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本のある場所にできること 青木海青子×黒田杏子①

人文系私設図書館ルチャ・リブロ」の司書、青木海青子さん『本が語ること、語らせること』は、私設図書館の運営を通して、読むこと、本がそこにあることの新たな可能性を示唆するエッセイ集です。
本がある場所は、図書館だけではありません。
2022年6月12日、本書の刊行を記念して、海青子さんと名古屋で長年書店を営むON READING黒田杏子さんトークイベントを開催しました。
奈良県東吉野村の山間の図書館と、名古屋の街中の書店。
環境や立場は違えど、同じ「本のある空間」を運営するお2人にとって、本とはどんな存在なのか、読むとはどういう行為なのか——本書を媒介として対話を、2回に分けてお届けします。
まずは、本書を読んでの黒田さんの感想から。

とても行き届いた本でした。

海青子 (黒田)杏子さんは刊行直後に本書の感想をInstagramに上げてくださったんですよね。とてもうれしかったです。

黒田 夢中で読んでしまいました。
青木真兵さんと海青子さんのこれまでの著作では、ルチャ・リブロがどんな場所かという理論的な部分に多くのページが割かれていましたよね。だから実際にルチャ・リブロで日々何が起きているのかは想像するしかなかったのですが、本書のエッセイではそこが具体的に描かれていたり、元になった連載「土着への処方箋」を読む中で気になっていた海青子さんの読書体験についても「本に助けられた話」で語られていたり。知りたいなと思っていたことが、痒いところに手が届くように網羅されていたので、すごく満足感がありました。

海青子 確かに『彼岸の図書館』や『山學ノオト』でも、書かれているのは私たち夫婦が何を考えて図書館をやっているのかということで、図書館として具体的に何をやっているかには触れていませんでしたね。
実は昨年、『手づくりのアジール』(青木真兵著、晶文社)刊行記念として家人とアーティストの村上慧さんが対談したのですが、そのとき村上さんが「朝何時に起きて、何時に図書館を開けているのか。普段の図書館でのことを知りたい」とおっしゃったんです。確かに、そういうことはあまり書いてこなかったな、とハッとしました。そこで、ルチャ・リブロに来たことのない人にもどんなところかわかるようなエッセイ、私がよく影響を受ける利用者さんたちとのエピソードを書き足そうと思いました。

黒田 日々何をしているかというのは、本人は考えずにやっていることなだけに、言語化が難しそうです。

海青子 普通のことって、歴史的にも記録に残りにくいと言いますよね。特異な現象や事件が起きれば書き残しますが、「今日も図書館を開けた」とか「人が来た」というのは、ここ6年ほどの自分にとっては普通のことですから、書こうと思わなかった。村上さんに指摘されて初めて気づきました。

黒田 この本は、まさにそれでできているから、新鮮なのだと思います。

海青子 真兵さんが、自分たちのやっていることの意義を社会全体から眺めて語るタイプなのに対して、私はむしろ日常の小さな出来事に目を向けて、積み重ねていくタイプなんですよね。

青木海青子著『本が語ること、語らせること』夕書房

「夢を叶えたんですね」への違和感

黒田 そういうわけで、もっと聞きたいことというのはなく満足して読み終えたのですが、読みながら喚起されたことや考えたことは、めちゃくちゃたくさんあったんです。

海青子 あ、本当ですか。どんなことですか?

黒田 書店を営む身としては、どうしても自分に引き寄せて読むことになります。その上で、本屋と図書館という「本のある場所」には、圧倒的に違うことと、よく似ているところの両方があるな、と。
ON READINGルチャ・リブロの共通点だと思った1つは、青木さんたちが「こうすればこうなる」と計画してルチャ・リブロを作ってきたわけではなくて、振り返ったらこうなっていた、ということでした。この本では進行形で変わりゆくルチャ・リブロの現在地が語られている。
私たちもよく「本屋とギャラリーと出版、3つもやっているのはどんな考えからですか」と聞かれるんです。そのとき初めて自分たちなりの整理をしてみるものの、最初から考えていたことというのは特にないんですよね。

