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ただ人として生きる以外に、人生には何もないんだった

去年くらいから興味があったことの一つに、役者ではない皆さんとお芝居を創る、というものがあった。そして、それに近いことが叶った。とある急成長中のIT系ベンチャー企業経営者である十年来の友人から『社員研修として、役員の経営合宿で一日かけて皆んなでお芝居をつくってみたい』と唐突な相談を受けたのが先月。

普段まったく関わりのないだろうお芝居にピンときてくれたことをとても嬉しく思いながらその目的を訊いてみると『みんなで同じ方向を向いていくために』『自分自身でいいんだと思ってもらいたい』というこたえが返ってきた。その思いを大事にしたくて、ワークショップを行なうのであれば是非この人にメインファシリテーターをお願いしたいと真っ先に思い浮かんだ尊敬する大先輩であり友人の女優さんに相談したところ、忙しい中こころよく引き受けてくれることになった。わたしは別の同い年の女優さんと二人、アシスタントとして参加させてもらうことに。

千葉県富津市の目の前に大海原が広がる研修ハウスで、朝の10時から夜の19時すぎまで丸一日。じつは今日何をするか、社員の皆さんは知らされておらず。施設に到着し、運動できる格好に着替えてから社長がひとこと。『今日はみんなでお芝居をつくります』みなさん、予想外の展開にびっくり。

導入は、からだのアプローチから。いくつかのゲーム、幅広いエクササイズをして、流れをしっかり作ってからことばを発する段階へ。そしてさいごに短いシーンをつないで発表する。豊富な芸歴だけでなく、ヨガのインストラクターや演技コーチの経験もある女優さんが、このワークショップのために時間をかけて綿密に創り上げてくれた包括的なプログラムのもとで行なう。

目に見えることや結果が重要となる世界ではおそらく『今、一体なんのためにこれをやってるんだろう』と思われそうなことでも、みなさん一つ一つ目的を見出して取り組んでくださった。フィードバックでは、今のワークからどんなことを学んだか、どんな気づきがあったか、明確にスムーズに言葉にしてくださった。チームのなかに信頼関係があって、上下ではなく横の繋がりが自然な感じで皆さんの中にあった。それはきっと社会人として、また勢いのあるベンチャー企業の一員として、皆さんが日々されている様々な経験、人間生活を太くしていく豊かな体験だからなんだろうなあと、勝手に想像し、芝居の世界しか知らないわたしにはまぶしくみえた。

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以前のわたしは、役者というものをかなり特別視していたなあと気づいた。物心ついた頃から映画漬けで育ち、憧れはどこまでもおおきく膨らんでいた。わたしにとってはまさに夢そのもの、人生そのもののようだった。思春期の入り口のだいぶ前からそんな状態なので、『芝居』『役者』ということばをきいただけで思わず身に力がはいってしまうほどのつよい思い入れがあった。好きが強すぎるあまり、好きなはずの世界で自分自身をがんじがらめにし、不自由にし、いつしか呼吸がしにくくなっていた。芝居の力を過信しすぎてアンバランスになり、芝居と対等でいられなくなっていた。

そして、去年の初自主公演企画から自分の中で気づいた変化。それは、役者というのは何も特別なものじゃないんだ、ということを知ったこと。肩の荷がなぜかふっと降りて、もっとフラットに考えられるようになってきた。人として、生きること。それ以外に、人生には何もないじゃないか。そんなふうに。人を思って生きるということの一つのあり方が役者なのでは、とも。

以前のように、がちがちになるのではなく、そして人生そのものでもなく、他にやりたいことがあれば、どんどんやっていいし、なりたいものがあればなっていい。芝居しかやっちゃいけないなんてことは一切ない、もっと楽になろうよ、と思うようになった。

そんな意識の変化があった中で、役者ではない方々と純粋にお芝居をすることは、ほんとうに恵まれた機会だった。役者という呪縛から解きはなたれた空間で、すごくまっさらに、人と人が、芝居という力をかりて、ただ人と人として、いる。それだけを純粋に味わうことができた。

表現者だけが表現をしているなんて、あり得ない。表現活動を生業にしているかどうかという分類はあると思うけれど、人は、生きていること自体が、もう表現だ。人が生きてしていることも、皆。そう思った良い時間だった。


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