そこからは、透明な、少し白濁した液体が流れ出してきた。
「……痛い……」
 ぼろぼろと涙が零れる。
 灰色の空と雪。
 刺さったカッターを伝って、紅の抜け落ちたそれが玄関に滴っている。
 平凡で閑静な街並みの中で、それは妙に非現実的な光景だった。
「何で……どうして、こんな事するの……柄咲ぁ……」
「……見ろよ、お前の血を」
 太陽は既に夜の帳の向こうに沈み、街灯と、家の中からもれる光だけが手首を照らし出していた。
 未羅は、自分の手首を見た。
 そこに赤い血は流れていなかった。
「……嘘……」
 柄咲の両親はそれを見て、さらに驚愕する事になった。
 絶句。柄咲の背後で、息を飲む。
「それが……真実だよ……」
 不意に三枝の言葉を思い出す。
 クラスメートが好んで使っていた言葉を。
          『真実はいずれ明らかになるものなのよっ!』

 嘲笑う。
(コレが、真実ってやつだよ……三枝)
 真実はここにある。
 なのに消えない。ずっと自分を苛んできた棘は、未だ消えない。
「嘘……嘘……うそだっ! わあああああああああああああああああああああ!!」
 泣き崩れる未羅。
「つ、柄咲? これは――」
「こいつは、ロボットなんだ」
「…………」
「人間のふりをしてただけなんだよ。俺達、こいつに騙されてたんだ。泣いたり笑ったり怒ったり痛がったり、可笑しいだろ? 全部プログラムなのにさ――」



 ボコッ



 鈍い音がした。

 柄也が、息子を殴った音だ。

 ……殴る方も殴られる方も、その音を聞くのは始めてだった。
 怒りか――或いはそれ以外の感情が、柄也の拳を震わせていた。
「ロボット……ロボットね」
 声も震えている。恐怖を感じるくらいに。
「そうか、ロボットだったのか。それはいいさ。だけどな、柄咲、だとしてもだ、お前は女の子を、他人を平気で傷つけるようなヤツだったのか、お前は。痛がる相手を、自分より弱いやつを、平気で傷つけて笑っているのか」
 ……何でだ。
「……俺だって同じ事をされたんだ!」
「だから同じ事をしていいって言うのか!」
 奥から走ってきた美咲が未羅に駆け寄った。彼女の傍らに腰を下ろして、救急箱の中身を漁っている。
 抜き取ったカッターナイフに血はついていなかった。
 未だ少女は泣いている。
 零れた涙で、タイル張りの玄関を濡らしている。
「柄咲、つかさ……大好きだったのに……何で……」
 うわごとのように呟いている。
 その声をずっと聞きたくて、ずっと聞きたくなかった。
「……っんで……だよ……」
 ……何かが崩れた。
 ずっと、ずっと蟠っていたものを止めつづけていた……何かが。
「どぉ……して……どぉしてなんだよ……!」
 哀しくて、泣いたのは――
 彼にとって、何年振りだったろうか。


…………


 研究室。電話をかける一人の男の姿があった。
『シンジ?……どうしたんだ、いきなり』
 訝るような声を聞きながら、男は無言だった。
『こんな夜に……何かあったのか?』
「やめる。今日限りで退職させてもらう」
『……正気か?』
「正気だよ……仕事に納得行かなくなった」
 電話の向こうで親友が溜息をついたのが、はっきりと聞こえてきた。
『……やめさせるわけにはいかないよ。今は大切な時期なん――』
「それと――」
 新條の声を遮って、続ける。
「HBA-170用のプログラムに、自殺動機プログラムというものを仕込んだ」
『は……?』
「まっとうな事に使われなければ、娘達は自ら死を選ぶだろう」
『……なんだって? どういう事だ、それは――』
「言葉通りだよ」
 感情らしい感情は、その殆どが消えうせていた。
 静かで、心も落ち着いていた。
「……さらばだ、親友。もう二度と合う事もないだろうな」
 ブチッ。
 耳に入る音が途切れる。
 ――携帯電話を握ったまま、暫し立ち尽くす。
 終わった。
 明鏡止水、という言葉を思い出す。今の心境を表すにはぴったりだと思う。
 ……穏かだった。

 RRRRR……
 RRRRR……
 携帯の呼び出し音。誰からかは、確認するまでも無い。
 何も聞くことは無かった。言う事も言い尽くした。だから神持は携帯を投げ捨てた。
 近くに転がっていた工具を手に取り、無意味な音を鳴らしつづけるそれに向けて振り下ろす。
 バン! ガンガン!! ガンガン!
 支給品の携帯電話は、一撃ごとにその原型を崩していく。
 いつしか呼び出し音は消えていたが、神持は工具を振り下ろすのをやめなかった――それが粉々になって、意味を持たない鉄の残骸に成り果てるまで。

 ――そのまま、研究所を後にした。
 雪が降っていた。薄く積もった雪が、周囲を白々と染め上げている。
 ……呟く。
 或いは自分の耳にも聞こえないくらい、小さな小さな声で……。
 その言葉を聞いたのは、夜の闇だけ。
 あるいは、しんしんと降り続ける、数日もすれば消える雪達だったかもしれない。

 小さな小さな、聞こえないくらい小さな声で……



              ……明美。すまなかった。
   今からそっちへ行く。

 