海青子 すごくよくわかります。「夢を叶えたんですね」と言われがちじゃないですか? 私たちも夢を叶えてはいないので、そう聞かれても頑張って努力した話はできなくて困ります。

黒田 そうですよね。トークイベントや取材で「本屋をどうやって作ったか」を聞かれることもあるのですが、自分たちの感覚とズレを感じることが多くて。「こうすれば利益が出る」といった方法論にまとめられることに違和感があるのだと思います。

海青子 『本が語ること〜』も「人生訓」と紹介されて、ちょっと違うなと思ったことがありました。これはあくまで私たちの真っ直ぐではない軌跡を描いた本であって、読者にも同じようにやってほしいわけではない、一人ひとりに固有の軌跡があるはずなので。

訪れる人の常識を揺さぶる図書館と本屋

黒田 お2人が徹頭徹尾インディペンデントである感じにも、私たちはすごく共感しています。「ギミック」という言葉をよく使われていますが、私設図書館=一種の仕掛けということですよね。

海青子 「ギミック」はプロレス業界でよく使われる言葉だそうです。特に昭和のプロレスでは、レスラーの背景設定がギミックとして使われていた。ヒール役のレスラーなら「ニューヨークの地下でネズミを食べて暮らしていた」とか(笑)。私設図書館を営んでいる、というのも私たちにとってはそういう感覚のものです。

黒田 ルチャ・リブロは、ご自宅なんですよね。

海青子 はい。本棚のたくさんある山の中にある古民家です。猫もいるし、おばあちゃんの家に来たみたいな感じがすると思います。私が「図書館です」と言わなくなった瞬間、家に戻る。

黒田 訪れた人が「図書館ってそもそも何だったんだっけ」という感覚に陥りそう。

海青子 考えさせられると思います。私たちもそうなったらいいな、みんな考えてみてほしいと思っていますし。お店の場合はどうですか。

黒田 うちはマンションの1室のような扉があるので、入るのに躊躇う方もいらっしゃるようです。もちろん自由に入ってもらって構わないのですが、コンコン、とノックする方も。不思議なのが、うちが本屋だと知らずにふらっと入ってこられて「これ、触っていいんですか」とか「ここにある本は買えるのですか」と言う方が結構いることです。

海青子 へえ! ふらっと来てあのドアを開けるって、勇者ですね。

黒田 そうですよね(笑)。そういう人の好奇心は見習いたい。知っている人のほうが入れなくて、知らない人のほうが入れる、みたいな。
私たちも20代半ばで何もわからないまま本屋を始めて、もう15、6年やっていますが、「ここ本屋なんですか」「はい本屋です」という会話をすることはすごく多いんです。お客さんとしては「これが本屋? よく見知っている本屋とは違うけど、本を売っているのだから本屋なのか。じゃあ本屋とはどんな場所なんだろう」と考えを巡らせているのかもしれない。ルチャ・リブロも存在しているだけで人に考えさせることができる、と書かれていましたが、そこもON READINGと同じだな、と思います。

海青子 「自分が間違っているのか?」と常識を揺さぶられて、ちょっと怖くなる存在というか(笑)。でも「考えざるを得なくなる」というのは悪いことではないと思います。これも本屋さんなんだ、と本屋の定義を広げてくれる。

公の民営化

黒田 図書館といえば公共のもの、というイメージが強いですが、私の子どもの頃は、家庭文庫など、本棚のある風景は至るところにあった気がします。

海青子 公に対する「気分」がどんどん変わってきていると感じます。かつては公園や遊び場も、子どもたち自身がルールを考えて使っていて、ちょっとやりすぎたら周りの大人、近所の怖いおじちゃんとかがたしなめてくれていた。それがいつの間にか行政がルールを決めて「ボール遊びはやめましょう」と看板を立てたりするようになった。公は上から降ってくるものだから、その中で自分に使えるぶんを最大限もらっておこうという傾向が強くなっている。
その一方で最近では、私設公民館を始める人が出てくるなど、上から降りてくるのとは違う「公」を作ろうとする揺り戻しも感じます。

