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千年変わらないものと、百年先の未来


2023.1.10

冷たくなった白ごはんを出汁で温め、椎茸、しめじ、かぶとその葉を入れたおじやにする。豆腐と玉ねぎの中華スープと一緒に朝ごはん。調べ物をしていたらあっというまにお昼過ぎ。おじやの残りを少しだけ口にして、明るいうちに鎌倉駅方面まで散歩。自然食品のかなやさんでおでんのたねなどを買い、鍼の先生に教えてもらった眼病治癒にご利益のあるという本覚寺へお詣り。ここのお寺は身延山の久遠寺にあった日蓮のお骨を分骨しており東身延とも呼ばれるそうで、今朝ちょうど久遠寺のことを考えていたのでびっくりする。

商売繁盛の神様でもあり、ちょうど今日が「十日夷」とのことで参拝客もちらほら。名物の「にぎり福」という小さなお守りをふたつ買う。愛、健、財、学、福の五つを握り込んだもので、石ころみたいな白い塊が色々の色で塗られ、ひとつづつ手書きで顔が描かれてある。えらんだのは健と愛。健康であることがなによりもまず第一なのと、愛はわたしの名前なので。すぐうしろに並んでいた小さな子どもが、父親に「五つあるけどどれにする?」と聞かれ、間髪入れずに「えーお金でしょやっぱり」と大人ふうの答え方で答えた。これが子どもの本音であるはずがなく、いかに普段からまわりの大人があまりポジティブではないニュアンスでお金の話を直接的に、あるいは間接的にしているかがよくわかると思った。

パートナーと待ち合わせし、八幡宮そばのタイ料理屋さんで夕飯。隣の席は会社の上司と部下たちという感じで、律儀にマスク会食を実践。「子どもが成人したらとにかく離婚。経済的不安もないんだから」とほんとうは威厳たっぷりに言いたそうなのをぐっと堪えやわらかい響きになるよう遠慮を入れながら、上司らしき人物が言う。部下らしき人がたいして興味もないけれどそうは聞こえないようにできるだけ配慮した口調で「どういうふうにそうするんですか」と聞くと、上司は「それはさ、まずは寝室を別にするところから始めるんだよ」とこれまた得意げには聞こえないように最大限留意しながら、それでも結果としては失敗してとうとう得意げに話し始める。なんだこの違和感しかないやりとり、と思いながらタイラーメンをすする。食後、やっと八幡宮に破魔矢を返納。一月も十日ともなると夜の境内はすかっとするくらい空いていて、心地のいい闇がからだを包む。今日はかなり冷え込んだ。頭皮が寒さで痛い。境内のいちばん高いところまでのぼり、海へと躊躇なくまっすぐ伸びる道を見下ろす。鎌倉、千年ものあいだこの町に変わらないものがあるとすれば、わたしはそれを今見ているのだろう。

朝のおじや
本覚寺のにぎり福



2023.1.11

朝食は静岡おでんのたねを使ったおでんスープ、もち。九時ごろ町屋を目指して鎌倉を出る。町屋のパートナーの実家の団地で映像の撮影。今日はたまたま二人の結婚記念日でもあった。夕方荒川自然公園へ行き、大きな白鳥が二羽、池をすいすい移動していくのをじっと見る。気がつくと芯から冷えていて、あたまがガンガンしてくる。おとといも行ったらしいスシローか、わたしも前に一度行った質の悪い油を使った安い中華屋に行きたいという両親に「大戸屋ではどうでしょうか」と提案、それならいいわ、久しぶりだしねということで南千住の大戸屋へ行く。

幼児を連れたひとり親が客のほとんどで、パートナーが「さすが南千住」と言う。わたしの視線の先にも女性とその子どもの女の子がいて、席についた瞬間から「リンゴジュースが飲みたい」だの「お腹が空いてきちゃったの」だのと大きな声でなんどもわめき、信じられない角度でのけぞったりしている。子どもから大人になる旅路は相当にきついものなんじゃないかと、ふと思う。空腹やのどの乾きを理由に泣くことができなくなったわたしは、命に慣れてしまったんだろう。それは、とても怖いことに思える。それでも命に限りがあることを知る大人になってよかったと思う。

今日泊まる格安ホテルへ向かうも、マンションの一室で元オフィスだった場所を無理やりホテル風にしたみたいなその部屋を入るとまずゴミ捨て場から引きずってきたようなシミだらけの薄汚いソファがあった。元は白いはずのその色はタバコを吸いすぎた人の歯のように全体がどうしようもなく黄ばんでいる。このソファに腰をおろすくらいなら一晩中立っているほうがずっといい。ベッドも同じようなものかもしれない、確認するのも嫌だと思った。エアコンの送風口に黒い点々がいっぱいこびりついていて、どう考えたって奥はカビだらけ。そういえば部屋全体がカラオケの匂いがする。これを言ってしまうのはただのわがままなのかもしれないと一瞬は躊躇しかかったが、一般の人のすべてのアレルギー物質への平均反応数値が100とかそこらへんなのに対し4,300もあるわたし(結果を見たお医者さんは半笑いだった、4,300って、と)はダニだのカビだのハウスダストだのと仲良くすることがしたくてもできない。ここでできるベストな選択はこの部屋では眠らないことなので、そうパートナーに訴える。しぶしぶ受け入れてくれたパートナーと車に戻り、ティッシュペーパーや日用品が買いたいというパートナーの両親がコンビニで買い物を済ませるのを待ち家に送り届け、別の宿を探す。当日予約だからか豊洲のわりとちゃんとしたホテルの部屋が格安で売られていたのでそこに移る。先程のホテルと二千円しか変わらないのに天と地ほどの違い。安心して眠りにつく。