 列車というものが日本から無くなってからどれだけ経ったのだろう。
 強いて”列車”と呼べるような代物は、全て地下へ潜って久しい。
 月沢はTLRの小さな飛行場へ。
 もう何十年も昔から、まだここに研究所が建つまえから其処にある、
 その古びた車庫には、時代遅れの軽飛行機が佇んでいた。
 だいぶ昔、まだエアカーが登場する前は――
(みんなしてコレに乗っていたもんだよな……)



 自家用機のキーは持っていた。
 親友と一緒に飛行するのが目的で手に入れていたものだったが、結局は今の今まで使わずじまいだった。


 ……未練はない。
 「古ぼけた、時代遅れのプレーンだ」
  機体をさすりながら、呟く。
  タンクからガソリンを入れてゆく。
  ガソリン、120%充填。ちょっと古いが気にしない気にしない。
  機体に異常なし。
  白衣のままで、その飛行機に乗る。一緒に乗り込んだのはドラム缶だ。
  中には一杯に燃料が入っている。そして、何故か足元には花火の玉。これも古物として集めていたものを引っ張り出してきた。
 「シートベルト、そんなもんクソ食らえ」
  電源異常なし。水平機正常。
 「進路、見えないけど北極星。オールグリーン」
  こうなると、不思議と笑みが浮かぶものだ。
 「発進」
 

 ズガガ……ブロロロロロロロロロロロロ………………………
 古い自家用機が大音響を立てて発進した。
 大空へ向けて。

     「さようなら、親友。そして、私が創った命ある形」

 さあ、最後に一発、綺麗な花火を上げてやろうじゃないか。





 リビングルームだ。
 紛れも無くそこは涼野家のリビングだった。
 そこに居るのは未羅と柄咲、そして柄也に美咲。
 手首を抑えてすすり泣く少女…の形状をした有機ロボット。
 重い沈黙がその場を包んでいた。
 何分経ったか知れない。
 あれから十分ほど経ったろうが、時間の感覚があまりに希薄だった。
 誰も声を発しない。重苦しい空気が垂れ込めている。
 ――その時。
 ブロロロロロ……。

 遠くで音が聞こえた。
 柄也が呟く
「……飛行機?」
「あら、こんな時代にあんな音を立てる飛行機なんて……」
「でもそれ以外に何があるっていうだい、ハニー」
 ははは、と苦笑する。
 少しだが、その場の雰囲気が和んだようだった。
「未羅ちゃん、痛みはどうだ?」
「……はい、だいぶ……」
 再び沈黙が訪れる。
 そっぽを向いていた柄咲が呟いた。
「……ホントにお前ロボットかよ……」
「……私は、違うと思ってた。けど……」
 薄く笑う。
「ホント、みたいね」
 悲しそうな顔で。
「柄咲。未羅ちゃんは、ロボットかもしれなけど、人間となんにも変わらないんだから」
「……」
「あなた。無理させちゃダメ」
「……そうだね、マイハニー……」
ドーーーーーン!

 何事か、と柄也達は家をでた。
 すると近所のヒトも何事かと、空を見上げている。
 静かに雪降る空の上空の方で、紅く炎が燃えていた。

ドーーーーーン!

 二度目の爆発音の後、上空には雪だって言うのに花火が散った。
 パラパラパラ……と光が散る。
 公園の上空辺り。それっきりだ。何の音もしなくなった。
 花火と言うものが世間で行われなくなってからだいぶ立つ。
 柄咲たちは花火を見たことがない世代だった。
「綺麗……」
 未羅が呟いた。まだ手首が痛むのか、右手で抑えていた。
「あれが……花火……?」
 気を抜かれたように、柄咲は呟いた。
「何十年ぶりかしらねぇ」
「子供のときに一度見たっきりだなぁ」
「あたしは、写真でだけよ、あ・な・た」
 涼野夫婦は、やっぱりラブラブだった。
 傍から見ていると、恥ずかしすぎる。

 その事件次の日の新聞、テレビを騒がせたのは言うまでも無い。
 だか、そのニュースが柄咲たちにとってべつの大きな意味を持つ事になるとはそのとき知る由も無いのだが。

 その後、何故か柄也の薦めで宴会となった。
 柄也が曰く――
「ヤなことがあったら、酒飲んで忘れようじゃないか!」
 結果。
 ――未羅以外全員、ろれつがおかしくなるほど酔っ払った。

 ――未羅は涼野家で十分介抱され、その後、自宅まで送られる事になった。
 寝入ってしまったまま目を覚まさない美咲をベットに運んだ後、柄也は渋る柄咲を引きずって、エレカに乗り込んだ。
 エレカの中、柄咲と柄也、未羅の3人。

 酔っ払い2人に囲まれながら、未羅は帰ることとなった。
 これが20世紀なら飲酒運転というところだが、エレカはほぼ自動運転だ。
 目的地を告げると、自動運転モードでそのまま走りだす。