黒田 それはいいですね。「公の民営化」というか。公に力がなくなって民営化したことで、不自由になったものもたくさんありますけれども。

海青子 そういう負のエネルギーを弾き飛ばせるような場所になるといいですよね。利用者と運営者が混ざり合って、どちらにもなるような公のほうに、私は可能性を感じます。
ON READINGさんをはじめ、地方の本屋さんもそういう場になりうるのではないでしょうか。

商いとしての本屋

黒田 そういう役割を書店は帯びているのだと思います。その上で、ルチャ・リブロと圧倒的に違うのは、私たちが商いをしているということです。
『本が語ること〜』には、金銭を介在しない場所だからこそできること、起きうることがたくさん書かれていて、その点はシンプルに羨ましい。私は以前よくお2人に、自分が抱えているモヤモヤをお話ししていましたが、そのモヤモヤのほとんどは、2つの相反する本屋の特徴の間でなんとかバランスをとってやっていかなくてはいけない、そのことに由来していた気がします。

海青子 前に、「本屋さんを選んだ時点で、お金持ちにはなれない」とおっしゃったことがありましたよね。すごい矜恃だ、と印象に残っています。
本って、ある人にとっては人生を変えるほどの存在で、値段をつけられないほどの価値があるけれど、興味のない人にとってはマイナスにもなる。値段があってないようなものだと思うんです。そういうものを真ん中に据えて商売をするというのが、本屋さんのかっこいいところだな、とあのとき強く感じました。すごくよい宣言でした。

黒田 みんなちょっとずつ性格が悪くなっていくというか、ひねくれてはいきますよね(笑)。
そういう部分を全部手放したいかといえばそうではなくて、商いをしていることが楽しかったりもする。そのバランスが難しい。本屋を選んだ時点で商いからは逃げられないけれど、私たちが1冊の本を売ることで、出版社さんは新しい本を作れるし、著者さんは新しい作品を書くことができると考えれば、商いであることはすごく重要でもある。
「商品でありながら文化的なもの」を扱っているという本屋の両義性は、本屋が商売でありながら公的な役割を持ってしまうこととも通じています。
最近出た『韓国の「街の本屋」の生存探究』(ハン・ミファ著、渡辺麻土香訳、クオン)の中に「生態系」という言葉が出てくるんです。街に本屋は1種類だけあればいいのではない。大型書店もあれば中小規模の街の本屋も図書館もあって、大手出版社からひとり出版社まで色々ある、その生態系の中でそれぞれがバランスをとりながら、みんなで出版文化を次の世代につなげていく。本屋はその一端を担っているのだ、と。だとしたら商いとしての本屋も図書館も、結局は同じことをやっていることになるのだろうと思います。

本をめぐる生態系

海青子 本当にそうですね。図書館って書店と対立していると思われることがあるのですが、私は決してそうは思いません。
私自身、図書館を総体で捉えていて、うちにない本でも他の館にあればいいやと、図書館同士が共同で蔵書を保管している感覚がある。本屋さんもそのつながりの輪に入っているイメージなんです。

黒田 書店員だった頃、その連携ができないかなとずっと思っていました。お客さんから在庫の問い合わせを受けて、新刊流通の検索機で調べると品切れだけど、図書館にはあるのにな、とか。時間に余裕があるときにはどの図書館にあるか、調べてあげることもありました。
一方図書館でも、人気のベストセラー本は予約が殺到して数年待ちになったりする。そういうときは「近くの書店に在庫があるのでそこで買ってはどうですか」と案内してもいいのではないか。在庫共有は難しいと思いますが、一言「あそこに書店や古本屋がありますよ」と案内するだけで、利用者さんは「そうか、その手があった」と選択肢が広がると思うんです。

