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「美しい」がなぜ大事なのか

たかがデザイン、されどデザイン。今回はUXというよりも、美とは何か、アートとは何かという視点でデザインについて記載します。
一般的にデザインという言葉でまずイメージするのは、美しい、目を惹く、インパクトのあるグラフィックデザイン、という認識でしょう。デザインというのは美しさが大事なのです。

美しさと醜さの境界

美しさを語るうえで大切なのは、ある一定の地点において、美しさと醜さとの境界があるということです。人は美味しそうな料理を見たらそれを食べたいと思い、ゴキブリを目にすると憎悪を感じるはずです。
美しさは非常に難しく、個人の感情に依存しがちです。また時流やトレンドによる良し悪しもあります。しかしながら、あるデザインはハイブランドとして非常に効果な値段が設定され、あるものは100円均一ショップで売られます。もちろん、そのものの製造過程に多くの工数を割いていることでの価格差はありますが、この差は何でしょう。

一つはそのものへのストーリー性であったり、コンテキスト(文脈)であったりします。マルセルデュシャンは便器を美術館に置き、これを「泉」という名のアートだと宣言しました。コンテキストが違うと、それが置かれる環境が変わり、ストーリーも変わります。便器が美術館にある。この体験こそが美しさの価値なのです。

ではなぜこの体験が美しさに代わるのでしょうか。これが中世の時代であれば、誰からも注目されなかったでしょう。ただの場違いなものが置いてある、で終わっていたかもしれません。アートが一般化し、誰もが自然にアートを楽しめる時代であるからこそ、価値が生まれたのです。

「美しい」の意識のアップデート

私たちは花を見て美しい、きれいな色だと思います。それと同時にその美しい花が印刷された広告もあれば、衣服の模様とされているものなど溢れかえっています。では、人類史で初めて、衣服に花柄が施された時はどういう感覚だったのでしょう。当時、衣服は人の身を守る用途のものでした。その衣服になぜ花柄を配置したのだろう?と疑問を抱いていたに違いありません。しかしながら時代が経ち、それが当たり前の価値観になっています。
このように時代とともに、美しいの意識は常にアップデートされているのです。

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美が生み出すUX的な価値

美しさ、アートを起点とした、新しい体験が生み出されています。それがここ10年ほどで知名度が上がってきている地方都市でアートを活用した町おこしです。限界集落の廃屋の中に、彫刻が忽然として置かれているような作品が町中に点在していて、それを観光客は町中を見て周ります。妻有芸術祭瀬戸内芸術祭などが比較的規模の大きいイベントでしょう。海外で見るとイタリアのヴェネツィア・ビエンナーレや、中国の北京798芸術区なども有名ですが、いずれも工場跡地などを利用していますが、一般民家にアート作品を置く試みは日本ぐらいではないでしょうか。

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アートを楽しむのと同時に地元の人と交流したり、今まで知られていなかった歴史に触れたり、地元のグルメを楽しんだりします。これにより、限界集落となっていた町に活気が溢れ、また見過ごされていた美しさを再認識する機会がもたらされます。これこそが、アートによる付加価値の創造と言えるでしょう。

「美」の市場価値

そうは言っても、デザインやアートの美しさに対して投資することがどこまで価値のあることなのか、引き続き判断の難しいポイントではあります。フォーブスが発表した世界の長者番付では、LVMHグループのベルナール・アルノー氏がランキングされています。上位の大半がITや投資企業である中で、多くブランドを擁しているLVMHグループがランキングされるのは非常に興味深いことです。

Forbes 長者番付2020

多くのハイブランドがそうであるように、美しさには非常に大きな付加価値を持っており、美しさを指標に取り入れることが、投資効果に十分に貢献することは、このランキングが証明しています。

UXと美はセットで考えよう

以上のように美しさというのは非常に重要な役割を担っています。UXやUIの効率化だけを追求しすぎると、それは退屈で味気ない体験になってしまいます。逆に美しさだけを追求しすぎると、使い勝手の悪い体験となります。UXというのは、考えようによってはデザイナー以外でも十分に担う事ができる仕事のように思われます。UXデザイナーという肩書がある所以は、このように美しさとの関連性も高いからかもしれませんね。


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