「あの……ありがとうございます」
 未羅は言った。
「気にしなくていいよ。君は柄咲の――」
 歳に合わない悪戯っ子めいた笑みを浮かべて、柄也は続けた。
「え?」
「彼女なんだろーが?」
「なッ……!?」
 頬骨を直接、羽でくすぐられたような感触がして、頭が一気に白熱する。
「ば、馬鹿! この、くそ親父が……何言ってんだよ馬鹿!」
「またまた。照れてるところが……」
「ざけんな! どぉして俺がこんなロボ……ろ……」
 ぐらぐらぐら。
 頭が揺さぶられるような感触と共に、膝が崩れる。
「ぐ……」
「ぶはは! しこたま飲んだ後に大声出すからだ! 照れるな照れるなって。未羅ちゃん、こんな暖かくてやわらかいじゃないか」
 助手席に座る未羅のほっぺたを左手でつねる柄也
「ふぇはわぁ、いらひですよぉ」
「わ、親父、止めろっ」
「気にすることなんかないぞ。私は一向にかまわないし、何より母さんも未羅ちゃんの事、気に入ってたじゃないかぁ」
「……~~……ッ」
 ははは、と皆で笑う。
 先刻の出来事は――未羅の左腕に巻かれた包帯のみが物語っていたが、あの花火と柄也、美咲のアットホームな態度のお陰か、緊張はほぐれつつあった。
 その上酔っ払っているとくる。
「未羅ちゃん、変なこと訊くけど」
「はい、何ですか?」
「女の子だろう?」
「はい……そうです」
「じゃあ、どうなってんの?」
 暫く意味のつかめない未羅と柄咲。
 最初に気が付いたのは柄咲だった。
「お、この……こ の エロ親父ぃぃっ!!」
「はっはっは、だが当然の疑問じゃないか。なあ」
「え、ある、って…?」
「あれだよ、あれ。普通の人間には必ずある、大事な所」
「え?…………あっ……」
 赤くなる未羅。
 そっぽを向く柄咲。
「あ、ありますけど……きっと……子供はできるかどうか……」
「ははははは、よかったなぁ、柄咲」
「何がだ!」
「私だって男だ、参ったか」
 酒に弱いくせに、ビールを飲んでいた柄也。
 美咲に無理矢理飲まされた柄咲。
 自動で運転しているので気にならなかったものの、見れば手つきが危なっかしい。
 ふと見遣ると、空調が暖房でなく冷房になっていた。
 知らぬが仏、とはよく言ったものだ……。と柄咲は思った。
 未羅を送り、涼野家に帰り着く頃、柄咲はぐっすりと眠っていた。
 バックミラーを見つめながら柄也は難しい顔で呟いた。
「……酔っ払いの真似も、むつかしいものだ……」





 次の日の朝、柄咲の家の周りは騒がしかった。
 テレビのリポーターが取材にきていたのだ。
 その日のワイドショー。
 土曜日ということもあり、休みだった柄咲は二日酔いで痛む頭をソファに横たえながら、それを見ていた。

『東新東京市の62地区で、昨夜テクニカル ライフ ルーツ コーポレーションの社築飛行場から、飛行機が盗まれました。犯人は飛行機に乗り込み飛び立った後、西A区の六墳儀公園上空で爆発死した模様です。その際、古物商から入手した花火を打ち上げ、それを付近の住人が目撃しています。レポーターが現場に取材に当たっています』
『はいこちら西A区の現場でーす。 昨夜の出来事をインタビューしたいとおもいます。はい、すみません~、昨夜の事件を目撃した方ですか? 昨夜はどんな感じでしたか?』
『夜の11時くらいだったかな。いきなり飛行機の音がして、懐かしいなと思って外にでたんです。そしたら雪で、良く見えないけど上空で紅く光る物体があって、それは飛行機が燃えてるみたいでした。で、そのまま3分くらい上空をとんで、公園の上でドカーンって』
『どうもありがとうございま~す、ではそのときの模様をビデオにとってらした方がおられます、その映像をどうぞ』
 ……そんなやり取りのあと、その一部始終がビデオで流され、スタジオにカメラは移行した……

『しかし犯人も、何が目的だったんでしょうか?』
『爆発事故ということで、自衛警察も捜査に当たっています。ただ、犯人の目星はとっくについていて、すぐに解決したらしいですね。犯人も死亡していて、賠償金を払って終わりになったと言う事です。』
『犯人は月沢神持という男で、34歳、TLRの社員で動機は不明だったそうですが』
『精神異常ってやつですかねぇ……判りませんね、全く』
 勝手な事を言うスタジオのゲスト達。そんな言葉を二日酔いの頭でボーっと訊きながら、柄咲は思い出していた。



 ……月沢……神持!?
(それって……!)

 体が先に動いていた。
 家を飛び出す。

 走る、走る。走るたびに頭がガンガンする。
 目指すは『テクニカル ライフ ルーツ コーポレーション ジャパン HA中央総合研究開発所』だ。
 まったく、あいつは、世話の焼けるやつだ。
 きっとまたわあわあ泣いているんだろう……


 柄咲がTLR本社につく頃、すでに昼を回っていた。
 受け付けでカードを渡している暇なんかない。
 入り口でもらったカードを通して、扉を開ける。そのまま進入だ。
 記憶を頼りに未羅に出会った場所へ。