海青子 「自分の行く図書館には読みたい本がない」と言う人も多いのですが、地元の図書館は広大な蔵書構築の森の入口にすぎません。司書に頼めば「図書館間相互貸借(inter-library loan)」サービスで他館からの取り寄せが可能です。それは書店でも同様ですよね。
みんな目の前にあるものだけで見ようとしますが、図書館同士はつながっているし、書店と出版社もつながっているので取り寄せができる。そのつながりをもっとお客さんに見えるようにできたら便利なのにな、と常々思っています。近くから輪を作っていけたらおもしろいですね。

黒田 それができれば「生態系」は豊かになりますよね。全く同じようなことを菅啓次郎さんが書店の文脈で書かれていました。すべての書店はつながっている、と。やっぱり図書館に似ているところ、多いですね。

海青子 書架に本を差すと、いつのどこの誰につながるか、思った以上に幅広いところにまで届くのがおもしろい。その醍醐味は本屋さんでも図書館でも同じだと思います。

左:青木海青子さん、右:黒田杏子さん

本屋の棚も語っているし、語らせる力がある。

黒田 ルチャ・リブロの書棚って、どう管理されているのですか?

海青子 開館してからは利用者さんのことを意識するようになりましたね。時々棚を見直してはこれはもういいかな、と思うものは外しますし、買うときにも開架を念頭に置きます。ルチャ・リブロに置くのはちょっと違うけど読まなくてはならない本はバックヤードに置いたりしています。棚には日本十進分類法にゆるく従って並べています。

黒田 本屋の本棚は、買ってもらうための棚なので、いつも「みんな今日もきれいだよ」という感じで持ち上げつつお客さんを待つのですが、図書館の場合は別にたくさん借りてほしいというわけではないですものね。

海青子 古くて目に留まりにくい本は、たまに特集コーナーに出してアピールしますけどね。
以前に杏子さんに聞いて印象的だったエピソードを思い出しました。あるお客さんが、「韓国が好きでよく訪れているのだけど、韓国に偏見のある同僚がいるので、会社では韓国の話ができないしお土産を配れなくて悩んでいる」と杏子さんに打ち明けたと。それはきっと、ON READINGさんの棚に韓国の作家やアーティストの本が並んでいるのを見て、安心したからできた打ち明け話だったと思うんです。本屋さんの棚だって、語っているし、語らせる力がある。

黒田 そうかもしれませんね。このタイトル、主語が人じゃないところが最高にいいんですよね。私は、「本」とは何か、をずっと考えたいと思っています。本について語られることの多くは、内容やデザインなど目に見える部分についてですが、本書では「本」がもたらしてくれる「現象」を言い当ててくれたことに、すごく励まされました。

海青子 何度も訪れたくなったり、そこにいる人と話したくなるというのは、やっぱり本の作用だと思います。
『本が語ること〜』では普段の私ならしない告白をいっぱいしているのですが、本や本のある場所の可能性が伝わるものになっていたのならよかったです。
(後編に続く)

[プロフィール]
青木海青子(あおき・みあこ)
「人文系私設図書館ルチャ・リブロ」司書。
1985年、兵庫県神戸市生まれ。約7年の大学図書館勤務を経て、夫・真兵とともに奈良県東吉野村にルチャ・リブロを開設。2016年より図書館を営むかたわら、「Aokimiako」の屋号での刺繍等によるアクセサリーや雑貨製作、イラスト制作も行っている。青木真兵との共著に『彼岸の図書館——ぼくたちの「移住」のかたち』(夕書房)、『山學ノオト』『山學ノオト2』(エイチアンドエスカンパニー)がある。
https://lucha-libro.net/

黒田杏子(くろだ・きょうこ)
書店員。
1981年岐阜県出身。2006年に書店『YEBISU ART LABO FOR BOOKS』を、夫とともに名古屋・伏見にオープン。2011年に名古屋・東山公園に移転し『ON READING』としてリニューアル。併設するギャラリーにて様々な作家の展覧会も開催。2009年に、出版レーベル『ELVIS PRESS』を立ち上げ、これまでにおよそ20タイトルをリリースしている。
https://onreading.jp/


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