2023.1.12

快適なホテルのおかげですっきり目覚め、目の前の豊洲市場へ。せりはもちろん終っていたけれど、ちょっとだけ場内を見学。清潔で真っ白な建物は食べ物を取り扱う場所という感じではまったくなくて、どちらかというと病院のようだった。廊下に、百年前の市場近辺のようすが展示されていた。衛生環境はひどく秩序も何もないかもしれないが、人の生きている温度と活気があった。百年前の何々、といわれると毎回同じことを思うのだけれど、ここに写っている人たちのほぼ全員がもういない。この時はたしかにいるのに、もうここにはいない。どこからかふっと生まれて何もなかったように死ぬ。生まれて、死ぬ。みんなただその一部。

朝ごはんを食べる。やっぱり新鮮そうなお寿司が魅力的だったけれど体調のため生魚を控えているので、唯一みつけた煮魚定食のあるお店に入る。ふともう何年も前、大学時代の友人が勤め先のアメリカから帰国した時に一緒に築地に行って山盛りの海鮮丼を食べたなあと思い出す。ひとつ年上の友人は僕が誘ったからと言ってさりげなくおごってくれたけれど、夢を追いかけながらぎりぎりのアルバイト生活をしていたわたしにお金なんてちっともないことをきっとわかっていてそうしてくれたんだろうなあ、やさしいんだなあ、ありがとうと心の中で思う。今までどれだけの人のさりげないやさしさに支えられてきたんだろう。しっかり生きなきゃ、今はもう会えない人も会えなくてもどこかでつながっている人も、ほんとうに沢山の人たちによくしてもらってきたんだから。

千葉へ行くパートナーと別れて、東京駅でかばんを物色。もう何年も今にも破れそうな布地の安いトートバックばっかり使っているので、ちょっと用事でお出かけにも旅行中の携帯かばんにもなる長年しっかり使えるものが欲しい。財布、リップクリームと漢方の入った小さなポーチ、ハンカチとティッシュ、それとハードカバー一冊とカメラも入れば文句なし。そんなかばん。良さそうなものもあったけれど、今日は保留にする。米粉のバインミーが食べたくなって原宿へ行くとバインミーではなくサンドイッチ屋になっていた。大豆ミートのヴィーガン仕様をひとつ買う。警察署の裏の緑道みたいなところに座って食べた。

歩いていたら外苑前に着き、昔バイトしていた不動産会社の前に出た。懐かしいけれど、懐かしくない。小さい頃から吃音があって特定の行が言いにくいわたしは、どうしても電話に出る時に最初に名乗る「お電話ありがとうございます」とそれに続く社名がすらすら言えなかった、それをなんども脇で聞いていた社員のひとりがある時こらえきれなくなって「ぶっ」と思いきり吹き出した。その人は常に社長と自分以外のすべての人を小馬鹿にしているような態度だったので傷つきはしたが、驚きはしなかった。そういえば最後は私ともう一人の女性が突然クビになったんだった。今だに理由がわからない、こちらに非があったわけではなかったと思う。もう一人は不当解雇だとかなり怒っていた。わたしは生活の心配もあるのにやっとのことで辞める正当な原因ができてほっとしたかもしれない、でももうはっきりとは覚えていない。どうみてもお金持ちの経営者夫妻の旦那さんは根がやさしそうで、シャイな感じもしてわるい人には思えなく、奥さんのほうが強そうでなにを考えているかわからなくて怖かったのでいつもびくびくしていた。わたしたちにクビを言い渡してから辞めるまでの短い間に一度だけ、ふたりで舞台を観に来てくれた。とてもわたしがやっていたような泥臭い小劇場の舞台の観客席に座っているような人たちじゃなかったから、せめてもの申し訳なさでということなのかもしれないけれど、よく来たなあと今もふしぎに思う。

実家のある街よりも長く、ということは考えてみたら今までの小さな人生でいちばん長い時を過ごした東京が生活の場所ではなくなってから、来るたびに新鮮な気持ちと愛おしさを感じる。電車代を百円でも節約したいからというのも大きかったけれど歩くのが好きなわたしは東京じゅうをどこへでも歩いて行っていて、東京の地図はあたまの中にほぼ完璧にある。地図を読むのが得意なのだ。方向感覚も抜群にいい。地図の読めない女、と題名に書かれた本がいくらか前にだいぶ売れていたけれど、大人っておもしろくもないことを堂々というもんだと思う。

東京生活で六回、家が変わっている。東京のあちこちでいろんな時代のわたしが今も暮らしている。武蔵境で、新中野で、目黒や恵比寿で、狛江で、根津や下町で、阿佐ヶ谷や高円寺で、今も情けないくらい、あるいは頼もしいくらい何も変わらずわたしはわたしをやっている。しんどいけれどがんばってほしい、百年後もうあたりまえにわたしはもうここにいないから、それだけは確実だから、何も考えずにただ思うように今を生きていてほしい。






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