「……あった!」
 硝子張りの壁。
 この場所に間違いない。

 そこで、見覚えのある顔を見つけた。
(未羅と最初に居たヤツだ……!)
 冴木京介 ウィングストン。
 柄咲はその名前を知らなかったし、知るつもりもなかった。

「おい、未羅は何所だ!」
 叫んでみる。 だが向こうには声が聞こえていないようだ。
「畜生!」
 ドンドン! ドンドン!
 硝子の壁を叩く。
 すると向こうは柄咲に気づいたようで、訝るような顔で柄咲をを見遣った。
 暫く怪訝な顔をしていたが、不意に何かを思い出したような表情になる。
 冴木は柄咲の方にに歩いてきた。
 男がなにやらリモコンのようなものを操作すると、向こう側の声がこちらに聞こえるようになった。
「未羅は何所だ!」
「坊や。ここは部外者立ち入り禁止なんですよ。どうやって入り込んだかは知らないが、困りますね……一般人がこんなところにきてもらっては……」
 小馬鹿にしたような表情で、冴木は塚咲を見下ろした。
「部外者……」
 返す言葉が無かった。
 部外者と言われてしまえばそれまでだ。
 自分は、こことは何の関係も――
「俺は……」

          『……大好きだったのに……何で……』
「俺は未羅の彼氏だ! だから部外者じゃない!」
 そんな言葉が、口を突いて出た。
 目の前の男は当惑したような表情だったが、寧ろ当惑したのは柄咲自身の方だった。
 自失の時間が終わると、冴木は高らかに笑った。
「はははははははははは! 彼氏! 彼氏ねぇ、はははははっ!! 馬鹿らしい……いや、実に滑稽な話だよ……ククク……」
「……ここに居るんだろ?」
「残念ながら、彼女はここにいませんよ」
 ちっ、と柄咲は舌打ちした。
 それならば、と、さらに問う。
「……じゃあ、何所にいる」
「恐らく、貴方も知っているからここに来たのでしょうが……昨日、彼女の”父親”……月沢博士がお亡くなりになりまして」
「未羅はロボットなんだろ……そして月沢さんはその開発者だ」
「其処まで知ってるなら、話が早いじゃないですか。……実は彼女の量産型のメドが立ちまして。彼女、反抗したんでスクラップに」
 さっ、と頭に血が上った。
「ふざけるな!」
 言った後で柄咲は考える。
 ……自分はこんな性格だったか……。
 何処か、冷めた気分でそう思う。
 だが、流れ出した言葉は止まらない。
 未羅は――
「ふざけるなよ……。スクラップって、結局あいつを殺すんじゃないか……!」
「残念ながら、彼女は生き物ではないのですよ。 生きているというのは貴方の錯覚ですよ。坊や」
「坊やって言うんじゃねぇ!」
「粗暴ですねぇ……よっぽど彼女が好きなんですね。あっはっはっ……Stupid!(馬鹿馬鹿しい!)」
「あんたはどう言おうと勝手だけどな、あいつは……」
 泣いて、笑って、怒って、痛がって。
 仮にそれが作り物だとしたって……
「あいつは生きてるじゃないか」
「本気でそんな風に思ってるんですか? あれの人格はプログラム。数値の集合体だっていうのに……月沢博士も、”消費者”にそう思わせるとは大したものですね」
「……それがどうした」
 所詮自分達だって、細胞の集合体だ。
 何処に差がある。
 何処に……そんな、嘲笑うような差があるって言うんだ……。
「……そうですか。じゃあこの建物の裏に、廃棄物処理場があるから、行ってみたらどうでしょう? まだ動作してるかもしれませんよ? それとも、もう生ごみと鉄屑に分別されてる頃かもしれませんけどね、はははは……」
「畜生!」
 柄咲は走り出した。
 男の皮肉もどうでもよかった。
(間に合え……!)
 頼むから……間に合ってくれ――!





廃棄物処理場

 そこに未羅と、クリストファー・新條は対峙していた。
 昼間だと言うのに、中は薄暗い。
 灯りもつけずに扉を締め切っている所為だ。
 唯一の光は。はるか高い場所にある小窓から差し込むのみ。
 体育館のような広い場所の中、そこかしこに工具や、或いは、何に使うかすら分からないような機械の残骸が、乱雑に放置されていた。
 廃棄処分された介護用のロボットの足らしきパーツもや、コンベアの部品などもあった。
 ただの部品。
 ――彼女も、じきにそうなる。

 未羅は、スクラップに解体される為に、医療用のベッドのような机にしばりつけられていた。
 傍から見れば滑稽だろうが、完全な自立型の有機ロボットである未羅は、完全にエネルギーがなくなるまで、つまり”餓死”しない限り、機能を停止することはない。

「キミの父親――いや、製作者と言うべきかな……」
 言葉を選んで、そんな自分を嘲笑う。
 ――言葉の選択は、あまりに無意味だと思えた。
「……シンジ・ツキサワが死んだ」
「………」
「君も知っているだろう?」
 確かめるように、問うてみる。
「……どう思う?」
「……父さんが、どうしたの」
「彼は君の製作者であり、開発者だ。父じゃない」
「でも、わたしにとっては父さんなの」
 ……似ている。
 灯りをつけたら……多分、自分はこの娘を”殺”せない。
「君は――」
 違うんだ。
 この娘は違う。シンジやアケミとは何の関係も無い。
「君はほんの数週間前まで、自分のことを”ボク”と呼んでいた。毎回のデータ再構築で今の段階まで成長したんだ」
「……知ってる」
「何処まで?」
「わたしがロボットだって事。昨日……イヤっていうくらいに分かった」
「なら、話は早い。シンジと私は友人だった。キミのことを作るのは、長年の夢だった」
「モノ扱いしないで」
「ずいぶん自己顕示欲が旺盛だな。何所で学習した」
「わたしはわたしよ!」
「シンジは、よくやったと思うさ」
 だが、仕方ない。
 ――企業は、金には勝てないのだから。



 柄咲は、走っていた。

 ……間に合え。

 ……頼む、間に合ってくれ。


 廃棄物処理場は遠かった。
 それらしき建物は遠くに見えるものの、TLRの敷地は広すぎる。
 走っても走っても届かないかのように。焦りだけが募った。




「わたしを、どうするの」
「壊すんだ」
「……嫌……嫌だよっ……」
「死に対しては、恐怖がプログラムされている。予想通りの反応だ」
「……わたしは、モノなの? ……わたし、生きてないの?」
「どうだろうな……」
 ……生きている、というのは……一体どういう事なのだろう?
 心は何処から来るのだろう?
 心。
 そこに在るモノ。
 儚く消えてしまうモノ。
 ヒトが――生き物が持っているモノ。
 彼女はヒトが創り出したモノ。そこに心はあるのだろうか?
 それが”心”なのだと――どうすれば判るのだろう。
「命あるカタチ、と呼ぶのが相応しいのかも知れない。シンジやアケミは、はじめ、君の事をそう呼んでいたよ」
 ――だが
 (私は――)
 この子には、最初から命など存在していないのだと……
「……」
「名残惜しいんだ」
 (――そう、思い込まなければ……きっと何もできやしない……)
「いやっ……! 父さん……柄咲ぁ……っ……だれか、 誰か助けて……」
「アケミを知ってるか」
「……お母さん……」
「キミの人格データの元になってる、女性だ」
「……じんかく、でーた……」
 自分自身が否定されてゆく。 希望が壊されてゆく。すがるものを失ってゆく。
「月沢の、妻だった」
「……」
「そうさ。それでキミの開発に協力していた」
 懐かしむような口調で、話を続ける。
 不思議に、言葉はするすると紡ぐ事が出来た。
「……」
 未羅にはもう返事をする気力すらなかった。
「どうした……何か言ってくれ。相槌だけでいい。そんなことでもなければ、ワタシはキミをスクラップにしなければならない」
「うん……」
「そうだ。それでいい……」
 何処か、安堵する。
 最後の時を少しでも引き伸ばそうと願う。最後は……一瞬なのだとしても。
「アケミは、学生時代からの私たちの友人だった」
「……あ」
「最後は、悲惨だったそうだ」
「ひさん……?」
 知らない言葉。
 悲惨。
 すぐ、形になる。
「悲惨……?」
「子宮ガンの末期だったとか。そうして病床に伏しても、キミの為にデータを取りつづけた」
「……あ……」
 未羅の目が、閉じそうだった。酷い睡魔が襲ってくる。
「電極を体のいたるところから延ばして、最後の一瞬まで……」
「う、うう」
 涙らしきものが、未羅の目から零れ落ちた。
 愁うように。俯いて、クリスは続ける。
「そうして、キミが出来た。彼女なしには、キミは生まれなかった」
「……だから……」
 だから、つらいんだよ。キミが居なくなる事が。アケミを殺すようで……。

「――開けろぉぉぉ――……」
「what? ……誰だ」

 ガンガンガン! 扉を叩く音が反響する。。
「――ここしか入り口がないのはわかってるんだぞぉぉ――……さっさと開けろぉ――……」
 ガンガンガン! ガンガンガン! ガンガンガンガン!
 クリスは扉を開けに行った。
 ……寧ろ、せざるを得なかったと言える。このままではうるさくて仕方が無い。

 ギギィィ……
 重く、トラクトエレカが丸々入りそうなほど巨大な扉が空く。
 光が差し込み、入り口に立っていたのは柄咲だった。
 ぜいぜいと息を切らせて、立ちすくんでいる。

「――未羅は……ここにいるんだろ」
「キミは何者だ」
「涼野柄咲……未羅の、彼氏だ」
 青い瞳と金髪の髪を持つクリスは、柄咲を不思議そうに見つめていた。
「彼氏?……この子の?」
「……いや、友達だ」
「どっちでもいいが、どういう用件だ?」
「未羅は無事なのか」
「動作停止はしていない」
 動作停止していない。その事実を知って柄咲はほっとした。
「だったら……頼む。スクラップにするするのだけは止めてくれないか……」
「……不本意だが、スクラップにせざるえないのさ」
 柄咲の姿が、どこかクリスには引っかかって見えた。
「どうしてもって言うのか……!?」
「……しかたないんだ。期限は今日の16時までだ」
「あと……3時間?」
 ずっと走ってきたのもあるのか……とにかく、彼には情報が不足していると、新條にはそう思えた。
「……自己紹介がまだだったな。私はクリス。ここの……社長みたいなものだ」
「しゃ、社長?」
「正確には米国本社の社長だがね。色々と用事があって、今はこっちにきている」
「未羅をスクラップにするのが用事なのか」
「それは違う。これは予定外の事だ」
「どうして、スクラップに……」
「彼女は量産化される。月産5台程度だが、全部売れれば数億円の利益となる品物だ」
「だからって……」
 柄咲は唇を噛む。
「だからって、どうして壊す必要があるんだよ……」
「彼女は狂っている」
「……狂ってる?」
 狂ってる?
 ……誰が。
 そう突きつけられたように感じ、新條は自分を嘲笑った。
「そうだ、狂っている。この娘は自分を人間だと思っているからな」
「そう仕向けたのは……お前らじゃないのか!?」
「……それを言われると、言葉が無いな」
「だったら、何でだよ……」
 狂ってる。
 何処からこういう風に変わってしまったんだろう。
 あの頃――夢しかなかった自分は、きっと目の前の少年のようだったろうに。
 大切なものの為だったら、きっとなり振り構わずに――
「企業は金には勝てない。……筆頭株主達のグループには、社長であっても敵わないのさ」
「あんた……」
 柄咲は問うた。
「未羅を、スクラップにしたいのか?」
「いや……」
 違うんだ。
 この娘は自分の――自分達の夢だった。もうこの世に居るのが自分一人だけれど、この娘は紛れも無く自分達の夢だった。
「どうにかしたい……とは、思うさ。シンジがあんな死に方をして、あれは私にも責任がある。せめてこの娘くらいは……な」

「……未羅は」
「ここだよ」
 新條が顎をしゃくった先。テーブルを見遣ると、其処には未羅が縛り付けられていた。

「未羅……っ!」
 ふら付く足取りで、近づいていく。
 本人は気づいていないだろうが……新條から見れば、少年の足取りはあまりに頼りない。
「大丈夫か……! 未羅……!」
「エネルギーが切れかかって寝ているだけだ。睡眠中に臓器燃料電池がフル稼働で動いている。もっとも、彼女は何も食べていないはずだが、あと2日は何とか……」
 そこまで説明を受けると、柄咲はようやく安堵して、テーブルにもたれかかるように、肩を落とした。
「……なぁ、訊いていいか?」
「何か? 少年」
 ふと、後悔する。
 いつもの癖で、冗談めかすような口調になっていた。
 ――もっとも、少年は気にしていないようだったが。
「シンジって……月沢さんのことか。未羅の……お父さん」
「そうだ。少年――ツカサとか言ったかい」
「そうです」
「彼女の事、好きなのか?」
「…………」
「どうした。教えてくれ」
「そんなのちゃんと考えた事無かったんだ。大嫌いだって言った事もある……」
 けれど……
「けど、こいつの親父さんが死んだってTVで聞いた時、こいつの事が気になったんだ。関係者じゃないだろって言われたからこいつの彼氏だなんて事まで言って……こいつが無事で、未だ大丈夫なのかって……知りたかった。好きなのかって言われたら、そうなのかもしれないとしか、言えない……」
「じゃあ、訊きたい。キミは彼女の事を一生抱えて生きていけるのか」
「それだって分からない。けど、こいつが死ぬなんて嫌なんだ。死んで……もう二度と会えないって事が……」
 連なる言葉を、新條は無言で訊いていた。
 この少年も似ている。よく知っている、誰かに。
「俺はどうしようもないやつだし、馬鹿だし、多分遠回りばっかりしてた。こいつに……」
 頭を垂れる柄咲。
 それを見遣る新條。
 ――ふと、教会で神に罪を告白する罪人を思い出した。
 もっとも、罪人といえば、自分の方がよっぽど罪人だ。
 罪を告白しなければならないとしたらワタシの方――
「――未羅がいなくなるなんてゴメンだ」
「そうか……」
 命在るカタチ。
 はじめ、そう呼ばれていた彼女。
 極限までヒトに似せられた、人類の新たなパートナー……
「……そこまで言うなら、彼女を娶ってくれ」
「めとって……って……?」
「一生彼女の面倒を見ると、約束してくれ」
「俺が……?」
「君以外に誰が居る。それとも嫌か?」
「そうじゃなくて――!」
「違うんだろう? なら、急いで彼女をここから連れて行け……とりあえず数年たてば安全だ。重役たちの中には、警察と親しいものもいる。一歩も外にだすんじゃないぞ。量産形が世に出回る頃になれば……安全になる……区別がつかないからな……」
 柄咲は無言で頷いた。
 それを見て、新條は満足げに微笑う。
「彼女が目を覚ましたら……とりあえず、何か食わせてやってくれ。それで安心だ。そのまま人間と同じように生活しても問題ない」
「ああ」
「それから、コレも渡しておく」
 新條が投げたそれを、柄咲は反射的に受け止めた。
 手の平の中のものを、少ない光に照らして、見る。
 ――あの、十字架だった。
「”キー”とい代物だ。実は彼女の脊髄にキーの差込ができるようになっている。これをつなげることで、彼女は動作をいったん停止させてデフラグメーションを整理する。1年に一回くらい、定期的にやってくれ。でないと、データがフローするかもしれないからな。もっとも――」
 肩を竦めて、笑う。
 上っ面だけの笑みだったが、笑わずにいられなかった。
「――もっとも、彼女自身がその機能を知ったんだから、次回以降は自分で寝てる間にできるようになるかもな。今までだったら、人間性を試す為に敢えてロックをかけていたんだが……彼女が、それを知ることがキーになって、ロックが外れた。彼女の為の記憶も入ってる。昔の記憶も」
「解りました」
 もう一度。新條は満足げに頷いた。
 未羅の傍らに立って、その髪を撫でる。
 紛れも無い、人間の髪の感触がした。
「彼女は、ロボットだと認識したうえで、尚も人間らしくあろうとする。だから狂っていると、そういう風に判断されたんだ」
 視線をずらすと、その先に柄咲が居る。
 ああ、似ている。
(シンジとアケミに、か。私一人が歳を取ったようなもんじゃないか……)
「生き下手なんだな、君も――」
「え……?」
「いや、何でも無い。発信機を外すから、少し待っててくれ」
 未羅の脊椎になれた手つきで磁気ドライバーを突っ込む。
 呆気ないほど簡単に、ドライバー脊髄に侵入していく。
 程なく、小さな何かが取り出される。柄咲には肉片のようにしか見えなかったが、おそらくそれが発信機なのだろう。
「これが発信機だ。これが無い以上、外部からデータのモニターをする事も出来なくなった」
 人差し指で、じゃりっとその発信機をつぶして、新條は肩を落とし、天井を仰いだ。
「彼女は、完全に個体となったわけだ……」
「感謝します」
「いいから、早くいけ。裏口を使えば10分もせずに公園に出られる……公園に入れば安全だろうさ」
「…………」
 踵を返しかけて、柄咲はふと躊躇う。
「あの……」
「何か?」

「……花火を見たんです」

「花火……?」
 怪訝そうに問い返す新條。
 だが、すぐに理解した。ブレイク・シェア以後、世界中でも花火は数えるほどしか行われていない。
「初めて見たんです、花火って」
 柄咲は言った。淡々としていたが、何処か興奮もしていた。
 意味がある筈も無い。慰めになる筈も無い。
 けれど、最後に言っておきたかった。伝えておきたかった。
「すぐに消えて……儚かったけど、凄く綺麗だったんです」
「そう……それは見たかったな。シンジの花火だろ? ずるいよなぁ、いつだって私一人のけ者じゃないか……」
「…………」
 天井――その向こうの空を仰ぐ新條に一礼して、
 柄咲は未羅を背負って走り出した。


 公園には木々が、森があった。
 鳥や小動物がいた。
「家に帰ったら、何て言われるんだろうな」
 柄咲は呟いた。
 未羅は、まだ眠ったまま。
 目を覚ませば、其処には柄咲がいる。
 目を覚ませば。そこにはまぎれもなく命がある。
 長い時間をかけて、彼は受け入れることができるだろう。
 命在るカタチを。



THE END.
Complete 2001/3/10


エピローグ


物語の最後に、一人でも多くの人が幸せでありますように……
 夏は遠いにも関わらず、日差しは刺すように暑く感じられた。
 エレカとエアカーが空を飛ぶ町並み。そこは過去の人にとっての”未来”の町並み。
 夢と繁栄と、そしてそれらに相反するものもその翼に乗せた、ニューヨークの街並み。
 遥か聳え立つ幾つものビルは、人々が創り出した人工の森のように茂っている。
 新條は、一つのビルの入り口から、その姿を見せた。
 少し離れ、もう見る事の叶わない最上階を仰ぎ見る。
「さよならだ。TLR」
 元は父の会社だった。
 ジェネラル・オートマティック(GA)と呼ばれたその会社を母体に、新條はテクニカル・ライフ・ルーツ――TLRを興した。
 それは、彼自身の夢の為だった。彼と、彼の親友達が見ていた夢の形を描く為だった。
 ――いつの頃か、それが彼の手を離れ、事実上は株主達のものと成り果てている事に気づき、夢が他人に食いつぶされ始めている事に気づいた。
 ……芸術品は、高価な商品としての側面を持つ。
 今は亡き彼の親友は、或いはその事に耐える事が出来なかったのかもしれない。
 ――つい先刻。新條はこの会社の本社社長職を辞した。事実上は辞めさせられたようなものだったかもしれないが、そんな事はどうでもよかった。
 新條の後釜には、冴木が据えられるらしい。
 成程。彼なら株主達にはちょうどいい操り人形だ。
 彼らの利益を最優先に、実に資本主義的な会社運営を行ってくれる事だろう。それはそれで素晴らしい事だろうから。
「……さよならだ、私達の夢の形」
 いい夢を見せてもらったよ――。
 穏かな心持で、そう思う。
 ――命ある形。
 彼女達はそう呼ばれていた。
 いつしか株主達も気づくだろう。彼女達と――そして、彼女達をベースに造られる多くの”ひとびと”は、けっして従順な奴隷ではないのだという事を。
 そして彼らは苦悩するのだろう。何故こんな風になるのか、自分達の思うようにいかないのか、と。
 株主達は、親友が遺したものに気づくだろうか?
 最後に彼が残した、彼女らをヒトらしく生きられるようにする最後の抵抗――自殺動機プログラム。彼らはそれに気づいて、プログラムを書き換えようとするだろうか?
 ――それとも、その前に彼女らがただのロボットでないのだと気づくのだろうか?
 もっとも、親友が最後に遺したプログラムだ。そうそう簡単に書き換えられるような代物ではないのだろうが――。
「私は夢の続きを見に行くよ。だから――さよならだ」
 商品としての彼女達は――決して、望んでいたような代物ではなかったから。
 おもちゃとしての道具ではなく、幼い頃に夢見たように、パートナーとしての彼ら、彼女らを得る事が、三人で見てきた夢だった筈だから。
 反抗し、自らの考えを持ち、”生きているひと”を……親や血縁に縛られない生き物を生み出したかった。
 ――だから、さよならだ。
 そして――
「Good luck. シンジとアケミの子供達。キミ達がヒトとして生きられる日が、一日でも早い事を祈ってるよ」
 だから、自分はここを去る。
 ――もう、遣り残したことは何もない。


 3/14 晴天。

 ――その日は、あたし達の卒業式だった。
「いやぁー、これであたし達もめでたく卒業、って訳よね」
「ホントホントー。やっと終わったって感じよねー」
「おめでとう、美紀ちゃん、リッちゃん。単位落とさなくてホントによかったね♪」
「…………」
 反論できないから二倍悔しいが……沙耶の台詞はけっこうキッツいものがあった。
 あたしは数学で、リッコは現国と社会科で、一時は単位を落としかねないような酷い成績だったからだ。
 ……ま、当然、最後はなんとかもち直しましたけどね。お陰で大学も受かりましたよ♪(びくとりーっ!)
 三人とも、何故か合わせたように振袖に袴という服装だった。
 沙耶なんか編み上げブーツを履いてきてて、完全なハイカラさんルックというやつだ。
 ぐぅっと伸びをしてから、あたしは後ろに聳え立つ校舎を仰ぎ見た。
 ――卒業。なにはともあれ、卒業だ。
「おーい、三枝ぁ」
「お、杏里君」
 高岡君こと杏里君が、昇降口から姿を見せた。
 駆け寄ろうとしたところで、先に沙耶が声をかけていた。
「あ、高岡くーん、ちょっと写真とってーっ」
 ……別に、沙耶に悪意がある筈もないんだけど……。
「美紀ちゃーん、リッちゃんも、一緒に写ろうよーっ」
「あー、もう。分かったから。そんな大声出さなくても聞こえてるよっ」
 卒業式の午後ということで、周囲は無論騒がしかったけれど、トーンの高い沙耶の声は、その中でも一際響いていた。
 杏里君にカメラを放り投げて、写真を撮ってもらう。
 とりあえずポーズをきめてるうちに、写真撮影は終わった。
 その後は――部活の後輩達と話がはじまった。
 他愛無い話が続く。けれど、この学校でこうやって話すのも、これで最後。
 さして起伏に富んだ学園生活でもなかったけれど、これで終わりなのだと思うと、やっぱり感傷めいたものを覚えずにはいられない。
 ――ひとしきり、満足するまで話してから、あたしは校門を出た。
 途中、リッコや沙耶にも声をかけていく。
 リッコは他のクラスの友達と、沙耶は――どうやら、新しい彼氏と。それぞれ他愛ない話を続けていた。
(……さぁって……と)
 もう一度、ぐぅっと伸びをする。
 ――と、背中越しに声がかかった。
「三枝、三枝ってばよ、おいっ」
「おー、杏里君」
 走ってくる彼に、ひらひらと手を振ってみる。
 ほどなく、彼はあたしの傍までやってきた。
「三枝、これから予定、あるか?」
「予定? ……ううん、別に」
「そっか……」
 安堵したような顔が仄見えた。
「……じゃあさ、これからちょっと、どっかに出掛けないか? この前、バイクの免許取ったんだ」
「おごってくれる?」
「うっ……」
 渋い顔をする杏里君。どうやら向こうも金銭面はあんまり潤沢でもないようだ。
 けど――ごめん、今月はお小遣いがピンチなんだよね、あたし。
 結局、折半で手を打った。
「――じゃあ、それはそれとして、どこに行く?」
「そうだねー……」
 ふと――思い出す。
 この場にいない、あたしのクラスメートだった二人の事を。
 ――空を仰いでみる。特にめぼしいものは見えなかった。
 あたしのクラスメートだった二人。
 あの二人は――ここにはいない。
「……何やってんだよ、三枝?」
「え? あ、ううん。なんでもないなんでもないっ」
 時々思い出す。
 けど――忘れてる時間の方が多い。間違いなく。
「乗ったな? んじゃ、出すぜ。しっかり捕まってろよっ」
 だって――
            幸せだから……ね。



 街、と呼ばれる巨大な建造物の集合体。さまざまな思惑と利害が絡み合う場所。
 ――その一部である、大きなビルの表面は、巨大な映像受信機となっていた。
 映し出されていたのは、ヒトによく似た姿の彼女達。
 ヒトに近しい、ヒトであり得ない存在。
 ――命在るカタチ。
 彼は立ち止まり、暫し……連なる画面を眺めていた。
 映像が切り替わり、キザったらしい男の顔が映し出される。そして自慢げに語る。彼女達の事を。
 技術の革新。
 人の新たなるパートナー。
 彼女達を彩る言葉は、華やかで――空虚で。でも――

    「ねぇ――塚咲?」

 ――ふと。名前を呼ばれる。
 振り向けば、彼女がいた。
 ヒトに近しい、ヒトでない存在。
 技術革新。
 人類の新たなるパートナー。
 人々は口をそろえて彼女をそう見る。
 でも、彼にとっては……一番……一番、近しいひと。
「行こうか」
 彼は呼びかける。
 華やかな笑顔が言葉に応える。


 ただ、雑踏に飲まれて。
          二人の姿は、
 街並みの向こうに隠れてゆく。
 時は満ち、すべてを巻き込んで残酷に流れていく。
 ”未来”
 それでも、彼女は今の姿のままに存在し――
 彼が朽ち果ててゆくのを見るのだろう。
 そのとき、彼女は一人ぼっちで――それでも彼女は”生きて”ゆかなければならない。
 生きている意味……いや、そんな高尚な考えじゃない。
 ”未来”。予想もつかないその先にあって。

 ただ――願う――
 その時ひとりでも多くの人が、幸せでありますように。
 と。

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